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大人が思うほど子供は「子供」ではない

そして、子供が思うほど大人は「大人」でもない。

こんにちは、天野こだちです。
我が家では夕飯時、NHK総合がかかっています。
ずっと昔からの習慣で、今も首都圏ネットワーク(関東ローカル)を見ながら、夕飯を食べています。
だからか、自分が子供だった頃のことと、今の子供たちに共通することがあるなと感じたので、シェアします。
親の立場だったら、耳の痛い話もあるかも? です。
※私は医師ではありません。医療関係者でもありません。あくまでも「私が」感じた/考えたことを、シェアしています。情報の中で気になることがあれば、専門の精神科医にご相談下さいね。

子供は本当に「子供」なのか?

子供に「あのね」と話しかけられた時、時間を取って向き合っていますか?
先に済ませなければならないことがあったとして、後で、「さっきはなんだったの?」と、改めて聞いていますか?
そして、あなたが子供の時、親や周囲の大人たちに、こういう対応をしてもらえていましたか?
してもらえなかったことがありますか?
その時あなたは、どんな気持ちでしたか?
「してもらえない」が繰り返された時、あなたはどんな気持ちになりましたか?
「あきらめ」ませんでしたか?
幼い子供が話をする時、筋道を立ててスラスラ話せる子供は、ほぼいません。
大人が「取り留めのない話」だと思ってスルーしていると、子供はそのうち話をしなくなります。
話をすることを諦めたのではなく、話を聞いてくれない「大人を」あきらめたのかもしれません。
同時に、「聞いてくれるように上手に話が出来ない自分」に、失望したかもしれません。
「自分が気持ちをうまく伝えられていたら、大人は話を聞いてくれただろうか」と、後悔したかもしれません。
あなたが覚えていなくても、自覚がなくても。

頭の中に膨大な言葉が詰まっている子供の存在

頭脳も精神も、正しく「子供」である子供の方が、多いことは事実です。
無邪気に泣き笑い、喚き、かんしゃくを起こしたと、成長してから周囲の大人たちに思い出話をされた記憶がある人も、多いでしょう。
でも、「そうでない子供だった人たち」は、一定数存在します。
例えば、「おとなしい子」。
または「落ち着いた子」。
更には「言うことをきくいい子」。
正しくは、以下のようになります。
「(年齢の割に)おとなしい子」、「(年齢の割に)落ち着いた子」、「(年齢の割に)言うことをきくいい子」。
本当にそうでしょうか?
大人の都合のいいように解釈しているだけで、子供がそうせざるを得ない状況に追い込んでいるのでは?

頭脳も精神も大人。
なのに、身体的な機能は一般的な子供と同じだから、頭の中に詰まっている膨大な言葉を、口にして表現すること自体を知らない、した時にどうなるかを先に考えてしまう子供も、一定数居るのです。
でもそのことを、大半の大人は知らない。
「子供は『子供という生き物』」だと思い込んでいるから。

「子供の姿をした大人」の子供たち

彼らは、頭脳も精神も大人だけれど、身体的機能は子供だからか、大人に侮られがちです。
自分の気持ちを正しく表現しようとは、しています。
彼らは「子供の姿をした大人」だから、「理解されようとする努力」も、「理解してもらいたい」という欲も、持っているからです。
でも、そうした時に大人に理解されない/受け入れられない/馬鹿にされることも、多々あります。
理解出来ない大人がイラついて、怒鳴られることもあるかも知れません。
理不尽なのは、いつでも大人の方ですから。
一度だけなら、それほど傷つかないかもしれません。
彼らは「次はもっと言葉を尽くそう」と努力もしますし、「理解してもらえるように」と、チャレンジもします。
努力して、チャレンジもして、でも周囲の大人たちに、理解されない/受け入れられない/馬鹿にされるを、何度も繰り返されたらどうなるでしょう?
「子供の姿をした大人」の子供たちは、「諦めてしまいます」。
努力してもチャレンジしても、理解されない/受け入れられない/馬鹿にされるのなら、「何も言わない方がマシだ」。
何故なら、彼らは「子供の姿をした大人」だから、傷ついて疲れて、努力やチャレンジすることを諦めてしまう。
大人になった大人の私たちが、自分の気持ちや意見を口にした時に、否定や拒絶を繰り返された結果、心が折れてしまうことと同じです。
つまりは、彼らの成功体験を奪ってしまっているのが、大半の大人です。

彼らが「子供の姿をした大人」の子供たちだということを、認識していない、理解できない、大半の大人たちです。

「大人の姿をした子供」の大人たち

「子供の姿をした大人」が居れば、当然、「大人の姿をした子供」もいます。
身体的には大人になっているけれど、頭脳も精神も子供のまま成長が止まっている大人、です。
頭脳や精神の成長が止まっていると、体が成長するにつれて知識や経験を吸収することで培う、想像力や判断力の成長が、途中で止まります。
これは私が社会に出る前から20年以上、ずっと接客業だったことで、何万人という「ひと」と接してきた知識と経験から、導き出された答えです。
あなたの周囲、特に家族や親族など身近なところに、「いい歳してガキみたいなオッサン/オバサンだな!」と感じる人は、いませんか?
あなた自身は、その人に、幼い頃にからかわれたり侮られたりした記憶は、ありませんか?
それは一回だけでしたか?
ごく普通の一般的な子供だった(かもしれない)あなたは、その時どんな気持ちでしたか?
今そのことを思い出して、どんな気持ちですか?
もしもあなたが、「とても嫌な気持ちだった」のなら、どうか、その時あなたが「とても嫌な気持ちだった」んだなと、認めてあげて下さいね。
その時のあなたに向けて、「辛かった/悔しかった/悲しかったね」と、声をかけてあげて下さいね。
あなたがその時、「とても嫌な気持ちだった」ことは、事実なのですから。

そして悲しいことに、その「大人の姿をした子供」に傷つけられ、「いい子」にならざるを得なかった子供たちは、今もたくさん存在しているのです。

大人の都合の「いい子」を作るのは大人

「子供の姿をした大人」たちを、大人の都合の「いい子」にしてしまうのは、大半の大人たちです。
「大人の姿をした子供」だけでなく、ごく一般的な大人も、自分の都合のいいように行動してくれる子供を、「いい子」と表現しがちです
でもそれはあくまで、「子供の姿をした大人」の彼らが、周囲の大人の都合のいい子供を演じてくれているからです。
本当は彼らだって無邪気に笑ったり泣いたり、喚いたり、かんしゃくを起こしたりしたいのです。
するべきでもあります。
何度も言いますが、身体的には子供だからです。
精神が大人だとしても、感情を感じているのは、子供の体の中の脳がホルモンを分泌しているから。
子供の体のサイズの脳が分泌出来るホルモンは、大人よりもずっと少ないし、その回路も少ないのです。
ホルモンの分泌量は、刺激を繰り返すことで多くもなります。
でも彼らの体は、あくまでも子供の体です。
「嬉しい!」「楽しい!」と同じくらい、「悲しい!」「悔しい!」などの感情を爆発させ、体と感情を、頭脳や精神と同じくらい成長させる必要が、本当はあるのです。
でも、大人の都合の「いい子」は、大人を困らせたり、煩わしいと思われたりすることは、ほとんどしません。
大人に、「困る」「煩わしい」「うるさい」などと言われることを、彼らは知っています。
そう言われることで、自分が傷つくことも知っています。
何度も傷ついてきたら、傷つくことを恐れます。
誰だって、傷つくことはしたくない。
心が痛いから。
でも彼らは、泣いたり喚いたり「しない」を、選択する。
泣いたり喚いたりすることそのものが、「=自分が傷つくこと」だと回路を変更せざるを得なかったからです。
だから彼らは、大人の都合の「いい子」を演じてくれます。
でもそれは、彼らが成長したのではありません。
彼らが大人を「諦めた」だけです。

あなたは、子供の時に「嬉しい!」「楽しい!」と笑うのと同じくらい、「悲しい!」「悔しい!」と、怒ったり泣いたりしましたか?
あなたの意志でしたか?
あなたが親の立場として、あなたの子供は、「嬉しい!」「楽しい!」と笑うのと同じくらい、「悲しい!」「悔しい!」と、怒ったり泣いたりしますか?
それは子供たち自身の意志ですか?

成功体験か?失敗体験か?

色々な人とコミュニケーションをうまく取れなくて、「自分は(いわゆる)コミュ障」だと、思い込む人がいます。
言語を扱って他者とコミュニケーションをとることが難しいのが、「言語を扱う機能が足りない/働いていない/働きが不完全」などの理由があれば、あるいは診断名がつくかもしれません。
でも、本来の診断名としての「コミュニケーション障害群」とは、ちがう人が多数だなと、感じています。
それが、第二項の「頭の中に膨大な言葉が詰まっている子供」のように感じています。
言葉として気持ちを自分の口で表現することを、うんと幼いうちに「諦めてしまった(そのことは覚えていない/自覚していない)」ひとは、頭の中に詰まっている膨大な言葉を「口で表現する」という回路そのものが、つながりにくいように見えます。
言葉を出すことは訓練が必要です。
今まさに幼い子供を育てている親、もしくは、かつて幼い子供を育てていた親の立場の人なら、理解出来ると思います。
言葉の発達のために、出始めは、たくさん練習しましたよね。
成長するにつれ、感情がもっと細分化され、語彙も増え、子供が自分の気持ちを表現する幅も格段に増えます。
でも、「頭の中に膨大な言葉が詰まっている子供」、且つ、大人の都合の「いい子」を演じている「子供の姿をした大人」の子供たちは、必ずしもそうではない。
「幼い頃は口が達者だったのに、だんだんしゃべらなくなってしまった」人がいるとします。
その人の幼い頃の話をよく聞くと、どこかで大人に「うるさい」「困らせないで」「今忙しいから後にして(と言いつつ後で聞かないで放置)」と言われて、いつの間にか「親と話すのをやめた」ことに、気付きます。
何故「親と話すのをやめた」のか?
親に「理解されない/受け入れられない/馬鹿にされる」を、失敗体験として学習してしまったからです。

「親と話すのをやめた」のは、私のことです。
特に母に、理解されない/受け入れられない(馬鹿にされるはさすがにないですが)があまりにも多すぎ、大きすぎて、「会話としてのキャッチボールが出来ない人と話すのは疲れるからやめた」、私のことです。
もし母が、「理解してくれた/受け入れてくれた/(馬鹿にしなかった)」という成功体験を、少しでも私に与えていてくれたら、母との関係も、その他の人間関係も、もう少し一般的なものだったかもしれません。
でもその成功体験は、記憶に残らない程度しか、なかった。
「頭の中に膨大な言葉が詰まっている子供」だった私は、「大人ってその程度なんだな」と学習してしまいました。
周囲の大人たちもたいがいだったので、仕方ないかもしれませんが。

子供は「子供という生き物」ではない

当然、親は「親という生き物」ではない。
つまりは、親と子であっても、「人間対人間」だということを、忘れてしまっている人ばかりだということです。
子供を育ててるのではなく、【人間を育てている】のです。
親も、彼らを取り巻く社会も、全て。
だから、彼らに向ける言葉にも気を付けなければならない。
大抵は、親や社会が「自分に向けられて/向けてきた言葉」を、子供にそっくりそのまま向けています。
親も周囲の大人たちも、親という役目を負っただけの人間が育てた、子供と言う役目を負っただけの人間だからです。

最後に

あなたが子供だった時の辛かった/悲しかった/悔しかった気持ちを、どうか、あなたの周囲の子供たちに、出来るだけさせないで下さいね。
彼らは体が小さいだけ。
身体的に小さい分、数年生きてきただけの機能しか持たないだけ。
本来彼らが必要としている自分を表現する術も、今は持っていないだけです。

子供は、「子供という生き物」ではありません。
大人もまた、「大人という生き物」ではありません。
どちらも、一人の人間です。

あなたが子供の頃、親や周囲の大人たちにされた「嫌な気持ちになること」を、どうか、あなたの周囲の子供たちに、繰り返さないで下さいね。

***

私の「霊感セッション」では、子供の頃に、大きな引っ掛かりを感じている方の、「引っ掛かりの種」が何かを探って、癒してもいます。
見つけて、抱きしめて、「一緒に頑張ってくれてありがとう」と言えるチャンスを、作っています。

その他、霊感を使用するメニュー、しないメニュー、物販もあります。

心が上げている悲鳴に、気付いてあげて下さいね。
自分のことも、他人のことも。

2023年12月7日
天野こだち

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