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「創作大賞2024」タグを外した女が再挑戦する件

先日、勢いで書いたnoteに勢いで#創作大賞2024タグをつけてしまった。
うっかりである。
勢いがすぎる。
数日考えて「これはふさわしくない」とタグを外した。

ところが、Kindle作家仲間のハクメイさんから「今度、Xのスペースで創作大賞に参加している人たち紹介するから、らぶこさんもぜひ」とDMが届いた。
なんとも嬉しいお誘いなのだが、私は創作大賞タグを外した女。
私はエントリーを諦めた女なのだよ……と、丁重にお断りをした。

が、ハクメイさんは続ける。
「そんな、残念!でも、可能だったら他の記事でエントリーしてみては?」
「え、いいの?じゃあそうします」

私は大変煩悩にまみれた、ちょろい女なので他の記事でエントリーすることにした。

過去の記事でエントリーするか、それとも新しく書くか。
ひとまず過去の記事を読み直してみた。

神社や仕事のメモ書きのようなもの以外の記事がエッセイ部門に入りそうだが、どれもこれも大体悲壮感が漂う。
私は「あなたに合うパワーストーンで開運しましょう」というような仕事をしている(めっちゃざっくり)のだが、開運やスピリチュアル系のキラキラハッピーな雰囲気はあんまりない。

キラキラハッピー イズ どこ?

私の元々の文体が「だ、である調」であることに加え、文章を書きたくなる瞬間が大体決まっている。
なんらかのきっかけで、頭の中に感情や思考が溢れて抑えきれなくなったときだ。
頭の中に言葉の器があるとするなら、そういった時は大体言葉が器にどんどん注ぎ込まれ、こぼれ落ちてしまいそうになる。
こぼれ落ちた言葉を拾い集めて、つらつらとnoteに書き留めるのだ。
私の言葉が溢れ出るときは、大体感傷に浸っている時なんだな。
さっき気づいた。

まぁ、このアカウントはパワーストーンを販売する仕事用のアカウントでもあるし、私の心のうちをぶちまけるのもちょっと違うのかもしれない。
お客様が私の文章を読んで「この人に依頼するのやめとこw」となる可能性も十分にある。

でもね、人間の心ってハッピーだけでは構成されていない。
悲しさも寂しさも怒りも、あって当然。
パワーストーンを扱っていると、そんな自分の感情を大切に抱きしめてこそ、もっと素敵なハッピーを迎えられる自分になれると嫌でも気付かされる。
自分の心の中に生まれた感情や思いを言葉にして、文章にすることで手放していく。
悲しさの全ては癒えないかもしれないけどね。

パワーストーン販売するアカウントではあるけど、パワーストーンに関する情報はブログにまとめてるわけだし、心情や考えをただただ書いて、時々神社のことを語る媒体があってもいいんではないかと思う。

パワーストーンという不思議なものを扱う仕事だからこそ、自分の感情に向き合って文章に昇華していくことも必要なのかも。

ハクメイさんのおかげで「私が文章を書きたくなる瞬間」と「書いてる内容の傾向」がよーーーーーーーくわかった。
感謝感謝。

え、結局、スペースには参加するのかって?
ドキドキするけど、あたい参加してみる。。。

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