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パンケーキ問題

どうも。大寒波を生き抜くのに必死な、底に近い女こぶたです。

1歳次男の離乳食のストックとして
野菜ピューレを混ぜた
パンケーキを焼きました。

赤ちゃんは食べれるものが限られてますからね。
その分、手間もかかります。

するとどうでしょう。

他のものも食べれる他の家族から
「赤ちゃんだけいいな」
「赤ちゃんだけずるい」
「自分もそれが食べたい」
と聞こえてきます。

ちょっと待って!
赤ちゃんは食べれるものが限られているのだから
赤ちゃんの物まで欲しがらないで?
とは思いますが、それをつたえたところで
「欲しい」という感情が沸いた以上
我慢するか、しないかの2択しかありません。

代案を用意するのも手ですが、
欲しいのが「それ」ならば
それを与えられない限り、満たされることはありません。


だから私は彼らの分も焼くのです。


これ、家庭内というミクロも、
社会や世界というマクロもおなじことで
欲しがる人がいれば
それは必要な人。

供給する側じゃなく、
欲しい側が選べない限りは
「ズルいな」
は已まないのかもしれませんね。

支援の幅の問題や、安全保障の問題って言うのは
この我が家のパンケーキ問題と同じなんじゃないかな?
とふと思いました。

車椅子の駐車場もそう。
多目的トイレもそう。
戦争や侵略もそう。

だからこそ必要な全ての人に
パンケーキを与えるためには
もうみんなのごはんをパンケーキにするか
誰か誰かを制し続けるかの2択なのでは無いでしょうか。

もちろんそこにはコストがかかります。
そのコストの負担によりみなが平和で平等になるか
コストをかけずに争いの火種をもちつづけるか。

何故コストがかかるのか、
それは人が平等じゃないからです。
差があるからです。
平等では無いのです。

いつだって苦しみを生むのは、差。

平和を守ろうとするには、負担せねばならないコストが
あるのかもしれませんね。

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