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八橋先生の表札 その3(最終回)

「もし愛する人が、鶴だったら」番外編

(cf. もしツル Scene 10


『先生、八橋先生、どうしたんですか?』

遠くで誰かがわしの名前を呼んでいた。目の前にぼんやりした人の顔が見えた。だんだん目の焦点が合ってくると、鮎子君の心配そうな顔が目に映った。

『目が覚めましたか。何だかすごく、うなされてましたよ』
彼女はそう言いながら、机の上にきんつばとお茶を置いてくれた。わしはしばらく言葉が出なかった。熱いお茶を一口飲んで少し落ち着いてから、
『昔の夢を見ていたんだ。もう大丈夫』
と言うと、鮎子君は安心した表情で、
『それはよかったです。それはそうと、ねえ先生、東京オリンピックはどうなると思いますか』と話しかけてきた。
『オリンピック? 東洋の魔女たちがバレーボールで金メダルを取った。柔道は、ヘーシンクの野郎に金メダルを取られてしまった』と言うと、
『先生、それは前回のオリンピックのことでしょう。私が言っているのは今年のオリンピックのことですよ』
『えーっと……今年は何年だったかな?』
『2021年ですよ。しっかりしてください。まだ寝ぼけているんですか?』と、鮎子君は笑った。

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『先生、前から聞こうと思っていたんですけど、研究室のドアーに掛かっている汚い表札は何ですか?』
『あれか……、あれは両親の形見じゃよ』
 わしは菓子皿に置かれたきんつばを一つ手に取り、窓越しに広がる伊勢の山々を見ながら、記憶の底から浮かび上がってきた遠い昭和の父と母の顔を思い描いた。

 そうか、今年は2021年だった。あれから57年が過ぎたんだ。長女が生まれたのが1994年、その長女が結婚して4年。父と母が抱けなかった孫も生まれた。貧しかった昭和30年代が過ぎると、日本の生活は見違えるほど発展した。その後、さまざまな矛盾が一気に噴き出し、21世紀に入ると大災害が繰り返しこの国を襲ってきた。父と母は、豊かになった日本も、大災害に見舞われた日本も知らずに逝ってしまった。
 その激変を見なかった二人は幸せだったかもしれない。しかし、わしは思う。恐ろしい想像を乗り越えて幸せな想像に至る過程を、とにかく生きることが大切だと……。父も母も早すぎたのだ。

『あれ、焼け焦げてますよね』
鮎子君の声が後ろから聞こえた。それには答えず、
『鮎子君、長生きするんだよ。生きてさえいれば、辛いことがあっても何とかなるもんだ』
と言って、手に持ったきんつばを一口食べた。

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 今日の八橋先生はいつもと違っていた。私はそれに戸惑ったけれど、ちょっと見直した。後ろ姿を見ながらそれを伝えようとした時、先生の、
『あっ!』という叫び声が聞こえた。

 突然のことに私は事態が呑み込めなかった。先生はすさまじい形相をして振り返り、
『カラスの野郎にきんつばを取られた! おのれ、今日という今日は許さんぞ!』と言いながら、書架の隅に立てかけてあるタモ網を握り締めて研究室を駆け出して行った。
 その後ろ姿を唖然として見送りながら、私は「生きてさえいれば、辛いことがあっても何とかなるもんだ」という先生の言葉の意味を考えてみた。そして私は思った。

世の中には、ネオン街で反吐を吐く酔っ払いがいる。昼下がりのケーキバイキングを楽しみにしている人がいる。そんな、取るに足りない当たり前の日常こそ、私たちにとって唯一の確かな世界なのだと、先生は言いたかったのかもしれないと。

 そんなことを考えていると、窓の外から、
『この野郎、じたばたせずにお縄につけ!』という八橋先生の大きな声が聞こえてきた。私は、窓から身を乗り出して、
『八橋先生~、カラスなんかに負けないでね! まだ、きんつば残ってますからね~』
と言って手を振った。

 私の言葉は耳に届いていないらしい。先生は息を切らしながら、一羽の小さなカラスめがけて何度もタモ網を振り下ろしていた。

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―了―

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