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人生は自己評価で9割決まる

長男が産まれるまでの人生は
それなりに壮絶でした。

普通を装っても普通になれない。
でも普通の基準に合わせなきゃいけない。
いくら頑張っても普通の基準に達しない。
人の何倍も努力しても叱られ続ける。

“健常者“と呼ばれる海を溺れながら泳ぐしかない。

そんな10代、20代を生きていました。

どうもこぶたです。

自尊心なんてもちろんありません。

変な子、おかしい子、ダメな子、意地悪な子、
他人の評価はそのまま私自身の評価。

自分の考えは常に間違っていて
他人に従うべきだと17歳の私は考えていました。

「ブスでデブでバカ」だからこれから先、結婚なんて出来ないだろうな。
幼い頃からそう言われてきて、自分はそうなんだと刷り込まれてしまいました。

だから結婚する気も出産する気もなく、一人で生きていこうと。
医療職になって
いつか海外、アフリカやアジアの国に行って人道支援の道に入りたい。
そのために高校時代は、がむしゃらに勉強していました。

そんな高校時代、
そんな話を放課後の教室で笑いながら話していたら、
同級生のひとりがこう言いました。

「街中歩いとるカップルとか夫婦見てみ?
 なんで結婚できたん??!って思うような人いっぱいおるやん。
 結婚とかはな、誰でもできるんやって。

 完璧やなくてもええんやって。
 完璧やないから魅力が引き立つんやろ?
 あんたもいつかできるから心配せんでええんやん。
 したかったらできるんやって。」

自信満々に言う彼女は
ソックタッチが剥がれ、片側だけずり落ちたゴム抜きのルーズソックス。
荒れた唇に塗った口紅は少々はみ出し、
アイプチの糊がはみ出て乾燥していました。

指摘すると
「ええんやって。こんくらい気にしとったら生きてけんわ!」
と笑うのでした。

今、大人になって彼女の話を思い返すと、
的を射ている気がします。

「みんな」がどうかじゃなく
「ひとり」に響けばそれでいいのが恋愛だったり、
その先のパートナーシップだったりするのかもしれません。

恋愛対象になるかどうかは、
接触の回数と濃度、共有する経験次第だという説もあります。

人は完璧じゃなくても愛される生き物。

すこしずっこけてる方が、ほらほらダメじゃないと
手を貸したくなったりしませんか?

完璧じゃなければ、美女でイケメンで細くて筋肉質で性格も頭も良くて
じゃなきゃ誰からも愛されないと
思い込んでいませんか?

完璧じゃないから、私じゃだめだからと。


先日、障害のある人に向けたあるアンケートの結果を読んでいました。
そこにある多くの不安を見て思いました。

障害があると人は結婚できないんでしょうか?
私の周りにはたくさんの「障害ある男性と結婚した女性」がいます。
たくさんの、障害を持ちながら産み育てる女性たちがいます。

本当に、障害や病気かあれば恋愛や結婚はできないのでしょうか?

病気だから結婚できないとか、障害があるから相手の負担になるに違いないだとか。
たしかに配偶者がいれば、配偶者に負担が行くという社会の仕組みがありますが
社会システムは人の手で変えれます。要望の強さや多さが社会を変えます。
でも、あなたの人生は替えがききません。

人生を決めるのは自分の選択です。
つまり自分が理想を追いすぎたり、
自分自身や相手に「こうでなくてはならない」を課せば
それが基準になっていくのです。

私が「私は愛されない」と決めていた間は、
本当にロクな恋愛は巡っては来ませんでした。

自分を超えて行ってください。
その先にはきっと新たな世界が広がっています。


人は完璧じゃなくても愛されると教えてくれた彼女は、
「私はお金持ちになりたいんよ。」
とよく言っていました。
賢く要領もよい人で、その後国立大学に行きながらキャバ嬢になり

いつかその後にあった時、
お客さんから貢いでもらったベンツを転がし、派手な格好でCHANELのバッグを肩から提げ
だけど相変わらず口紅ははみ出し、ロングブーツは片方だけずり下がっていました。

彼女は今、どんな40歳になったんでしょうね?
どんな20年を生きてきたんでしょうね。

あなたは生きたい自分を、生きれていますか?
私は今から、生きていくつもりでいます。
きっとまだ、遅くは無いはずだと信じて。



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