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主治医が教えてくれたこと

どうも、この世の全てのイレギュラーを生きるふたです。ユニークな9歳長男、2歳次男を育てています。

突然ですか私、意外に稀少難病の患者だったりするんです。

と言っても治療法なし薬なし、死ぬまではおそらくこのまま。
そのため今は特に何をするでもなく、時々変化がないか診てもらい、最近の研究の動向を聞くだけで
「がんばって病を治す!」というレールに乗ることなく、ナチュラルに病と添い遂げる感じで
かれこれもう8年?になります。

今日はそんな病を診ると同時に、私の人生の一部に寄り添ってくださったドクターが
気づかせてくださった大切なことについて
お話したいと思います。


ポーンという軽快な電子音とともに電子表示板に私の番号が点滅し、ドアを軽くノックし診察室の中に入り挨拶をすると
いつもの変わらぬ笑顔がそこにありました。

丸椅子に浅く腰掛けると、ドクターはこちらに向き直り、こう言いました。

「下のお子さんいくつになりました?」

「もう2歳半で、イヤイヤ真っ盛りです。破壊力がすさまじいです」

ちょうどその日も朝から、朝ごはん食べない!朝ごはん食べる!顔洗わない!洗う!服着ない!お着替えする!と仰け反って泣きわめき、抱き上げると「助けて!離して!やめて!痛いよ!」
もうお手上げ状態の2歳児…。

なんとか宥めて朝の支度をし、登園させたばかりでした。

「もう2歳半かぁ。早いですね。努力の結晶だもんね。あんな思いしてできたお子さんだから可愛さ一入でしょう?」

フフフと笑うドクター。

ですがそれは私には衝撃的でした。
(そうだった…)



「この病気で妊娠出産のエビデンスがほぼ無いんです。国内数例しかありません。」
「この病気で不妊治療をしたという前例がないから、不妊治療でどうなるかわかりません。」
「そんな病気をもちながらなんで産もうと思うんですか!?産んでいいと思ってるんですか?!」
「僕はあなたは産める人だと思っています。産みましょう。」
「無事に産めるとは思わないでください。」
「何が起こるかはわかりませんよ?」
「そんなとこに腫瘍ある妊婦さん、俺見たことないから産めるとも産めないともわかんないよ。」
「がんばるねぇ。まだ諦めないの?」

色んな医療者に色んなこと言われながら、前例がない中、
高度不妊治療を続けた5年以上の間。

「𓏸𓏸科でこう言われました。まだ今なら産める体がある。先生のOKは出てる。産みたい意思があるのにどうして産んではいけないと阻まれなきゃいけないんでしょうね。」と泣いたり、

またダメだったと落ち込んだり、
オペがいいのか悩んだり、
急な壁の出現に唖然としたり、
急な悪化にヒヤヒヤしたりの一部始終に寄り添ってくださったドクター。

不妊治療中も妊娠中も、

「大丈夫。産婦人科領域は僕にはどうにもしてあげられないけど、病気のことでなら、なんかあったら僕が考えますし何とかしますよ。」

そうやって先生がずっと励ましてくださったから、なんとか折れずにやってこれ、
結果、生まれてきた次男なのでした。

不妊チームのドクターや培養士さんも、
「県内一二を争う困難事例(数値的にも先生たちの経験上でも十分妊娠するはずなのに原因不明に全く妊娠しない)」と言いながら、
あの手この手を考えて下さり、トライアンドエラーを繰り返して
採卵ごとに深夜遅くまで残業して尽力して下さったから生まれた次男なのでした。


つい日常のバタバタや、元気すぎる次男の凄まじいパワーにガンガン振り回され、ボロ雑巾のようになってしまって忘れてしまっているけれど、

この子が生まれるまでの間にこんなにも
様々な人が関わって、支えてもらっているのでした。

うちの夫婦だけの息子じゃないから
尚のこと大事にしなければ
いけないのでしたね。

そうでした。
絶対に忘れてはいけないことです。

親も人です。
忙しさやあまりの激しさに、忘れてしまうことや見えなくなることもあるけど、普段、バタバタして忘れてしまっていることを、
こうして時折、思い出させてくれる人がいることは有難いことです。

次男、君はたくさんの人が力を持ち寄ってくれたから生まれてきた大切な命。


…ですが
あんな思いしてできた次男であっても、

仰け反り泣き叫び、走り回り、泥だらけになり、ご飯よりおやつを欲しがり、なんとか要求を通そうと必死の抵抗をし、
イヤイヤと不満を全力でぶつけて来るのです。
全身全霊をかけて、不快の全てを自分ひとりにぶつけてくるその様に
頭を抱えるし、勘弁して欲しいと思うものなんですね。

そうなるんです。
毎日のことなんですから。


けれど決して忘れてはいけません。

どんな子も生まれるまでに、
大なり小なり誰かの手に守られて、
見守られて生まれてきます。

だから、子どもは親だけの子どもではなく、みんなの力や時間や思いを受け継ぐ宝でもあるのです。

主治医であるドクターは、独身でお子さんおられません。
でも間違いなく次男の生みの親なんです。
ドクターがいなければ、彼は生を得れなかったでしょう。

不妊のドクターもまた彼の生みの親です。

様々なややこしい病気を抱えながら、ハイリスク妊娠な中、
色々と考えて下さったり、
促進剤を入れても、寝ずの15時間の陣痛に、もう体力が無く、なかなか生まれない次男を
「ここまでがんばったんでしょ?!もう僕の力貸せるとこまで来たから。よし、次の陣痛で僕が押して下から𓏸𓏸先生が引っ張るよ。赤ちゃん頭伸びるかもしんないけど治るから大丈夫だから。」
と、馬乗りになり、
これでもかというくらい押し出してくれたドクターたちも生みの親です。

他にも携わってくださった方々がたくさん。
不妊治療が長引いていると知り、お守りをそっと送ってくださる方や
励ましてくださった方、寄り添ってくださった方はたくさんおられました。
その誰が欠けても、きっと次男はいなかったのでは無いでしょうか?

だから私が彼を粗雑に扱うことは許されないのです。

様々なひとの大切な人生の一部をかけてくださった、
大切で特別な存在なんですから。



このnoteは、
この世の全てのイレギュラーを生きるふたがユニークな9歳長男、2歳次男を育てながら気づいたこと、感じたことを綴っています。

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