謙介さんはさほど「いい目利きしてやがるな、旬」と言わない
1.「江戸前の旬」との出会い
「江戸前の旬」と出会ったのは、AmazonのサブスクKindle Unlimitedの2ヶ月199円キャンペーンがきっかけだった。
「江戸前の旬」は江戸前寿司の職人「柳葉 旬」が主人公の超ご長寿スシ漫画だ。
連載開始は1999年。ノストラダムスの大予言が世を騒がせ、なにかとセール価格に1,999円が使われがちだった時代にスタートしている。
なんと既刊は102巻。現在も連載中である。
Kindle Unlimitedでは太っ腹にも1~81巻まで読める。
ただし3巻を除いて(※)。
※……2020/05/31現在、なぜか3巻だけ読み放題対象ではない。
酢飯大好きの父を持ったおかげか、お寿司は好きだ。
スーパーのパック寿司、手巻き寿司、5年以上前に行った回らないお寿司屋さん、いずれにせよ寿司を見ればテンションがあがる。
そして私は長風呂がしたかった。
ガス代がもったいなくて、水になるギリギリまで入っていたかったのだ。
こうして「寿司好き+長風呂=寿司ご長寿漫画」という最適解を見いだした私は、5月はじめから「江戸前の旬」(以下、江戸旬)を読みはじめた。
2.謙介さんとの出会い
謙介さんは、江戸旬の登場人物だ。
築地の仲卸業者で、その目利きの素晴らしさから銀座の一流店が彼の店に買いつけにやってくる。
主人公の旬と出会った当初、彼は一流店以外に魚は卸せないとケンカ腰だった。
しかし旬が鮮度の悪いオニオコゼを美味しい寿司にすると「将来(サキ)が愉しみなヤロウだぜッ!!」と豪快に手のひらを返し、以後、旬の兄貴分として度々登場する。
この漫画は築地で魚を仕入れるシーンが多い。
そして、旬が謙介さんの元に行くと、彼はこう言う。
「相変わらずいい目利きをしてやがるな、旬」
このつぶやきが、ふと心に残った。
私の引っかかりは読み進めていく内に、疑問へと膨らんでいった。
いったい、謙介さんは何度、旬の目利きをほめているのだろう……。
そのささいな疑問が、私の好奇心と化学反応を起こした。
私は気に入った作品は何度でも読み返す。ゲームなら平気でスーファミ時代に戻る。
その中で生まれた趣味が「セリフ収集」だ。
キャラクターが何を喋ったのか、だれに向けて言ってるのか、何回言ってるのか、数えたい。ポメラにぽちぽちメモしたい。ただ知りたい。
集まった結果を眺めて1ミリの生産性もない「へぇ~」をつぶやきたい。
数えよう。謙介さんが何度「相変わらず、いい目利きをしてやがるな旬……」とつぶやいたのか。
江戸前の旬、52巻まで読んでの決意だった。
(そしてタイトルが結果を物語っている)
3.「KensukeCount」ファイルの誕生
52巻まで読み進めたところで、私は謙介さんの「いい目利きだな(略)」を集めるため、再度1巻から読みはじめた。
メモ用にExcelファイルを作り、タイトルは「KensukeCount」とした。
入浴時間は30分から2時間半に増えた(風呂場で該当のセリフがあったらふせん機能を使ってあとでノートPCにメモした)。
そして1巻から56巻まで読み進め、私は気がついた。
私が気にしてるほど謙介さん「いい目利きだな(略)」言ってねえ。
大誤算だった。体感では2巻に1巻ペースのはずだった。
ドラマCDが発売されれば、謙介さんのサンプルボイスに間違いなく選ばれるはずだった。
結論を言ってしまうと、明確に言っているのは4回だけだ。
以下、骨に残った身をしつこく探すような気持ちで各セリフの解説です。
1.「さすがだ!相変わらずいい目利きをしてやがる!!」(8巻)
カツオを選んだ旬に、テンション高く。
テンションが高いのは、旬がコンクールに入賞したから(しかもタダでくれた)。兄貴分の度量が光る。
2.(フフ… 相変わらずいい目利きだ……)(26巻)
戻りガツオを選んだ旬に、口では「おう」と簡潔に答えつつ。
(こいつ直接脳内に…!)
3.「相変わらず目利きだな……」(32巻)
ヒラメを選んだ旬に、穏やかな午後の日差しのような表情で。
旬は無言の笑顔で応じていた。
4.「相変わらずいい目利きをしてやがるな旬……」(36巻)
マサバを選んだ旬に、慈愛を感じる優しいまなざしを注ぎながら。
以上です、完。投げやりになるな。
しかし、セリフがない仕入れシーン(数コマだけ)もあるので、省略されてるだけで謙介さんがもっと言っているのは間違いないんだ。
余談ですが、目利きセリフ以外にも「いい根性してやがンな!」「いい心がけだ」などの褒め言葉もあったりする。
4.Unlimitedの最果て(81巻)へ
謙介さんに限らず、登場人物は巻数を重ねるにつれ、穏やかな性格になる傾向がある。
主人公の旬でさえ、はじめは「明日また店に来てください、本物のマグロを食べさせますよ」と挑発的で才気走った、料理漫画らしいっちゃらしい一面があった。
しかし彼は客の無茶ブリ、職人仲間との戦い、失敗、挫折、なんやかんやを経て成長する。
「菩薩のような寿司」を握るにふさわしい、芯が強く、穏やかで優しい人柄に磨かれていくのだ。……菩薩のような寿司??
ちなみに旬の父、鱒之介は「不動明王のような力強い」寿司を握る。……不動明王のような寿司???
たまに出てくるこういうワードは、「しっかり者の彼女がたまにドジる」ぐらいの目で見るとちょうどいいと思います。
江戸旬では、だいたい数巻で1年が経過する。
1999年から現在まで、現実の時間とほぼ連動して時間が流れているのだ。
1999年から2020年、1巻から102巻。時を超えるサザエさんである。
その間に謙介さんも旬も結婚し、互いに子供を持ち、旬にいたっては店を継いで弟子を育てている。
さいきんでは、旬一家と弟子の和彦の試行錯誤にスポットがあたっている。
その中で、旬の立ち位置は父の鱒之介とほぼ同じ「親方」である。
弟子(かつての旬)にとっては決して追いつけない、だけど目標とせずにはいられない偉大な親方だ。
彼は出世魚でいうところの「ワカシ(35cm以下)」から「ブリ(80cm以上)」になったのだ。
Kindle Unlimitedの最果て(81巻)で私は思った。
というか、和彦を弟子にとった時点で気がついた。
謙介さんが旬に「いい目利きだな」と言っていたのは__彼が見習いだったからではないか。
たとえば、一般人が小説家に会ったとする。
そのとき、一般人は小説家に「文章が上手ですね!」と言うだろうか。
プロにとって文章が上手いことは当たり前だ。
それを口に出せるのは、自分が相手より文章が上手いと明らかなときだけだ。
つまり、仕入れのプロである謙介さんは、見習いの旬の目利きを褒めていたのだ。
一人前になり、親方にまでなった旬に対して、そのセリフが出ないのは当然のことなのだ。
私は、ご長寿漫画は作中の年数が経過しないと錯覚していた。サザエさんのように。
一度固まったキャラクターは、二度と覆らないのだと思っていた。サザエさんのように。
しかし江戸旬は、常に成長を続ける姿を描いている。
時事ネタを盛り込み、変わっていく寿司の世界を描きながらも、旬たち寿司職人の変わらない誠実な仕事ぶりにも光を当てている。
築地も豊洲にちゃんと移転している。
もはや、謙介さんが旬の目利きを褒めることはないのだ。
私は一抹の寂しさを覚えた。
謙介さんには、ずっとずっと、もはやしつけーよ!っていうぐらい、いい目利きだなって言ってほしかった。
だがそれは、我が子に無邪気なままでいてほしいという、愛情のようで身勝手な感傷なのかもしれない。
もはや「KensukeCount」ファイルの更新は絶望的なものとなった。
それはさておき、せっかくここまで読んだのでKindle Unlimited対象外の82~102巻+3巻(なぜか対象外略)を追加購入した。
5.またあなたと出会えたキセキ
寂しいとか言ってるが、80巻も読み放題で楽しませてもらったのは確かだ。
お礼の意味もこめて、以降の巻を購入し、一読者としてふつうに楽しんだ。
さて、さいきんの謙介さんは、旬が弟子の和彦をつれて店に来ると「よく勉強してるな和彦!」などとほめている。
旬の目利きはほめないのに……!
私は内心でハンカチをかみしめながらも、この現実を受け入れつつあった。
しかし、101巻で信じられないセリフを目にした。
見た目がよく似てる魚の名前を言い当てた旬へのセリフである。
「さすが旬!よくわかったな!」
これは……まさか、25巻の再来……!?
25巻。旬はまだ見習いで「いい目利きだな!」とほめられていた時期だ。私と謙介さんが蜜月だったときである(ない)。
ふだんは旬ひとりで仕入れへ向かうところを、その日は鱒之介も同行していた。
鱒之介は魚を選び、その姿を見た謙介さんはこう言った。
「さすが親方だ」
そう、謙介さんの「さすが」は親方クラスに贈られる賛辞なのだ……!!
25巻の鱒之介、101巻の旬。
ふたりを繋げる謙介さんの賛辞。
二度と「いい目利きをしてやがるな」と言ってくれない世界に覚えた寂しさを、謙介さんが再び吹き払ってくれたのだ。
そう、これからの謙介さんは「さすがだな、旬!」と言ってくれるのだ……!
6.最後に
というわけで、今回の記事で言いたいことはすべて言い終えた。
「謙介さんはそんなにいい目利きって言ってないけど、言ってそうなコマも含めればけっこう言ってるし、形を変えていまも言っている」
往生際が悪すぎる主張である。
今回は謙介さんの(偏った)紹介しかしていないが、江戸旬はめちゃくちゃ登場人物が多い。
そしてキャラもめちゃくちゃ濃い。
旬の父で偉大な寿司職人の鱒之介。
最大のライバルにして最高の親友である大吾。
3人の兄と姉、職人仲間、あの客、この客、その客__
とりあえず数巻読めば濃さはじゅうぶんに伝わる。
数十巻読めばその濃さがどう変わるかも楽しめる。
そう、あたかもネタを熟成させ旨みを引き出す、江戸前寿司の技を味わうかのように……。
(最後だけそれっぽいこと言ってもダメだと思う)
万が一、この記事で江戸旬に興味を持ち、Kindle Unlimitedに加入中、かつ読んでみようかと思う菩薩のような人がいたら__
おそらく、謙介さんどころじゃねえだろ、とツッコミたくなるだろう。
その思いを原動力に、新たな感想を生み出してくれたら、もう私とあなたは江戸旬メイトだ。
ここまでお読みいただいて、ありがとうございました。
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