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ひととひととは化学反応


どうもこぶたです。
今日は短い話を。

「相手が異常だから問題が起きてる」
本当にそう?

相手だけの問題じゃなく
そこに対峙するのが自分だから苦しい…のだとしたら?

みんながそうだとは思いませんが、人と人との仕合わせは
化学反応のようなもので、
混じり合わさると

とてもポジティブに働くものもあれば、
混じり合わさると火花が散るもの、爆発するもの、有毒ガスが発生するものもあるのかもしれません。


例えば私と母は相性が良くありません。

母は宗教を私に押付け、男尊女卑を押し付け、理由も分からぬまま突然に私を叩き、罵り
「産まなきゃ良かった」「可哀想なくらい私に似てブス」
色んな言葉を投げつけられました。


酷い環境で育ち、私はメンタルを病み、度重なる自殺未遂を繰り返すことになるのですが


あるときはたと考えました。
「母だけが悪いのか?」と。

突き詰めれば
娘が私だから、私が母の性質に私の性質で反応するからこそ
化学変化が起こってしまうに過ぎないのでは無いだろうか?

もし、私以外が娘なら
彼女は良い母になれたのかもしれない。

そう思ったのです。


10代の終わりから20代の初め頃、
当時付き合っていた方に脅され、
軟禁され、殴られ、包丁を向けられ、
死ぬか従うか、
自殺するか殺されるかの
2択しかないような毎日を送っていました。

相手だけが悪いと思っていましたが、本当にそうでしょうか?
私と相手の性質が化学反応を起こし、
大きな歪みを生んでいただけなのかもしれません。

お互い今は別々の相手と結婚し、落ち着いた生活を送っているのですから。

全てのことは
環境の責任にも
個人の責任にもできます。

どちらに重きを置くかで
世界は大きく変わります。

どちらか一方だけに責任をかずけても
個人は環境と密接であり
環境は個人に深く影響します。


どちらか一方がどうかではなく、
「私とあなただから」そうなってしまうのかも知れません。

弱い薬品同士ならじっくりゆっくりと反応は進み、
強い薬品同士なら激しく反応しあうように、

私が強い個性を放てば放つ程に、
弱い相手なら飲み込み、
強い相手とは激しく、ぶつかり合い反応し合うのだろうと思うのです。


どうせ個性が強いなら、
ポジティブな反応を強く起こせる相手と
私は繋がっていけば良いのです。

子どもと元素の本を眺めていた頃、
元素も使いよう、合わせようで
毒にも薬にもなるのだと知りました。

ひととひととは化学反応です。


私はこれまで、自分に触れる相手に無防備でした。 

クラゲのように、ただ浮遊し
触手に触れたものを手当り次第に掴んで生きてきました。

だから幾度となくぶつかり合い、
火花を散らし、煙を上げ、時に爆発を繰り返してきました。

ですがそれを繰り返すうちに学びました。

ひととひととは化学反応を起こします。
特に私は水素イオン濃度が人より極端に濃いか薄いかなのでしょう。


自分の性質を知り、
「混ぜるな危険」の文字を胸に掲げ、
しっかりと人との付き合い方の強弱を制御しさえすれば
誰かに良い影響をもたらすことも、できるのかもしれません。


今、歯車のように
私の苦手を補い、私の得意を活かしてくれる人たちに出会うようになって
なお強く思うのです。

「ひととひとは化学反応を起こす。良くも悪くも。」


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