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現代政治の限界 第2章 政府と集合財

 社会が工業化の進行状態から脱工業化の進行状態へと移行するにつれて、市民全体の要求を見ても、平等の方が、自由や効率、あるいは統治の有効性に優先し始めている。政府が市民に公共財ではなく集合財を供給する機会がますます多くなってきており、脱工業化社会における市民が、ほとんどの私的財には、現実になんらかの外部性が付随している事実をより意識するようになってきている。集合財の増加こそが、脱工業化社会において市民を集合行為に駆り立ていく原因である。
 従来の実証的な経済学では、個人の選好序列については何の仮設も設定されておらず、特に費用便益分析アプローチでは、組織や制度の合理化が可能であるという仮説に基づいており、その目標は権力集中的な計画にある。他方、集合財アプローチは個人の合理的選択という方法論上の仮説から出発をしている。また、集合財には「供給上の混み合い現象」が見られる。つまり、集合財は純粋に排他的でも、また非排他的でもない。集合財は、公共財や私的財に比べると、人の合意を得られにくい性質を備えている。権力集中的な政治制度によって集合財を提供するのがもっとも適切な方法であるかを検討しなければならない。地方政治の境界により社会経済的な不平等が存在する場合もある。集合財アプローチの観点から規模と効率との関係を見る場合には、規模の経済だけでなく、規模の不経済をも考慮に入れておく必要がある。どのような性質の公共財が、どれくらいの規模、もしくはどのような類型の統治単位によって供給されるかである。公共財の性質に注目し、それらを区別しておかなければならない。
 集合財アプローチで強調したいのは、社会•政治的変動過程の様々な局面ごとに最も重点を置かれる財の類型を組み立てる必要である。集合財アプローチは、個人をまさに決定作成の中心に置くことによって、経済学で成功した仮説•演繹のモデルの力を利用することを可能としているのである。

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