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アメリカ海軍基地で仕事を始めて一か月

遅めの社会人になった24歳から9年ほど、東京でPRやマーケティングの仕事をしてきました。一社目はPR会社で約5年、二社目もPR会社で約1年、三社目はパソコンメーカーのPR・マーケティング担当で約3年。仕事と仕事の間で無職になった期間はどの転職期間でもあったので仕事をしない生活は経験がありましたが、結婚をして昨年夏に東京から佐世保に引っ越してさらに年末に佐世保からアメリカに引っ越しをしていたこの5ヶ月は完全にプー太郎状態でした。

今いるRhode Island州はおそらく今年夏までの滞在で、この次はアメリカに行くのか日本に行くのかはたまた違う国に行くのかいま現在わからないという状況で、自分の車もなく運転もままならず家から出れない生活がストレスになっていたときに見つけたのが、基地での仕事。基地のなかのユニフォームストアで働き始めてはや1ヶ月が経ちました。私にとってアメリカでのお給料をもらう初めての仕事です。

最初の1, 2週間は、きつかった。理由は、
① 社会人になってからオフィスワークしかしてこなかった自分にとっては、Sales Associate(販売員)として立ちっぱなしの仕事をフルタイムでするのは体力的にしんどい。
② Navyのねの字も知らないで結婚してアメリカに来た身としては、飛び交う単語も商品の名前も何もかも未知の世界。

これまでの仕事もそうですが、自分は与えられた状況で物事をポジティブに捉えるのが苦ではないほうなので、1ヶ月経って、この仕事をやってみてよかったと思っています。

ユニフォームストアというお店の特性上、基地にアクセスがある誰でも来るわけではなく、制服やメダル、リボン、など制服周りのものが必要な人がお客さんです。それらを購入する人はもちろん、制服を直すalternationも受けます。昇進や部署移動をするとほぼ必ず制服も直すことになるので、このalternationも大きな仕事です。ストアのなかにはtaylorやsewerがいて彼らが制服のお直しをします。さらに、私の働くストアはユニークで、一般のお客さんはもちろん、3週間ごとに来るOfficer Candidate School(OCS)のcanditateと、5週間ごとに来るOfficer Development School (ODS)のcanditate、それに加えて基地のなかの他のSchoolに通う人たちの制服のケアもあります。NWUと呼ばれる迷彩柄の作業服や、Service dress bluesと呼ばれる公式の写真にも使われる制服、オフィスワークのKahki色の制服などなど、制服の種類だけでいってもとにかくたくさんあります。

配偶者が仕事のことをなんでも家で話すタイプではないこともあって、恥ずかしいことにこれまで配偶者の仕事がほとんど理解できていないまま結婚して今に至ります。今なら理解できますが、特に軍のなかの仕事やポジションのことは独特なワードや世界のなかの会話になりがちで、軍の外の人に説明をするのが大変です。軍×言語の壁もありなかなか理解できていなかった世界ですが、仕事を通じて階級や部署のこともだんだん分かるようになってきて、配偶者が言っていることがより理解できるようになりました。配偶者に全部説明してもらわなくても、自分で理解できるようになってきたことは、私にとってとてもいい経験になっていると思います。配偶者が軍人で居続ける間は、彼の仕事は往々にして私たち家族で考える問題になるからです。

加えて、同僚のほとんどの配偶者は軍人で、Rhode Islandに期間限定で配偶者の仕事とともに引っ越してきた人が多く優秀な人がたくさんいます。一緒に仕事をしながら刺激をもらえますし、交友関係が広がったこともとてもありがたいです。

条件面で言えば、時給15ドルでフルタイム。ダウンタウンのスタバの時給が同じ金額だったので、アルバイトとしては可もなく不可もなくな金額なんだと思います。とはいえ、お給料のためというよりも、経験のため仕事をしているという気持ちが強く、日本の仕事とやはり比べてしまうときはあります。

私にとって仕事はいつも特別で、自分を成長させてくれるものです。基地のなかの守られた空間のなかで、優しい人たちと仕事ができることはとてもラッキーだと感じつつ、つぎの辞令が出るまで楽しんで働ければと思ってます。


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