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八橋先生の表札 その2

「もし愛する人が、鶴だったら」番外篇

(cf. もしツル Scene 10


 30年前の7月20日。僕は小学2年生で、翌日からは楽しい夏休みだった。泳ぎにいったり夜店にいったり、思う存分遊び回っても許される日々が明日から始まる。そんなワクワクするような夜になっていた、はずだった。なのに僕は、夏風邪で40℃近い熱を出していた。医者はこじらせると厄介だからと、『おとなしく寝てなさい』と言って太い注射を打って帰って行った。

 夜中の12時頃、南木荘は火に包まれた。後でわかったことだが、放火であった。
 父が火事に気づいたときは、もう入口には火が回り、たったひとつの東側の窓は煙に覆われていた。父と母は自分たちだけなら助かったかもしれない。でも病気の僕が火や煙のなかをくぐっていく事はとても無理だと思ったのだろう。六畳間で、父は僕を膝の上に抱き、母は僕の手を握りしめていた。

 そのとき、東側の窓ガラスを破って一人の消防隊員が突入してきた。
『大丈夫か?』、その隊員は大声で尋ねた。
『子どもを!』、父は叫んだ。それが最後に聞いた父の声だった。
 消防士は、僕を抱きかかえて、二階の窓に掛けられた梯子を降り切った。そのとき背後で、屋根が崩れる大きな音がした。

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『さて、そろそろ時間が来たようだ』
 父が静かにそう言って入口の方を見た。
 母は小さな声で『あっと言う間だね…』 と言った。
 三畳間を見るとドアーの隙間から少しずつ煙が侵入しはじめていた。
『父さん母さんも一緒にいこう!』、二人を見て叫んだ。
『37歳にもなって、聞き分けのないことを言うな』
『辰之助、生まれてくる子どもをお嫁さんと二人で大切にしてね』
 母の笑顔はとても穏やかだった。母に言葉を掛けたかったが、何を話していいのかわからなかった。
 そのとき、父の膝でうとうとしていた7歳の僕が目を開けて、
『もう、いいかげんに諦めろ!』と言った。これが本当に病気の子どもか? と驚くほどの、激しい調子だった。それは、自分自身を突き放す強烈な言葉だった。僕はスーツケースを抱えて立ち上がり、父と母に別れを告げた。
『父さん、母さん、逢えてよかった』
『しっかり生きろよ』、父は力強く言葉を結び、母は寂しそうに微笑んでいた。


 部屋を出て行く時、蒲鉾板の表札をドアのベニヤ板から引きはがして、スーツケースに押し込んだ。廊下には煙が充満し、炎も回り始めていた。階段の手前まで行くと、あの酔っ払いがまだ座り込んで一升瓶を抱えていた。

『おい兄ちゃん! 一杯飲まんか?』

 泥酔状態のその男は、今何が起こっているのかまったく理解していないようだった。その男の腕を抱えて起こしてやろうとしたとき、廊下の向こうから母が追いかけてきた。

 『辰ちゃん、行かないで!』と言って、母は僕の左腕をきつく掴んできた。暴力的と言ってもいいぐらいの力の強さに、僕はたじろいだ。悲しげでありながら恨みを含んだ母の眼を見ると、一瞬、「戻るべきかもしれない」と思って、逃げるのを躊躇った。

 そのとき、入口の横にしゃがみこんでいた酔っ払いが、目を開けると、『火事だあ!』と叫んで立ち上がった。男は僕と母の間に割り込むような形になり、母は思わず手を離した。
 母はあまりにも強く腕を引っ張っていたために、反動で仰向けになって、廊下に倒れて頭を打った。僕は僕で、廊下をよろけてバランスを失い、階段を踏み外して一気に転げ落ち、そのまま気を失った。

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つづく

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