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埼玉県道65号 さいたま幸手線

起点〜岩槻駅東口入口 2022/09/25
岩槻駅東口入口~終点 2022/10/15


さいたま市浦和区

旧・北足立郡浦和町

さいたま市浦和区(旧・北足立郡浦和町)の浦和駅西口交差点からスタート。
起点からしばらくは旧中山道で、開発が進みながらも随所に歴史を感じることができる。
仲町交差点までは国道463号と重複する。
浦和宿の市場跡。
解説付き。
国道463号の越谷浦和バイパスと立体交差する。写真に見える463号の新浦和橋はかつて有料道路だったが、徴収回避のためこの県道を利用するドライバーが相次いだため通行料を稼げず2003年に無料開放されたそうだ。
浦和橋で東北本線の浦和〜北浦和駅間を渡る。
新浦和橋の無料化前は賑わったそうだが、今は時間帯を加味しても比較的静か。
浦和レッズ推しの強い通り。

旧・木崎村

北浦和駅東口交差点で旧中山道を鴻巣桶川さいたま線(r164)に明け渡し、進路を北東に変え旧・木崎村に入る。
中山道でなくなると住宅地の印象が強い通りになる。
県立屈指の進学先である浦和高校はこの県道沿い。
川口上尾線(r35、産業道路)と領家交差点で交差。交差点のすき家に立ち寄った思い出が蘇った。
木崎交差点。うっかり素通りしてしまったが交差するのはさいたま川口線(r1)の支線である。支線は住宅地の普通の道にしか見えないが一応ソトバで案内もされている。

さいたま市緑区

旧・三室村

r1の本線(第二産業道路)と山崎交差点で交差。初めて歩いた思い出の県道、4年前、夏の暑い日だった記憶。当時はここまで歩いてるとは思わなかった。この辺りでさいたま市緑区、旧・三室村。
芝川を大道橋で渡る。

さいたま市見沼区

旧・片柳村

見沼区(旧・片柳村)へ。
新方須賀さいたま線(r214)と東新井交差点で交差。ちなみに新方須賀はさいたま市岩槻区の地名だがこの県道のような併合(岩槻市のさいたま市合併に伴い、64号浦和岩槻線が65号岩槻幸手線に併合されさいたま幸手線になった)は行われていない。

旧・大谷村

旧・七里村へ。文字通り七つの村が合併してできた七里村だが、この県道が通るのは大谷村、東宮下村の範囲。大宮台地に位置しているため県東部としては珍しく畑が広がっている。

旧・東宮下村

さいたま鳩ヶ谷線(r105)と東宮下交差点で交差。r105はかつての国道122号で、この県道以南はかつての日光御成街道。

旧・宮ヶ谷塔村

旧・宮ヶ谷塔村に入り宮ヶ谷塔(西)交差点でさいたま春日部線(r2)との重複区間に入る。バイパスの影響で接続する交差点が変わってしまっているが、ここが旧64号エリアの終点と言っていいだろう。
深作川。簀子橋で渡る。
r2と重複しながら宮ヶ谷塔交差点で国道16号と交差。その手前の川は深作川。16号は徒歩で見るとやはり大きく見える。

さいたま市岩槻区

旧・南埼玉郡柏崎村

大橋で綾瀬川を渡り、岩槻区、旧・南埼玉郡柏崎村へ。
独特の形状のファミマが懐かしい。
加倉(北)交差点。国道122号と重複。岩槻IC〜蓮田SA間の東北自動車道と立体交差する。
触れる青看がある。
浄国寺。
その奥には岩槻藩主阿部家の墓がある。

旧・岩槻町

旧・岩槻町へ。宿場町仕様の洒落た街並みに切り替わる。
観光案内も充実。
岩槻駅東口入口。蒲生岩槻線(r324)と岩槻停車場線(r399)と交差。1日目はここまで。
ここから2022/10/15。御成街道を進んでいく。
まずは国道122号と別れる。
岩槻区役所跡に2020年オープンした岩槻人形博物館。訪問済。
渋江交差点を左に曲がってr2と分かれ、単独区間へ。
歴史ある日光御成街道だが先程までと違い電柱地下化区間でもなく一見すると普通の住宅地。
しかしながらところどころに地名の歴史を紹介する碑が立てられている。
岩槻〜東岩槻駅間の東武野田線高架下は歩道になっている。早朝に来ると割と不気味だが散歩の道として活用されている。

旧・慈恩寺村

人間総合科学大学の隣を抜けて旧・慈恩寺村へ。
元荒川の旧流路に広がる草原。
恩寺橋で元荒川を渡る。大正時代頃までは流路が若干南にあったようでそのため岩槻区南辻は元荒川右岸にありながら左岸の多くの地域と同じ旧・慈恩寺村に属している。
一応さいたま市だが春日部や白岡に近い景観。
ところどころ畑も見られる。
県民なら一瞬で何があったか分かる空き家。
地域名の由来にもなった慈恩寺に入る交差点も直進する。
その先の道には江戸時代には全域に並んでいたとされる杉並木が僅かながら現存している。
日光御成道の観光案内。ぼろぼろ。
渡辺喜美の親父さんが土地改良の記念碑を書いている。第一次大平内閣時代のもので農林大臣が農林水産大臣になってまだ2代目。
蓮田杉戸線(r154)と鹿室交差点から重複する。

白岡市

旧・彦兵衛村・岡泉村・太田新井村・下野田村・上野田村(のちの日勝村)

そこから間もなく白岡市に入る。かつての彦兵衛村・岡泉村・太田新井村・下野田村・上野田村などを通る。これらの村は1895年に日勝村となっている。
境界近くの下には黒沼用水を活用した水と緑のふれあいロードが通っている。
岡泉交差点で春日部菖蒲線(78号)と交差しつつr154と分かれる。この辺りから個人的にも馴染み深い道だが徒歩で来るとまた新鮮な気持ち。
往環橋で渡る隼人堀川。17世紀頃に掘られたらしい。人名由来らしいが詳細不明。
橋場橋で渡る姫宮落川。東にある東武動物公園の敷地内にも流れている。
その先にある東武動物公園入口交差点は動物園側の西口に繋がるもので、駅に近い東口は遊園地側。
一里塚。日光御成街道の距離の目印となったもので、ここでは両側共に現存している。日影が大きく休憩スポットとして使える。

南埼玉郡宮代町

旧・須賀村

そこからさらに進むと南埼玉郡宮代町、旧・須賀村に入る。
国納橋で備前堀川を渡る。備前堀川は関東で河川改修などを行った伊奈備前守忠次に由来する。
踏切周辺は交通量の割に歩道もなく道が狭いため危険。
東武伊勢崎線、和戸〜久喜駅間を踏切で渡る。
緑の目立つ長閑な場所だがメトロの車両が走る。
和戸交差点で春日部久喜線(r85)と交差する。
備前前堀川。
大落古利根川。

北葛飾郡杉戸町

旧・北葛飾郡高野村

二本の川を和戸橋で渡り、北葛飾郡杉戸町へ。その先の和戸橋交差点で下高野杉戸線(r372)と合流する。
旧街道の観光案内。
白岡のものに続く一里塚。松の木が採用されている。こちらは片側しか残っていない。
この辺りは河畔砂丘の高野砂丘にあたり、八幡神社の土は確かに砂状である。
また、松並木が僅かながらここにも現存している。
解説つき。

幸手市

旧・上高野村

幸手市、旧・上高野村へ。
圏央道の久喜白岡JCT、幸手IC間と立体交差する。
道の北西にある琵琶溜井の解説。

旧・幸手町

東武日光線、杉戸高野台〜幸手駅間を渡る。
倉松川を渡る志手橋にある交差点。
なにやら古そうな欄干。
倉松川。
幸手駅入口交差点から幸手停車場線(r414)としばらく重複。
まだ往時の雰囲気を残す商店街の風景。
至る所の街灯にらき☆すたが描かれている。一応ここが作者の地元なのだが鷲宮や春日部の方がイメージとしては強い。
ところどころある空き地は宿場町ならではで奥行きが広い。
中一丁目(南)交差点でr414と分かれる。
問屋場跡。
小さめの休憩スペースになっている。
街に見られる看板には岩槻のさいたま市編入の巻き添えで改名された岩槻幸手線の名前が残る。
中一丁目交差点で久喜新道の別名を持つ幸手久喜線(r153)と合流。東北本線の久喜駅と幸手宿を結ぶために作られた道路である。
荒宿交差点は加須幸手線(r152)の旧道との交差点。r152は現在やや離れた権現堂公園で国道4号と合流しており、この県道とは交差しない。
聖福寺には芭蕉とその弟子曽良の句碑がある。
けっこう読み辛い。
一里塚跡。
この辺りには無かったはずなのだが最近増えてきたこのタイプのソトバ。
北側用水路。
内国府間(うちごうま)交差点で国道4号と合流し終点。

GPSログ

歴史も個人的な思い出も深い道なので楽しく歩けた。

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