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私の自己満足ニットベスト

思えばここ数年、“自分のため”ではなく、“誰かのため”に行動することの方が多かった。「チームの役に立ちたい」「ここまでやったら○○さんの仕事の助けになるから先にやっておこう」「助かったって褒められるの嬉しい」などなど。仕事をしていると自然と相手の為に何かをやることへ意識が向きがちになる。

それに気がつかされたのはイタリアに来て間もなくだった。夫の友人との食事会の内容は、私が日本の居酒屋で繰り広げていた内容とは全く異なっていた。
芸術大学を卒業した夫の友人は同じくアート界隈で活動をしている人が多いこともあり、話題は最近のアート活動から気になるアーティストの話、趣味の話、そして家族やイタリア料理の話。仕事の話をすることもあるけど、誰も「仕事のために生きている」ということはなく、「仕事は生活の一部」だというスタンスが明らかだった。

日本にいたころ、私は仕事が大好きだった。というか、仕事を通して誰かの役に立っていることで承認欲求を満たしていたのだと思う。人に褒められるのは気持ちよかったし、空気を読むのは得意な方だった。会社の飲み会も嫌いではなかった。
だからイタリアに来て思ったのは、「私、仕事以外の話何もできない」だった。自分がいまこういうことに興味を持っていて、こういうことをやっている、なんて語れるものは何もなく、せめてその場を楽しんでいる空気を出そうと半分以上理解できないイタリア語の会話に愛想笑いを浮かべるだけ。
相手が察してすごくゆっくりわかりやすいイタリア語で話してくれることを、「ありがたい」と思うより先に「申し訳ない」という気持ちが早くこみ上げてきてしまう。なるべくみんなに迷惑をかけないように、という思いが空回りして、日本では得意だった空気の読み方がこっちでは全くできなかった。(今振り返ればイタリアには空気を読むということ自体がないので、読もうとしても無駄だったのかもしれない)

イタリアに渡伊して2年が経った。イタリア語が完璧にわかるわけではないが、それなりに生活はできている。でも日本にいたころよりずっと、自分に自信がなくなっている。

ある日、夫とレストランに行った。それぞれ料理をメニューの中から選ぶ。私は自分の注文した料理を夫にもおすそ分けする気でいたので、「この料理好き?」と何気なく尋ねた。そうすると夫は「自分が好きなものを食べるのが一番なんだから、自分で選ぶのがいいよ」と。その返答にハッとさせられた。
私は自分の注文する料理すら相手に意見を聞かないと決められないんだ。そこまで主体性がなくなっていたことに自分自身が一番驚いた。これではいけない、と思ったのが今年の初め。

“誰かのため”ではなく、“自分のため”に行動することを増やす。

を、今年の目標にした。その取り組み第1弾が手編みのニットベストだ。3年前、友達に編み物の基礎を教えてもらって毎年少しずつ何か小さな物を編んできた。
今年は自分で纏える何かを作ろうと目論見、ミラノの編み物屋さんで毛糸を買い、Youtubeで基本のニットベストを確認しながら自分なりにデザインを施した。1日1、2時間、約2か月かけて春のニットベストが完成した。
間違えてしまった箇所もあり、適当に編んでしまった箇所もある。それでも他の洋服とは比べることができないほど愛おしくて大切な1着ができた。
このベストのポイントは何といっても正真正銘自分の為だけに編んだ、ということだろう。誰かに褒められたくて編んだわけでもなく、自慢したくて編んだわけでもない。自分を愛でるために編んだかけがえのないニット。
自分のために何かするって気持ちがいいのだな。
少しだけ自分に自信が持てたような、そんな気がした。



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