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「世界はなぜ存在しないのか」とはどういうことか



この本の翻訳が出てから大分経ちました。NHKでも特集が組まれるなど大分ポピュラーになってまいりました。
この本は今でも丸善の洋書売り場で、ヒラ積みされています。

厳密にいうとヒラ積みというよりは、立てて並べてあるという状況です。

実際哲学書でヒラ積みなどあり得ないので、哲学書で何冊も積んでおくこと自体が異常なことと思います。


英語版は翻訳であり、原本はドイツ語でドイツ語版も横に一緒に並んでおります。


この本は、ヨーロッパ特にドイツでかなりのベストセラーとなったらしいです。難しい哲学を易しく書いたものらしいです。

なぜ英語版の表紙にユニコーンが出てくるのかは、中に書いてありますが、世界は存在しないがユニコーンは存在するというくだりがあります。このくだりからきているものと思います。

何を間違ったのかわかりませんが、当時この二冊を買ってしまいました。英語版もとても厳しいです。ドイツ語版は、英語訳でわかりにくいところの単語の確認用としてです。

この本を書いた著者は、名門ボン大学の哲学科の主任教授に若干29歳になった天才と言われておりますマルクス・ガブリエルです。

この本の内容を日本語で把握するためには、この本と同じ内容を著者が講演した記録が下記の本に収録されております。当時はこれを読んで内容を把握しておりました。


この本には、「世界はなぜ存在しないのか」の講演の内容が付録として、掲載されている。この記録は、次のような文章ではじまる。

『非常に多くの物が存在する。いや、それどころか、あまりに多くの物が存在するのでそのすべてを数え上げてみようとは誰も夢にも思わない。』


物や事実は世界の中に存在すると考えるとこれらの存在を認識するために「世界」が必要となってくる。しかしこの「世界」そのものを語らなければならなくなり、それを対象化するためによりもうひとつ上位の「世界」が必要となってしまいます。世界を世界として考察できるような、絶対的なものは存在しないと考えとすれば世界は存在しないこととなる。
対象領域の問題においても無限の領域を設定できるので、ハイデガーのいうすべての領域の領域としての世界は無限に存在してしまい、唯一の「世界」は存在しないことのなる。

つまり、言いたいことは恐らく「自然主義」のように自然科学が、絶対的な立脚点として世界をありままで把握することが出来るということを批判したいのと思われる。「全体としての世界」の否定は、「それ以外のすべてのもの」の多様な存在を肯定することにつなげられる。
シェリングの神話論からも、神話の必要性にも繋がっているとも思える。

無限の存在が許容され、その中から究極の絶対知として導くのがヘーゲルの弁証法とすれば、ガブリエルが何処へ導くのか今後の動向が気になります。

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