東金・八鶴湖と日吉神社参道の杉並木 :5
(承前)
全国にある日吉神社、日枝神社、山王神社は、いうまでもなく近江・坂本の日吉大社に起源をもつ。
比叡山のふもとという立地、なにより「日吉(ひえ)」の読みが表すように、日吉大社は天台密教と分かちがたく結びついた神仏習合の護法神であった。
東金の日吉神社は、大同2年(807)、伝教大師最澄によって近江の日吉大社から分霊され、八鶴湖畔の最福寺とともに創建されたという伝承をもつ。
いま最福寺と日吉神社は若干離れた位置だが、日吉神社が創建されたのは最福寺の裏山で、室町期の嘉慶元年(1387)に現在地へと遷座している。もとの場所には、古山王神社という小さな社がある。
比叡山が最福寺、日吉大社が日吉神社に対応するとすれば、八鶴湖は最初から琵琶湖に見立てられていた可能性がある。
そういえば、東京・溜池山王の日枝神社も高台にあり、そのふもとには、かつて「溜池」があった。
広い湖沼・池を望む高台——日吉山王の神とは、そういった近江の風土を思わせる土地を選んで勧請(かんじょう)されたものなのかもしれない。
家康は、このような見立てを意識をしながら、沼沢地だった八鶴湖をより琵琶湖らしく、整備させたのではとも思われる。上野の山を比叡山、不忍池を琵琶湖に擬したように、である。
家康は、八鶴湖に弁天島を整備した。琵琶湖の竹生島、不忍池の弁天島にあたるもので、この存在も見立ての意図を感じさせるのだ。
ーー思いのほか大それた長話となってしまったが、東金のシリーズものは今回で打ち止めとしたい。
書いているうちに、また行ってフィールドワークしたくなってきた。マップにさんざ映り込んでいる餃子屋さんの餃子を食してみたいし、桜の時期なども、なかなかいいな……東金への興味は尽きない。
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