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TRPGガイダンス:敵NPCのつくりかた

 物語において常に敵は必要ではない。ふたりの男女がただ恋に落ちるだけでも、いやなんであればただひとりの中年男がコンビニで夕飯を買って食うだけでも物語は成立する。

 もちろんTRPGにおいてもそうだ。TRPGは自由だ。どのようなプレイスタイルでも成立する――とはいえ。多くのTRPGのヒーローたちには敵が必要だ。

 それが学園を牛耳ろうとする番長連合であれ、商店街に迫る大資本のショッピングモールであれ、財宝に飢えたレッドドラゴンであれ、五次元宇宙から来訪したおぞましき触手の固まりであれ、敵対者たるNPCをどうデザインするかは、TRPGシナリオの欠くべからざる要素だ――と言ってしまってよいのではないか。

 よいということにして、話を始める。

 そういうことになった(注1)。

■敵とは

 さて、戦士にとって敵とは何であろうか。何故人は敵に向かって銃を向けることができるのであろうか。

 戦場において、動くものはすべて敵だ、という考え方もある。だが、実際にはそれは実態から遠く、またドラマにおける敵という概念からも遠い。

 無論、現実の戦争においてはあらゆる人々が戦火の犠牲となる。そこには善も悪もなく、ただ悲惨だけが存在する――。しかし、ドラマという観点で解析すると、これはやはり正しくない。それは犠牲者であって、敵ではないのだ。

 敵とは、PCたちが能動的な意志を持って打ち倒さねばならない存在である。彼らは、敵を打ち倒す(殺害する、でないことに注意せよ)ことによって、己のミッションを達成できると考え、断固たる意志を持って実行するのである。

 敵のキャラクター性は、おおむね次のようなものとなるであろう。

●敵兵


 そんな馬鹿な、と“血目の”バンジャブは我が目を信じられず目をこすった。だが、確かに稜線で何かがキラリと光ったのだ。あの輝きは、髭小人どもの戦斧に違いない!
「ありえネエ! あのヒゲダルマども、“血吸い峠”を超えてきやがったんだ! デモどうして!? あそこは葉っぱ妖精どもの縄張りだ! ヒゲダルマを通すことなんて……!」
 瞬時にバンジャブの隣にいたゴブリンが二匹、森妖精の長弓に射られて即死した。
 なんということだろう。髭小人族と森妖精族は、地球から来た高校生の檄に応じ、旧来の怨恨を捨てて立ちあがったのだ――!

 もっとも多くPCたちの前に立ちふさがるのがこれである。敵兵はPCたちが敵対する動機を持っているが、個人としては敵意がない。

 敵国の兵士がそうであるし、PCたちのサイフを狙うスリや詐欺師などもそうであろう。彼らはPCたち個人が憎いのではなく、あくまで仕事だからやっているのである。単なるモンスターや猛獣、ゾンビの大群や心なき邪神の下僕もこれにあたるだろう。

 こうした敵兵は、名前のあるゲストではなくエネミー、特にモブとして登場することがふさわしい。中盤での障害、およびBOSSとしての登場は適切ではないだろう。

 なぜなら、恨みもなく悪意もなく、倒すことがあくまで仕事でしかない相手との戦いにドラマはないからだ。

 もちろんシナリオの傾向にもよる。たとえば戦闘能力のない黒幕を追い詰めるシナリオであったり、制限時間まで爆破装置を防衛するようなシナリオであれば、敵兵がBOSSであっても構わない。
▼敵兵が仇敵となる
 敵兵をロールプレイしているうちに、彼らに人格が芽生えることがある。妙にクリティカルを出してPCの攻撃を回避し続けた敵パイロットがいつのまにかエース扱いされたり、最後のひとりになったモブが「貴様らをいつか殺してやる!」と叫んだりするアレである。

 こうした敵兵をゲストに昇格させるのは面白い。もはや彼は単なる仕事でそこにいる存在ではなく、PCたちと戦うべき存在となったのである。

●仇敵

「俺の顔を忘れたか」
 グレインは愛機〈ビクトリア〉のコクピットからから顔を出すと、左目の傷を見せつけた。そうだ、このために自分は生きてきた。このためにカオスフレアとして――戦い続けて来たのだ。
「3年前、貴様が俺からすべてを奪った時の傷だ。この傷が痛むたび、俺は奪われたものを思い出す」
 妻、産まれてくるはずだった娘、農場の人々。
 平凡な農夫だったグレイン・マッケンナはあの時に死んだのだ。
「今度は、貴様が奪われる番だ、クラウセンタ・バール!」
 グレインの〈ビクトリア〉がビームライフルを構えた。
 殺すつもりだった。
 今度こそ。

 PCにとって、個人的な因縁がある敵である。この因縁はシナリオ、あるいはキャンペーンを通して結ばれることもあるだろうが、多くの場合はプリプレイにおいてハンドアウトで提示されることになるだろう。

 仇敵を倒すことそのものがシナリオの目的であってもよいし、当初はただの仕事だと思われていたものに仇敵が関わってくる、というのもドラマチックなものである。

 多くの場合仇敵とPCとの関係は恨み、というものになるだろう。戦争やテロによって大切なものを奪われた、というのが大きな要素となるはずだ。

 もちろんそれだけではない。単に敗北したり出し抜かれたので、仇敵を倒さなければならない、というのも立派なモチベーションだ。

 いずれにせよ、仇敵を倒さなければPCは前進できない。

 彼を打ち倒す(それは殺すとは限らない)ことが、PCの精神的成長、あるいはトラウマの克服につながる、というのがドラマとして重要な要素といえるだろう。

●邪悪な敵


 濃密な血の臭いと内臓の臭いが入り交じった異臭が鼻孔を刺す。電脳は不快な情報をシャットダウンしているはずだが、大脳に刻まれた記憶が自動的に“記憶の中の悪臭”を再生しているのだ――戦場はどこであろうと変わらない。ジェノサイドの臭い。スプロールのありふれた臭い。
 転がっているのは、小さな手首と安っぽいヌイグルミ。この場で何が行なわれていたのかは明白だ。
「……いつも通りさ。これが戦場の現実だ。おまえだってやっていることだ。そうじゃないか、チューマ?」
 ヤツの声がする。
 嗤っている。
「違う!」
 叫んだ。臓腑の底から叫んだ。
「貴様がやっているのは殺しだ! 楽しんで殺している! 貴様と猟奇殺人犯には何の違いもない! メガ・コーポがバックについていれば、貴様がエド・ゲインじゃなくなるってことはないんだよ!」

 その心性そのものが邪悪な存在、というのは存在する。正義は相対的だ、という話をしているのではない。

 強姦、拷問、虐殺、侵略、麻薬売買、幼児虐待、少年兵の使役……いかなる正義を掲げていたとしても許容されない行為を行なう敵、それが邪悪な敵だ

 邪悪な敵は、あらゆるPCにとってモチベーションを与える存在である。必ずしも戦闘能力を持っている必要はない。

 たとえば、そのカリスマ性によって第二のヒトラーたらんとする独裁者が屈強な戦士である必要はないのだ。彼を倒すために苛烈な戦闘が必要になれば、それでよいのである。

●超えるべき壁

 その太刀筋には覚えがあった。忘れるはずがない。裏柳生師範代としての彼と立ち会うこと八十と七回。一度たりとも勝てたことがない。氷の一眼斎、彼はそう呼ばれていた。
「立たぬか、紫暮」
 彼は刀を突きつけると、おごそかにそう告げた。あの時と同じ、師範としての威厳ある声であった。
「噂の〈宿命管理局〉の鍛え方はそんなものなのか? 貴様は私を柳生の面汚しと言ったが、私に言わせれば違う。貴様の刃には迷いがある。そんな男が、柳生の誉れを語るのか? なんとも愉快なものだな」

 越えるべき壁、としての敵役は何らかの理由によってPCの師匠、あるいは疑似的な親として振る舞う存在である。

 彼は尊敬できる存在であるが、何らかの理由によってPCたちの敵となっている。それは信念の故かもしれないし、金のためかもしれないし、麻薬やアルコールに堕落したからかもしれないし、愛のためであるかもしれない。

 もしかしたら、PCのために敵組織に潜入し、内部から破壊しようとしているのかもしれない。

 超えるべき壁との戦いは、PCに葛藤をもたらす。彼との戦いは避けられないものでなければならず、そして彼はPCに戦いを迫る。

 そして、PCは彼と戦う、ということによって師匠超えを果たし、人間としての自立を果たすのである。

●誘惑者


 その女の肢体からは、みだらな匂いがした。猥褻なだけではない。金と麻薬、膝頭まで悪徳に浸かった人間だけが持つ異臭だ。下着の上には、絶滅危惧種の毛皮のコート一枚。咥えた煙管から漂う煙は、タバコではないだろう。頭の先まで頽廃のヘドロに浸かった、反吐が出るほど華麗な女。
「あなたは〈宿命管理局〉にふさわしくないわ。あなたは私と来て、世界を変えるべきよ。そう思わない?」

 誘惑者は、PCたちを敵方に引き込もうとする存在だ。彼らは自分たちの魅力、大義名分、利益といったものを武器として、PCたちを取り込もうとする。

 彼らの論理は、PCたちのよって立つ正義を裏打ちするものである。つまり、「その誘惑をなぜNOと言うのか」によって、PCのカッコよさが際立つのだ。

 つまりこうだ。「金のためにやってるんじゃない」「あんたのそれは愛じゃない」「私には心に決めた人がいる」「そんな汚れた金は受け取れない」「誰かを踏みにじる正義は正義じゃない」……PCのそうしたセリフを引き出すために、誘惑者は大切な存在だ。

 誘惑者は戦闘能力をもっていてもいいが、そうでなくてもよい。むしろ、戦闘能力を一切持たず、非武装であったほうが緊張感は強まる。あなたのヒーローは、非武装の使者を撃ち殺すような人間だろうか? たとえそいつが、毒薬より危険であっても――!

●小悪党

 その男は、男というよりはむしろ潰れかかったガマガエルがアルビオン王国製のツイードのスーツを着ているという塩梅の風体であった。
「か、金なら出す! いくらでもあるんだ! あの奴隷どもに掘らせたダイヤモンドが、ほら、こんなにある! それとも欲しいのはヤクか!? それなら床下に山ほどある! だから見逃してくれ!」

 小悪党は多くの場合、コミックリリーフであり、気兼ねなく登場させられる悪人である。彼らは目を背けるような邪悪でも、堂々たる理想でもなく、もっと小さなこと、あなたや私が理解できる程度の欲望のために行動する。

 つまり、スイス銀行の預金残高を増やしたり、美しい男女を我が物としたり、虎の敷物を敷いた屋敷で貧しい人々を虐げて悦に入ったりするのだ。

 小悪党がBOSSになることは珍しい。多くの場合彼は物語を彩る存在であるか、さもなければ“超えるべき壁”などを雇っている卑しいクライアントとして登場することになるだろう。

 同時に小悪党にはメリットもある。彼の動機は人間的であり、非合理的なものである、ということだ。

 つまりドラマを動かすのに納得の行く動機を与えてくれるのである。彼は嫉妬の念からPCたちを打ち倒そうとする英雄の補給を妨害するかもしれない。侮辱された、という屈辱から独裁者を狙撃するかも知れない。PCのひとりに惚れ込んでしまったために組織を裏切るかもしれない。

 小悪党は命を賭して戦うような勇敢な人物でも信念の存在でもない。だからこそ、上手く描写することで物語世界にリアリティを与えることができる。なぜなら、彼は我々にもっとも近い存在であるからだ。

●トリックスター


「さぁ、ゲームを始めようじゃないか」
 テロリストの言葉は、六条武蔵をひどく苛立たせた。
「僕が耐えられないものがふたつある。パッケージイラストのヒロインが攻略できないギャルゲーと、そのセリフを口にする陳腐な悪役だ!」

 トリックスターは、純粋な悪意や興味、好奇心によって行動する悪役だ。『バットマン』のジョーカーや、現実のシリアルキラーがこれに当たる。

 彼らは自分にしか理解できない理由で行動し、犯罪を犯す。そのためどんな動機のシナリオでもトリックスターを使えば作ることができる

 しかし、これはGMへの罠でもある。その結果、トリックスターはPCの行動によって「これも思い通り!」「ああ楽しかった!」と繰り返すことで負けなくなってしまったり、単にシナリオの都合に奉仕するキャラクターになることがしばしばあるからだ。

 トリックスターを上手に描写するコツは、彼が驚き、負ける方法をちゃんと考えることだ。そうすれば、彼は生き生きとした存在になるだろう。最後にPCがトリックスターを倒してどうスカッとするか、そこまで考えられれば、これほど魅力的な悪役もいないのだ。

●敵国民

「やめてください。ここは平和的な難民キャンプです。薬も水も足りない。もめ事には関わりたくないんだ」
 そう言った女は、ボロの下に鍛え込まれた筋肉を隠していた。その体から漂う火薬の臭いは、ただ戦場漁りでしみついたものとは考えにくかった。

 敵対勢力(国家とは限らない。テロリストや麻薬組織の支配地域もこれに含まれる。敵対するヤンキー組織の母校などもこれに含まれよう)に従属している非武装の市民である。こうした市民を好き好んで殺そうとするPCは存在しないだろう(注2)。

 敵国民はPCに対して脅威になることがなく、また本人たちも悪意をもって振る舞うことはない。

 だが、PCたちの存在を敵兵に通報したり、何らかのサボタージュを行なうことはある。つまり、PCたちにとって敵国民は回避しなければならない障害なのだ。殺したり傷つけたりすることなく、交渉したり隠密行動で回避したりして、油断なく任務を達成することが求められるだろう。

 もちろん、敵国民のすべてが敵勢力に対して忠誠とは限らない。体制に不満を持ち、密かに反抗を企んでいる人々もいるだろう。そうした人々はヒーローたちの潜在的協力者たり得る。だが、本当にそうか? その願望を逆手に取った敵のスパイかもしれない――。
▼邪悪な敵国民
 シナリオアイデアとしては、本来のミッションとは別に、無害そうな敵国民が邪悪な意志の持ち主だった、というサブプロットも考えられる。

 たとえば、PCたちが旅人のふりをして潜入した安宿の店主の様子がおかしい。地下室に潜っていき、何時間も悲鳴が響くのだ。彼は子供を虐待しているのだろうか? それとも猟奇殺人犯なのだろうか? 単に明日の朝食の鶏をPCたちに用意してくれようとしているのだろうか? もちろん、何も聞かなかったことにするのは自由だ――だが――?

●英雄

 バルコニーに立つクレイド将軍は、集まった十万人の市民を同時に見ていた。しかし、同時に彼はまるで、ひとりひとりに語りかけているかのようだった。
「諸君! 〈神炎同盟〉は私を独裁者と呼んでいる! だが、私は虐げられている諸君のために立ちあがった男だ! 今私が倒れれば、この国は内戦に逆戻りする! それだけは許されないのだ!」
 万雷の拍手が将軍を包んでいた。彼はまるで、この小国のメシアだった。

 英雄はPCたちにとってもっとも恐るべき敵である。彼は偉大なビジョンを持ち、世界を本気で変えようとしている。そのためなら世界の平和、PCたちが守ろうとしている国際秩序を破壊することも厭わない夢想家である。

 彼は本当に英雄と呼ぶべき存在だろうか? PCたちはまず、そこを問うことになるだろう。

 もしかしたら彼は、かつて英雄と呼ばれた人々の多くがそうであるように、裏では悪事を働き私腹を肥やしているかもしれない。あるいは清廉潔白な人物であっても、その大義のために非道を行なっていたり、ひどい失政を行なっているのかもしれない。そうした場合は、それを暴き、弾劾することがPCたちの目的となるだろう。

 だがそうでなかった場合、つまりPCたちが共感できる偉大な存在であった場合は、PCたちはより大きな葛藤を強いられる。多くの場合、最後に英雄が成し遂げようとする行為の犠牲の大きさを知って彼を止めようとするか、英雄自身が何らかの兇弾に倒れて彼の志が歪んでいくのを知り、彼の理解者として彼の帝国に立ち向かうことになろう。

■敵をショウアップする

 ドラマにおいて、敵はPCよりも相対的には悪人でなければならない。

 聖人たちの視点でみれば武器をもって正義を成し遂げようとする冒険者や探索者たちも悪であるかもしれないが、それでも人々を虐げたり、盗んだりする存在よりは“まだマシ”であるはずであり、ドラマとしての納得度は“まだマシ”によってもたらされる。

 たとえPCたちがギャングやヤクザ、宇宙海賊であったとしても、敵はよりPCたちより非道であり、仁義を踏みにじり、「オレたち悪党ですらそこまではしねえぜ」と言わせるべき邪悪であることが望ましいのだ。

 だが、敵の強大さ、あるいは邪悪さを描写するのは難しい。

 なぜならTRPGのストーリーはPCの視点で描写されるため、悪事が働かれていたら当然ながらPCが妨害するからだ。(もちろん、妨害してよいし、そういうシーンはバンバン作るべきである)

 そのため、ビデオや日記などは重要である。PCたちは過去には干渉できないからだ。あるいは、焼けた村や死体の山、というすでに行なわれた過去を見せつけることもできるし、マスターシーンに切り替えることもできる。

 マスターシーンで「一方その頃」と敵方にカメラを振るのも有効なテクニックだ。敵方の事情を説明することもできるし、敵方のドラマを進めることもできる。

 こうした手法を“吟遊詩人マスター”(注3)と嫌う人もいるが、これは違う。NPCの事情を語って問題になるのは、GMの物語をただ聞かせる存在としてプレイヤーを扱っているときだけだ。あなたが敵を打ち倒すべき、PCたちが出し抜くべき存在として扱っている限りにおいては、敵の設定や行動はどれほど豊潤でも構わないのである。

 TRPGはFPSのようなゲームではない。戦うにはそれに値する理由がいる。引き金を引いて人を殺すには、命を賭けて戦場に出るためには物語的な動機が必要となる。それは敵という形がもっとも容易であり、また戦場という場所においてはもっとも適切だとも言えるだろう。

 あなただけの敵を生み出し、物語をより豊かにしてもらいたい。

注1:筆者の主観世界で。

注2:『モンスター! モンスター!』のように意図的に悪役を演じるTRPGについてはまた別だ。

注3:いわゆる“吟遊詩人マスター”および、この語によって不当に貶められている感のある“吟遊詩人”についてはいずれ語りたい。

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