TRPGガイダンス:その依頼、受けてもいいの?

 「TRPGで依頼を断る(注1)自由があるかないか」

 人は、スペースコロニーに移民をする時代になっても、この議論を捨てることができずにいた(注2)。

 が、それはTRPGという遊びそのものが持つポテンシャルのあらわれでもあろう。

 私たちはTRPGに対して、仮想のPCを通して没入し、そこで生き生きと行動する。であるからこそ、そこにやってきた依頼を断りたい、その選択肢がある、ということに、没入を覚えるのである。

 が、GMが提示した依頼を断ることにはいかなる問題点があるか、それに対してプレイヤーサイドとGMサイドからはどのようなアプローチがあるか、ということについて、本稿では論じてみたい。

■インタラクティブへの欲求

 TRPGの快楽は多岐に渡るが、そのひとつに、「GMという柔軟性の高いインターフェースを用いて、GMが処理可能な範囲であらゆる可能性を仮想世界の上で実行可能である」というものがあげられる。

 もちろん、『サイバーパンク2.0.7.7』や『Fallout4』のような優れたオープンワールドゲームにも多様な選択肢が存在する。

 あるクエストに対して、交渉で解決したり、スニーキングで解決したり、敵方に肩入れしたり、様々な行動を取ることができ、それに対して架空世界が応答する。非常に楽しいことは言うまでもない。

 だが、そうしたゲームであっても、“考え得るすべての”行動を取ることはできない。

 あるクエストに「敵と交渉する」「敵を皆殺しにする」「敵の敵を味方に付ける」という大きく分けて3つのルートが設定されているとき、プレイヤーが「私は敵の基地を水攻めにしたいな」と考えたとしても実行できないということになる(注3)。

 しかしTRPGではそうではない。

 GMが「なるほどそれは面白い、じゃあこうしよう」と言えば、あらゆることが可能なのだ。極端な話、全員が同意すれば、依頼を受けずにPCたちが全員で農業を始めてスローライフものの異世界ファンタジーに移行したって何も困らないのである(注4)。

 覚えておいていただきたい。

 架空世界に対して自分のPCがアクションし、そのアクションに対して世界がリアクションを返してくるというインタラクティブ性こそが、TRPGをTRPGたらしめている要素なのだ。

 そしてそれ故に、「依頼の拒否」が発生するのである。

 なぜなら、プレイヤーがキャラクターに感情移入(注5)し、その体験をリアルに感じ、架空世界が“応答”すると信じている状態はGMにとって望ましいものであるからだ――そう感じていないのなら、プレイヤーはおざなりにPCをコマとして扱うだろうから(注6)。

 そうではなく、PCの人生を自分のもののように感じ、TRPGを通して紡がれる物語を五感で受け止めたいと思えばこそ、プレイヤーは時に、「依頼を断る」という反応を行うのである。

 これは一律にはねつけてよいものでも、単純に否定すべきものでもない。

 その上でどのような原因があり、対応策があるかについて、探ってみることとしたい。

■人はなぜ依頼を断るのか

 PCがNPCの依頼を断る場合には、いくつかの理由が考えられる。

 これにはポジティブなものもネガティブなものも存在する。代表的なものを述べ、それに対するケーススタディを用意する。

 なお、実際のプレイの現場ではここに述べた理由が複数絡み合うことも珍しくない。臨機応変に対応していただきたい。

●好奇心を満たすため

 先に述べた通り、インタラクティブである以上、「とりあえずその行動を取ったらどうなるのか」と試してみたいのは人間として自然な反応である。

 誰しも人生の重大な局面、たとえば入社式や不動産の契約時に、「ここでテーブルをひっくり返したら何が起きるんだろう」と考えたことがあるのではないだろうか(注7)。

 特に初心者の場合、ひとまずGMや他のプレイヤーの負担も考えず、それを口にすることは多い。

▼ではどうするか?
 こうしたプレイヤーは「そうしたらどうなるのか」という知的好奇心に突き動かされていることが多い。

 古典的に「そうするとこのシナリオは終わって、みんなが困ることになるけどどうする? それでもやる?」と問いかけることもできるが、これはやや現在の視点で言うと圧迫めいている。

 筆者は「よしわかった」とひとまず断った場合の展開をさっと演出し「……という夢を見た。冗談はこれくらいにして元に戻ろう」ということにしている。何が起きるか知りたいのであって、実際にそのルートをやりたいわけではないはずなので、おおむねこれで問題が起きたことはない。

 もし「いや断固として断る」と言うなら、プレイヤーとGMでぶっちゃけて話し合ったほうがよい。おそらく原因は後に紹介する他のケースだ。

●テーブルの関心を集める

 TRPGの好ましからざるプレイスタイルの中に、「問題行動を起こしてセッションの時間を占有する」というものがある。

 問題行動を起こしていれば卓の注目を集められ、GMや他のプレイヤーが機嫌を取ってくれるからである。セッションの時間を支配することができるわけだ。

 依頼の拒否に限らず、ルールへの難癖や過剰なハラスメント、他のプレイヤーへの過度な干渉という行為でも立ち現れるものだが、依頼の拒否がもっとも目立ちやすい。

 こうした問題行動が「どうしてもその依頼やりたくない」という駄々として顕れることは珍しい(羞恥心の問題である)。

 人間には自己正当化の意図が働くため、「この導入は矛盾している」「この依頼を受ける理由がない」「考証が間違っている」などと自分の正当性を持ちだし、注目を集めようとするのだ。

▼ではどうするか?(GM編)
 これに対しては毅然と対応するしかない。

 一定段階を超えたら、「申し訳ないが本日のシナリオではあなたの要望には応えられない。ひとまずセッションを開始するので、合流できそうだと思ったところで合流してくれ。あなたのシーンは作れない」と告げるのがよい。

 追い出すことが必要な場合もあるが、戻るタイミングは作っておくほうが、場の空気が悪くなりにくい。

 最初のゴブリンとの戦闘あたりでふらっと登場するだけでも戻ってこれるものだし、問題行動を起こした側も拳を降ろしやすい。そして、戻ってこなくてもいいや、と割り切ってしまうことである。依頼を受けない、と言ったのはそのプレイヤーなのだから。

 注意しなければならないのは、GMの側もその場で説教を始めることである。気持ちはわかるが、メンツを潰されたプレイヤーの側が意固地になり、周りのプレイヤーがなおさら不利益を被る(そして問題行動を起こしたプレイヤーが時間を占有する問題は加速する)。

 また、当該プレイヤーの難癖にいちいち反論しないこと。「なるほどそうかもね」くらいで流したほうがよい。枝葉末節の揚げ足取りをやれば、どんな物語にもケチはつけられる――我々の現実にしてからが、無理のある導入と伏線を無視した展開だらけなのだから。


▼ではどうするか?(プレイヤー編)
 あなたがこうした行動の快感に酔ってしまう理由は分かる。

 筆者の中学生時代、所属していたサークルではこうしたプレイスタイルが流行っていた。GMをやりこめることそのものに無意味な優越感を覚えていたのである。当時はそれをかっこいいと思っていたのだ!

 もちろん、かっこよくなどない。

 我々のプレイグループでは、最終的にはGMが真面目にシナリオを作らなくなる、というオチを迎えた。

 依頼を受けられるかどうかわからないんだから、真面目にシナリオを用意する理由がないのである。

 あなたに言えることは、筆者の愚かさから学んで欲しい、ということだ。

 ――それでも。

 それでもあなたが「こんな馬鹿馬鹿しいシナリオを受けるわけないだろ」と思って、どうしても問題行動をやめられないのなら。

 あなたがよいGMになることだ。

 そして、あなたの友達を楽しませるために知力の限りを尽くすとよいだろう。

●モチベーションの欠落

 TRPGは感情移入の遊びである。

 いかにプレイヤー側にセッションに協力したい、今日のシナリオに参加したい、という意欲があったとしても、感情移入していればこそ、「その導入には乗れない」ということが確かにある。

 ここでGMが「いいからシナリオを始めてくれよ。物語の都合なんだ」(注8)と言ってしまうのは簡単だ。

 だが、そう言われてもプレイヤーの側が感情移入できないことはある。

 プレイヤーの立場にしてみれば、感情移入しているキャラクターに嫌なことを強制されるのは、自分が嫌なことを強制されることと同じなのだ。

 具体的にはどのような導入を受けることが、キャラクターの感情移入を阻害するだろうか。
 
①道義的問題
 倫理的・道義的側面は、もっとも問題になりやすい。

 たとえば非武装の市民の虐殺、NBC兵器の使用、あるいはそうした行動を是とする勢力との共闘などである。

 これはミリタリーやSFに限った話ではない。

 ゴブリン(注9)の巣穴を女子供まで根絶やしにしろ、という依頼や、ネクロマンサー率いるゾンビの軍勢とともに城塞都市に毒ガスを散布する壷を置いてこい、という依頼なら、ファンタジーでも成立する。

 こうした“悪”の行為、ハーグ陸戦条約に触れるようなロールプレイはほとんどのプレイヤーに好まれない。感情移入すればするほど不快になってしまうからだ。

 もしGMであるあなたが「それが現実だよ」と思っているなら、あなたは考えを入れ替えたほうがいい――そんなことを戦闘員が強制されるのは現実の中だけでたくさんだ。休日の娯楽でやることではない。

②職業的問題

 多くのTRPGにおいてPCはフリーランスの職業人として事件に相対する。だからこそ本稿でも「依頼」という言葉を使っているわけだ。

 そうした職業人をロールプレイする以上、たとえシナリオであってもできないことがある。

 たとえば、金銭的報酬なしで働くこと、所属する組織や共同体の利益と相反する依頼を受けること、キャラクターの守秘義務を損なうことなどがそうだ。

 もっとも問題になりやすいのは報酬である。

 プロのフリーランスを演じる時に「ただ働き」というのは飲みにくい。妥当な額だ、という裏付けがあってこそ、感情移入を阻害せずミッションに臨むことができるのである。たとえルールに金銭の規定がなくてもだ。

 職業倫理として異常な行動を取ることは、「プロとして愚かなキャラクターを演じている」という事実をプレイヤーにつきつけてしまい、ゲームへの没入度を下げてしまう。それは物語そのものへのマイナスだ。

③物語的な魅力の欠落

 論理的には矛盾していない、そういうこともあるだろう……。だが、それが「面白くなさそう」なので依頼を断られる、ということは往々にしてある。

 たとえば、食うに困っておらず龍を殺せるほどの実力持つ冒険者のPCたちが、高くもない給料で怪物が出るわけでもない下水道にもぐり、汚物と泥にまみれて清掃業をする、という導入を考えてみよう。

 もちろんGMは、下水道の地下にはおぞましい邪教集団が潜んでおり、下水掃除を行っていたPCたちが邪教集団と激突し、最後には邪教徒どもの呼び出したグレーター・ディーモンと対決して財宝を手にいれる、という物語を考えているかもしれない。

 だが、導入の段階で「やりたくないな」と思われてしまった結果、依頼を断られることはある。プレイヤーに見えているのは、「安い報酬で誰からも感謝されなさそうで、不潔でつまらなそうな下水道の掃除」なのだから。

 これは誰にとっても不幸である。

 もちろん、現実のフリーランスには、生きるためにそういう仕事をしなければならないこともある。

 だが、これは虚構だ。娯楽だ。せっかくだから面白そうな物語を体験したい、とプレイヤーが考えることを止めることはできない。

④不快な依頼人

 単に依頼人が不愉快な人間で、プレイヤーがそいつに一泡吹かせることに楽しみを見いだしてしまう、ということはある。

 これもやむをえないと言わざるを得ない。

 ③同様、やりたくない仕事を断る自由はゲームの中でくらいあってもいいはずだ。

▼ではどうするか?(GM編)
 まず、シナリオ構築時に「シナリオの都合だから依頼を受けてくれ」という言葉をぐっと飲み込もう。それは最後の手段だ。最後になったら使ってもいいが、シナリオ構築の前提にすべきではない。

 ①~④の条件にひっかからない導入かどうか考えてみよう。

 引っかかるのなら(たとえば、メガ・コーポに脅迫されて嫌々仕事をウケさせられるようなシナリオや、金に汚いプロが豚の貯金箱で依頼を受けるような導入)、ハンドアウトや今回予告などで、あらかじめプレイヤーに「こういう話なんだよ」と飲み込ませるようにしよう。あなたが遊ぶシステムが『D&D』や『新クトゥルフ神話TRPG』だったとしても、ハンドアウトや今回予告の使用をためらう理由はなにもない……有効なテクニックはどのゲームでも活用するべきだ。もちろん、そうしなくてもいい。

 セッションを開始してから問題が発覚した場合は、プレイヤーと「どうしたらいいだろう?」と話し合ってみよう。プレイヤーの側も「こうなら依頼を受けられるんだけど」とアイデアを出してくれるはずだ。

 もしくは、とりあえずPCたちのいる場所を悪の組織なりモンスターなりに襲撃させてみる、という手もある。とにかく何らかの理由で依頼人は命を狙われており、PCたちも戦わなければ死んでしまう、とするのである。生命の危機を切り抜けた後に、依頼人から話を聞けばよい。


▼ではどうするか?(プレイヤー編)
 プレイヤーサイドとして「この依頼受ける理由がないな」と思った時は、GMに「GM、確認するけど、この依頼はPCが断ることを想定した導入? そうなら断るし、そうじゃないんなら、ちょっと受けるロールプレイが見当たらないんだ。どうしよう」と相談するのがおすすめだ。

 断る動機が明確な場合、たとえば「金以外興味がない」PCに無償の人助けの依頼が来たとか、メガ・コーポとは組まないのが信条のPCに企業から依頼が来とかの場合は「こうしてくれたら受けられるのだが」って言い添えるとお互いに楽である。

 キャラクターを作成する時に、「そのRPGで一般的な導入を自分のキャラクターは受けられるか?」と考えておくのはよい手法だ。『異界戦記カオスフレア』なら世界を滅ぼすダスクフレアと戦うつもりがあるか、『天下繚乱RPG』なら悪代官や邪悪な妖怪と戦う意志があるか、ということである。

●断るべきだと誤解される

 依頼を断ることから始まるという捻ったオープニングは存在する。

 たとえば、あまりにも怪しい依頼を断った直後、依頼人が突然PCたちの目の前で爆死し、PCたちが嫌疑をかけられる……というようなストーリーだ。

 依頼があまりにも怪しげだったり、依頼人が信頼するに値しなかった場合、プレイヤーは「なるほどこれは依頼を断って欲しいというサインなのだな」と理解することがある。

 それが予定通りならいいが、そうでないなら、「そういうつもりではないのだ」とGMは説明したほうがいい。また、プレイヤーも「この依頼は断ったほうがいいのか?」とGMに聞いてしまったほうが、たいていはスムーズである。

 もちろん複数の依頼が同時に動いており、どれを受けてもよく、あるいは複数の依頼を受けることも可能、というシナリオ(注10)もありえる。

●ルール上の規定

 PCの行動がプレイヤーの意のままにならず、キャラクターの精神的特徴やルール的な処理によってまったく別の方向に流れて行く、というTRPGシステムも存在する。『GURPS』の精神的特徴、『ファー・ローズ・トゥ・ロード』の激情、『新クトゥルフ神話TRPG』の狂気などがそうだ。

 こうしたシステムを適用した結果、もはやGMにもプレイヤーにもどうにもならない理由で依頼を受けられないことはあり得る。
▼ではどうするか?
 こればかりはシステムによるとしか言いようがない。
 個別タイトルへの言及は難しいのだが、GMとプレイヤーはこれまでのガイダンスを参考に、「なるべくお互いが面白く負担にならなくなるように」アドリブとナラティブを生かして面白い物語を作るべきであろうし、またそれが楽しいものであろう。

■ゴルゴ13に学ぶ

 具体的な依頼のテクニックをひとつ解説しよう。

 かの『ゴルゴ13』(さいとう・たかを/リイド社)に学ぶことである。『ブラック・ジャック』や『ザ・シェフ』など、様々な“プロもの”の源流となった同作の主人公、ゴルゴ13の物語(は多くの場合依頼から始まり、その依頼にはルールが存在する。

 そのルールを模倣してシナリオを作ることで、GMはプレイヤーに対し、受け入れやすい導入を提示することができる。

 『ゴルゴ13』のルールは次のようなものだ。

●依頼料は相場を守る

 ゴルゴ13への依頼料は高額であり、その金額に対して依頼人はリスペクトを示し、きちんと支払いを行う。支払われない場合、ゴルゴは依頼を遂行しない。
 依頼料が少額の場合はゴルゴの恩人であったり、子供であったり、同情すべき理由を提示したあとに死んだりする。つまり、ゴルゴには必ず精神的または物質的な報酬が支払われる。

●依頼人は真実を話す

 依頼人は虚偽を交えず、依頼に至る事情をゴルゴに語る。

 ストーリーが進む中で依頼人が語った事情にウソがある場合もあるが、その場合、必ずゴルゴの報復が行われるか、報復が示唆されてシナリオが終了する。

●依頼人はゴルゴを傷つけない

 依頼人はゴルゴを罠にかけて殺そうとしない。少なくとも依頼の場においては。最終的に依頼人がゴルゴを消そうとする場合もあるが、やはりその話数の中でゴルゴに報復される。

●依頼人はゴルゴのスタイルに敬意を払う

 依頼人はゴルゴ13をプロとして扱い、そのやり方を尊重する。

●依頼人は複数の対象に同じ依頼を出さない

 依頼人はゴルゴ13以外のフリーランスに同じ依頼を投げて競わせない。それが判明した場合、ゴルゴは依頼を取り消し、報復を行う。

 以上が、『ゴルゴ13』中で語られたゴルゴの主なルールである。

 これらのルールは、TRPGにおいてPCに依頼を飲ませる時に非常に役に立つ。ゴルゴに対して不利益があった場合、そのシナリオ中で報復が可能だ、というのも、踏まえておくとよいポイントだ。

■終わりに

 依頼はTRPGにおいて、没入の最初の入り口である。

 プレイヤーはGMの依頼になるべく乗っていく方向であるべきだし、GMはプレイヤーが乗りやすい依頼を設定するようにしよう。

 それだけのことなのだが、えらく長くなってしまったのは細部のディテールに筆者が凝りすぎたからであることをお詫びしたい。

 よいTRPGを!

注1:依頼を断ることがシステム的に出来ないTRPGも存在する。これはこれでひとつのアプローチだと筆者は考えるが、本稿ではひとまず一般的な(2021年現在)TRPGについて解説することとしたい。

注2:嘘である。ニュータイプというのはこのような議論を超えてTRPGを楽しむことができる人々である、と信じたい。そうでなければ、私たちの歴史はあまりにも哀しすぎるだろう。

注3:2021年2月現在。これを読んでいるあなたが30世紀の人間で、30世紀のコンピュータRPGではとうにこの問題が解決しているなら、どうか原始人の戯れ言と聞き流して欲しい。
 また、MODによって「望む行動を可能とするためにゲームそのものを改造する」ことについては含まないものとする。

注4:筆者が経験した中で一番脱線がすごかったのは、『MS戦記』のようなジオン軍のパイロットの話をやろうとしたらプレイヤー全員が政治劇を希望した結果、『ギレンの野望TRPG』に移行した時である。当然、GM(筆者)がMS開発ルール、戦略級戦闘ルールなどすべてを開発し、一年戦争を戦い抜く羽目になった。用意したシナリオは使われていない。
 これは筆者がヒマな大学生だったから成立したものである。現在、こんなことをやれと言われたらだいぶ困る。

注5:PCに対する感情移入を“なりきり”と呼び、悪しきものであるかのように語るガイダンスも存在する。そうしたガイダンスでは、“なりきる”ことがセッションの円滑な進行を妨げる(たとえば依頼の拒否)原因であると語られる。
 また、“なりきり”を「キャラクターの口調で話し、すべての行動宣言をキャラクターの演技として行う」というスタイルであると述べる文章もある。
 両者はしばしば混同され、非常にややこしい顛末を招く。
 筆者が原則的に“なりきり”という言葉を用いないのは、そうした誤解を回避するためである。
 ――役に“成り切る”ノウハウについて、“なりきり”という言葉とは別に脚本家として述べてみたい欲もあるが、それについては本稿の扱うところではない。

注6:もちろん、全員が合意しているならそういうプレイスタイルでも構わない。それはそれでひとつのやり方だし、大変楽しいものだ。

注7:えっない。まさかそんなハハハ。

注8:最終的にそう言うしかない局面は確かに存在するが、感情移入し、その世界と相対しているプレイヤーにこうした言葉をいきなり投げつけるのはGMの傲慢と捉えられやすい。プレイヤーたちはGMの生み出した世界に真摯に向き合っているからこそ、シナリオの想定外のリアクションを取っているのかもしれない、という謙虚さは常に忘れずに置きたい。
 その上で、「まあ無理なものは無理だ」と話し合った上で言うことも大事だ。毎度のことだが、万能の銀の弾丸(シルバー・バレット)はどこにもないのである。

注9:もちろんゴブリンの幼体が存在せず、非戦闘員がいない、という背景世界(たとえば『ウォーハンマー』)も存在する。

注10:『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の『魂を喰らう墓』、『ウォーハンマーFRP』の『お返しは歌で』などがこれに当たる。いずれもオープンワールド的に複数依頼をこなすことで多面的な物語が見えてくる傑作である。機会があれば是非プレイしていただきたい。

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