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TRPGガイダンス:愛されるNPCの作り方

 今回は、NPCの好感度をどのようにして獲得するかについて語る。

 話し方や演技については今回は触れない。これまでの記事で解説した内容だからである。

 プレイヤーにとっては関係のない内容に思えるかもしれないが、「GMはどのような意図をもってこのNPCを演出しているのだろうか」と考えることによって、セッションそのものを円滑に進めることができるようになるはずだ。

 また、プレイヤーの立場から見て、他者から受け入れやすいキャラクターを理解することは、自分のPCを演出する上でも意味のあることでもある。あなたのTRPGライフが豊かになる手伝いができれば、幸いである。

■なぜ好感を持たれる必要があるのか

 まず、ここから問われなければならない。

 誤解しないで頂きたいのだが、私はあらゆるNPCがPCから見て善人であるべきだ、という話をしているわけではない。

 好感を持つのと、善良であることはまったく別の概念だからである。憎まれるべき悪役だが、観客にとっては好感を持たれるキャラクターである、というのは両立しうる。

 あなたがアクション映画を見ているときを考えてみよう。

 そこには悪役が登場する。悪役は主人公の恋人を殺す。都市を破壊する。あなたは主人公を応援し、悪役を倒して欲しいと考える。

 しかし、同時にその悪役が小気味のよいジョークを口にし、恋人とのはかない過去を語り、悪行の理由をあきらかにするとき、あなたは主人公の怒りに共鳴しながらも、悪役にも感情移入して物語を見ている。

 そして、悪役が舞台を去るとき、あなたは「ああ彼をもっと見ていたかった」という寂寥の念を抱くのではないだろうか。

 これがつまらない映画だと「ああいなくなった、そろそろ終わりかな」くらいのことしか考えないものである。

 つまり、これが好感を持たれるということなのだ。

 NPCに対する感情移入とは、すなわちあなたとあなたのプレイヤーたちが生み出した物語(ストーリー)に対する感情移入に他ならない。

 なぜならば、ほとんどの場合人はキャラクターを通して架空世界を理解し、受容し、そしてみずからの中で体験したことを物語(ナラティブ)とするからである。

 それゆえに、あなたのNPCが愛されることは、あなたの語る世界が愛されることに等しいといえるのだ。

●大原則:NPCはPCではない

 誤解してはならないが、NPCはGMのPCではない

 たとえば、あなたがPCと同じ立場の冒険者をNPCとして登場させたとする。もちろん、登場させるのは良いことだ。

 だが、彼がPCと同等かそれ以上のデータを持ち、クライマックスフェイズの戦闘に参加し、PC以上に活躍したとしたらどうだろうか。

 面白く考えるプレイヤーはあまりいないだろう。

 なぜならこれは、あなたがあなたのために作った、あなたのための話を友達に聞かせているに過ぎないからである。

 誤解しないで欲しいのだが、あなたがあなたの作った話をするのは構わないのだ。だが、その主人公はあなたの友達であるべきで、あなたのNPCはその主人公ではないのだ、ということを徹底しなければならない。

 まずTRPGのシナリオにおいて考えなければならないのは、どうやってプレイヤーたちを活躍させるか、どのようにして彼らの物語を実現するかである。そこを抜きにしてNPCの好感度も何もあったものではない。

▼PCをサポートするためのNPC

 プレイヤーが小人数の場合(多くは1~3人)、パーティに必要な機能を埋めたり、あるいはバディとして登場するNPCをPC同様のデータで作成し、サポートに回すテクニックは、前世紀から多くのGMに愛されているワザである。

 PCのパートナーをNPCとして作成することができるため、GM側のサポートもキメ細かになってやりやすい。

 こうした場合は、PCをアタッカーのような立ち位置がわかりやすいクラスに据え、NPCをバッファーやデバッファーのように受動的な立ち位置のクラスにしておくと、PCとNPCの対等性を担保しつつ、プレイヤーが能動的に活躍した、という感覚を与えやすい。

 もちろん、プレイヤーによっては自分がバッファーでNPCのアタッカーを動かすようなプレイを好むプレイヤーもいる。ケースバイケースである。

■好感とは

 では、好感を抱くとは何だろうか。あなたが語るNPCは実際には存在しない。もちろん、あなたがイラストを書いたり(それが他人の書いたイラストなら、著作権には留意すること!)、ミニチュアを用意したりすることで、その実在性を高めることはできる。

 だが、やはり本質的にはNPCはあなたが演じる虚構の存在だ。

 故に、それに対して好感を抱く、というのは、つまるところ「ありもしない存在があるかのように感情移入する」ということである、と考えられる。

 先ほどの映画の例えでも、あなたは映画を見ながら、悪役が最初は「俳優」だったのに、やがてひとりの個人として感じられる、という経験をしたことがあるはずだ。

 つまりこうだ。『インディ・ジョーンズ』の主人公インディはもちろんハリソン・フォードが演じている。だが、私たちはインディを応援している時に「ハリソン・フォードがんばれ」とは考えない。あくまで、考古学者インディ・ジョーンズに感情移入し、彼の冒険にハラハラしているのである。

 ではなぜ私たちはインディ・ジョーンズに感情移入するのだろうか?

 それは、「私たちと同じ人間だ」と感じるからである。(これを読んでいるあなたが地球人類でない場合は、NASAかJAXAあたりに移動してもらいたい)。

 私たちはファンタジー世界に生きるエルフでもなければ、荒廃したスプロールの殺し屋でもない。だが、登場人物が自分と同じ人間なのだ、と共感できたとき、私たちは彼に対してはじめて感情移入し、好感を抱くきっかけを掴むことが出来るのだ。

 では、これらの事実を踏まえた上で、具体的な行動から好感を抱かせる方法について解説しよう。

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●一貫性を持たせる

 目の前に、57㎜ライフルの銃口があった。命中するどころか、すぐ側をかすめるだけで、人間などはトマトスープになる、そういう武器だ。
 迫った死に、さしたる感慨はなかった。ウェイストランドで八歳の時に銃を取らされてから六年。ずっと人を殺し続けてきた。これは当然の報いだと思った。
 だが、目の前の歩行戦車(メルカバ)は撃とうとはしなかった。
『行け』
 〈メルカバ〉の外部スピーカーからの声だった。
『前に会ったときに話したろ? あたしは子供は殺さない。そう誓ったんだ。任務なんか、知ったことじゃないね』

 私たちは多くの場合、一貫性を持った人生を送ることは難しい。ある時は自分の弱さ故に、ある時は社会的立場故に、様々な場所で、様々な顔を持っている。

 それが人間だ。

 だが、NPCを演出する上で、もし一貫したポリシーを貫かせることができれば、プレイヤーたちの好感を得ることは難しくない。

 逆に、どれだけ格好良くても、これまでのロールプレイと一貫性がなかったら、それはどこか上滑りした、今思いついたたわごとのように聞こえてしまうものだ。

 たとえその行動をすることが損になったとしても、そのキャラクターならそうするだろう、という一貫性を持たせることで、あなたのNPCは愛されることができるのだ。

●問いかけ

 独房の乾いた床に、足音がした。どうやら尋問の、あるいは拷問の時間、というわけらしい。
「ひとつ聞きたい」
 尋問官は六条武蔵が何者か気付いていないようだった。
「おまえは日本人のようだが、なぜこの国の紛争に関わっている? 金のためか?」
「冗談を言うな」
 武蔵は鼻で笑い飛ばした。
「ハーレムのためだ! 男子なら誰もが夢見る酒池肉林、それ以上に戦う理由があろうか! いやない!」
 尋問官は砂漠の真ん中でセガサターンを見つけたような顔をした。

 人間は誰しも、自分のことについて話したいものである。

 TRPGのプレイヤーなら、特にそうだ。そして人は自分の話を聞いてくれる人間に好感を持つものである。人気のあるバーテンダーは、まず聞き上手であるものだ。

 なので、あなたのNPCは「なぜ」「どうして」「どう思う」とPCに対して質問するとよい

 普段は自分からロールプレイをしないような人でも、問いかけられれば「こう答える」ということはできる。そして、答えることによってロールプレイは弾み始めるのだ。

●敬意

 オルム・カナベルラリは追い込まれていた。
 手元に残ったヒーリング・ポーションはたったの3本。〈火球〉のスクロールも3本しか残っていない。すでに矢は尽き、ベルトにたばさんだ銀の投げナイフだけが頼みの綱だ。
 〈緑鬼族(オルゴイド)〉どもの矢と投げ斧が食い込んだ盾はもはや使い物にならず、やつらを斬り続けた魔剣〈飛燕〉も今や血脂にまみれてその輝きを残してはいない。
 逃げるしかない。そう決意した時だ。
 洞窟に、あの闇黒騎士(ルヴスキュリテ)の声が響き渡った。
「逃げるつもりか、オルム・カナベルラリ、人間族の勇者よ」
「!」
「貴様は良き戦士であり、我が殺戮と苦悶の祭壇に捧げられるべき贄であった。私は貴公と戦うためだけに氷雪と灼熱の地獄を超え、はるばるこのシャンバラまで来たのだぞ。無様な姿を見せてくれるな」
 そうと言われて、逃げることはできなかった。

 NPCがPCを評価することは、NPCが愛されることに直結している。

 それは剣の腕前や魔法の冴えでもよいし、料理やマンガのような個人的なことでも構わない。もちろん、人間としての生き方でもよい。

 こうした美点をNPCが褒めてくれるのは、プレイヤーにとっては大変嬉しいことだ。特に、発言機会の少ない控えめなPCをNPCが称賛することは、時として多大な結果を生む。

 それだけではない。他人を評価できる、というのは大変な美点であり、NPC自身が評価されることにも直結するのである。

 覚えておこう。

 PCを褒めてもGMの格が下がったりはしない。

 逆である。

 PCを適切に褒められるNPCは、必ず愛される。なぜなら、PCを褒めるためには目の前のプレイヤーを見ていなければならないからだ。そして、架空世界の中で適切に評価されることは現実の世界で評価されることと同様に心地いい。

 GMはNPCにPCを評価させることをためらうべきではない。それがあなた自身が評価されるためのコツだ。

●因果応報

 ジョン・マクニール少尉の腹は、彼の髪の毛のように真っ赤に染まっていた。致命傷であることは誰にもわかった。
「なぜ」
 李小月(リー・シャオユェ)の声は震えていた。彼に、自分をかばう理由は何もなかったはずなのに。
「私は裏切り者だ。家族のため、生まれ故郷の惑星エルダのためとはいえ、多くの命を奪った。そんな老骨の命で君たちが救えるなら……安いものだ」
 向こうから銃声が響いてくる。〈VF団〉の追っ手だ。
「行き給え! 早く!」
 小月は走り出した。
 一度も振り返ることなく。
 やがて、背後で爆音が響き、少尉が何人かの敵兵とともに、ようやく亡き家族の元へ旅立ったことを知った。

 あらゆる善人は常に報われ、いかなる悪人も罰される勧善懲悪、というのはなるほど現代的視点ではないかもしれない。

 しかし、あくまで娯楽作品として考えた場合、因果応報の原則は貫かれているほうが、視聴者(つまりプレイヤー)の好みには合いやすいものだ。

 もちろん、あらゆる悪が罰されるべきだという話ではない。

 だが、次のコツを覚えておくことで、プレイヤーのフラストレーションはたまりにくくなるはずだ。

・自分の欲望のために他人を殺すか傷つけたNPCは、何らかの罰を受ける。刑罰でもよいし、何らかの身体・精神的欠損かもしれず、あるいは単に死ぬのかもしれない。もしくは何らかの贖罪を行う。
・誰かをあざけ笑ったNPCは、途中で同様の事態に巻き込まれ、よりひどい目にあって笑いものになる。
・誰かに対して無償で善意を発揮したPC・NPCは、少なくとも何らかの形で登場人物によって感謝を表明されるか報われる。
・犯罪とはいえないにせよ、誰かの心を傷つけたり、悪いことをしたNPCは、ちゃんと言葉に出して物語の中で謝罪する。

 これは“リアル”ではない。

 実際には悪人が罪の意識もなく肥え太り、善人が無情に殺されていくのがこの残酷な世界である。

 だが、我々はTRPGを娯楽として遊んでいるのであって、別に人生の教訓を得ようとしているのではない。いや教訓を得てもいいのだがそれは娯楽の結果としてであって、目的であってはならない。

 すべての犯罪者は特攻して死ね、という話ではない。多くの場合PCは罪人に同情し、救うために何らかの行動を行なうだろう。それはそれでよいのである。

 重要なのは、己の罪を悔いて贖罪のために何かする、という行動であり、それによって罪に対して正当な報いが与えられた、とあなたたちが感じることなのだ。

●食事

 ひどい味だな、とアントニオは驚いた。塩の味しかしない、トマトスープというよりは真っ赤の塩水のような料理だった。浮かんでいるものが何であるかについては、とうてい考えたくもない。
 だが、もっと彼を驚かせたのは、隣でネリー・キムが泣いていたことだ。この鋼のようなスナイパーが泣いているなど、髭小人族(ツヴァーク)が宙返りするよりも考えにくいことだった。
「どうしたんだ、ネリー? そんなにまずいのかい?」
「違うよアントニオ。こいつは、ロンデニオンのスラムであたしのオフクロが作ってくれたスープと同じ味がするのさ。こんなものでも、この子たちにはごちそうなんだ。アタシにはわかるよ。それを分けてくれたってことが、どういう意味か、あんたにだってわかるだろう?」

 食事のシーンは、もっとも手軽に人間性を演出できる。

 人間は食事を取らなければ生きていくことができないからだ。

 それはカップラーメンやスナック菓子へのこだわりのようなものでもよいし、食事への感謝でもよい。あるいは、PCたちと食事を共にするような行為でもよい。

 NPCがどのような食事をするかに気を配ることで、彼の好感度をコントロールすることができるし、ファンタジー世界や遠未来の宇宙、夢の世界のように我々に想像しにくい場所に住んでいる人々にも共感の一端を持たせることができる。

 たとえば、豪華な食事を注文したのに食べ散らかして傲慢に金を払う人間はPCたちの怒りを買うだろう。貧しい戦友の料理を丁寧に食べる金持ちは、尊敬されるだろう。そして、皿の上に置かれたたったひとつぶのレンズ豆をナイフとフォークで切り分ける男には謎があるだろう。

●酒

 紅いワインが、形のよい手の中で揺れていた。いつになくセレンはアンニュイな空気を漂わせていた。酔っているのだろうか?
「惑星ベルヘギス、第八次極星会戦。覚えているか、軍曹」
 もちろん覚えていた。魔術帝国ヴォラーグを名乗る異星人の蜂起から始まった、あれはひどい戦いだった。
「あれから共に戦っているのはもう貴様だけだ……だから、死んでくれるなよ、軍曹」
 やはり、酔っている。
 軍曹はベルヘギス製の皮のコートを手にすると、大尉の肩にかけた。
 もう存在しない惑星の、それは思い出だった。

 アルコールは人間の隠している本音を明らかにする。

 古来から作劇において、酔っている時の発言は真実である、という決まり事がある(もちろん、酔っているふりをして虚偽、あるいは本音を言う、というのもあるが)。

 それ故に、あなたのNPCを酔わせてみることで、不自然でない形で本音を言わせることができる。特に、軍人や軍属のキャラクターの場合、そうした本音を普段から口にすることはキャラクター性の崩壊を招きかねない。そこでアルコールを使用するのだ。

 ただし、未成年者のPCがいる場合の飲酒の演出、およびアルハラに相当するような飲酒描写はプレイヤーを不快にすることが多いので注意せよ。「未成年には飲まさない」「勧めるが断られたら気にしない」「吐かない」が酒席を演出するコツだ。

●負ける

「この僕が負ける!? この僕が!? バカな、そんなことがあっていいはずがない!」
 六条武蔵の放った弾丸にその身を貫かれ、ハインシュタインはこれまでの冷静さをかなぐり捨てて、壊れたCDプレイヤーのような悲鳴を上げた。

 負けることは、時として勝つことよりも難しい。だが、PCが物語の主役である以上、NPCは何らかの形でPCの思惑に“負ける”必要がある。戦闘での敗北もそうだし、アタックに負けて恋に落ちるのもそうだ。

 その時、NPCの感情を変化させるのは恥ずかしいことではない。GMであるあなたは負けていない。勝ったのだ。勝ってドラマを生み出したのだ。堂々と負け、PCをいい気にさせよう。

 あなたがNPCを作る時に、負け方を考えておくのは上手い手だ。こういう負け方をしよう、という案はひとつ用意しておくのだ。負け方を思いつかないNPCはよくない。それはあなたのPCになっているのだ。

■総論として

 長々と述べたが、要するにNPCを行き当たりばったり、あるいは話の都合だけで動かすのではなく、目の前の観客であるプレイヤーにウケるように、かつ一貫した人格を持つ人間として演じよう、ということだ。

 そのためには、最終的にはGMであるあなたの人間観察が必要になる。それには、小説やマンガを読んでもよいし、映画やアニメを見てもよい。もちろん、現実の人間と付き合うのでもよい。

 そして、「なぜ私はこの人を好ましいと思うのだろうか?」と自問自答することである。その先に、必ずNPCに対する理解がうまれるはずだ。

 大丈夫、難しいことではない。あなたは友達を喜ばせたいからこのコラムを読んでいるはずで、だとすればあなたは好ましい、素晴らしい人間だということだ。そんなあなたの生み出したNPCが愛されないはずがない。

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