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私の出会った凄い人

車椅子の旦那と5歳の息子と暮らす主婦、こぶたですどーも。

今日は短めのお話を1つ。私の価値観をガラッと変えた人のお話をしたいと思います。


どんな本を読んでも、どんな教科書を読んでもイマイチ理解できなかった発達障害というものをいとも簡単に理解させてくれたのが東京大学のある教授だった。

20代も後半、私は随分遅れて大学生をしていた。

高速バスに乗り早朝の富山駅に降り立ち、知らない富山の街をボストンバッグを抱えて歩いた。

季節は夏で、早朝というのに額から汗が流れた。


「三つ組障害ねぇ……。で、結局なんなんだ?」


それは福祉情報処理の講義だった。
障害がある人の生活をITを駆使して豊かにするという内容のその科目は
私の好きな分野の話で、先生は似たような障害者観の持ち主に思えた。
そんな先生の話は、私にすっと沁み入ってきた。

2日目の授業の最後、
先生は紐を括りつけたコインをしばらく垂らしこう言った。


「さぁ、このコインは揺れているか止まっているか?どう思いますか?」


止まっているという人が大半の中、数人が揺れているに手を挙げた。


私は息を飲んで、先生の答えを待った。

先生は言った。
「正解はね……どっちも正解。」
会場がどよめいたあと、先生は笑って言った。

「揺れて見えた人にとっては揺れてるんだよ。止まっているという人には止まっているんだよ。人の感じ方はみんな違うんだよ。

先生は続けた。
先生の仕事仲間には色んな人がいること。
車椅子の友人も発達障害の友人も皆が活躍し、素晴らしい才能を発揮していると。

人はみな、それぞれ違っている。
それは当たり前のこと。
感じ方も人それぞれ。


当時の私はまだ自分が発達障害だということも知らなかったし
まさか自分が子どもを、発達障害の子どもを授かるということは
思いもよらなかった。

「人はみな違っている」

その日はあまりの衝撃と興奮で
普段は行かない居酒屋に、一人入ってビールを飲んだ。


人はみな違っている。
それが本来、当たり前なことなのだ。
それを認める世界が、この世の中に存在する。


この人は何者だ?この先生は何者だ?
やばい人に出会った!
やばい人の授業を生で受けた!


嬉しくて嬉しくて、ビールを飲んだ。


のちに彼がすごい人なのだと知ったのは、
テレビか何かだった。


人の得手不得手はそれぞれ違っている。
だけど方法を彼らに合わせれば
彼らはとてつもない才能を発揮してくれる。
環境側が歩み寄って彼らが活躍できる場所を今仲間と作っている。

そういうプロジェクトを動かしている。

そう話す先生を見ながら
これまでの自分とこれからの時代を交互に見つめ、私はこれからの時代を生きていくことにしたのだった。


「なんで?なんで?」
と繰り返し、そのたび「うるさい」と園長室に連れていかれた5歳の私に手を振った。


さよなら可哀想な私。


だから息子には言ってあげたい。
「君にはそう見えるの?それは素敵な事だね」
って。

「ママはこう見えてるよ?素敵でしょ?」
そうやって、報われなかった悲しい5歳の私のことも認めてやる。

息子を認めることは自分を認めること。



他者理解は自己理解。

他者肯定は自己肯定。


今私は先生の言葉を軸に据えて、今日を生きていくことができている。

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