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東金・八鶴湖と日吉神社参道の杉並木 :2

承前

 八鶴湖の周辺には訪れるべき場所が多く、散策に事欠かない……と思うのだが、散歩をする人、立ち話をする人、みな地元の方々とみえて、観光色は薄い。というか、ない。
 それでも春になって、湖の周囲1キロにわたって植えられた1,000本の桜が咲けば、県内から多くの花見客が訪れるという。さぞ、壮観だろう。

Googleマップより転載
中央の丘陵の尾根伝いに、日吉神社とその参道がある。右側は古刹・最福寺。家康が信頼を寄せた日善上人がいた
最福寺の側から。大きなイチョウより右側が東金高校=東金御殿の跡地。中央にある瓦葺きの建物群は……
元旅館「八鶴館」。現在は料亭「八鶴亭」で、国の登録有形文化財。後ろの煙突は、これまたいい感じの銭湯「松の湯」のものか
伊豆か箱根にでも来たような気分だが、ここは東金。風光明媚なこの地に遊ぶ文人は多く、北原白秋、伊藤左千夫も投宿。昭和21年には、まだ学生だった上皇陛下も宿泊したという
うーん、いい感じ。もう開いていたし、入っていけばよかったな……

 マップを再掲する。

Googleマップより転載

 西端に「東金城跡」とある。中世から戦国期にかけての山城の跡で、その山麓に東金御殿が築かれた。湖の北西には(マップにはないが)山と、その尾根に日吉神社があり、丘陵は最福寺の背後と東側にも続いている。
 すなわち、三方を山に囲まれた窪地に八鶴湖はあり、東金御殿は山を背に、水に面した立地となっているのだ。ひらけた南側も、八鶴湖によって封じられている。
 東金御殿の造営や八鶴湖の整備・拡張に関して、有事への備えが意識されていることは想像にたやすい。
 一時的とはいえ、将軍の滞在する場所である。隙はみせられないのだ。

 東金御殿と同時に、船橋と東金を結ぶ街道も整備されている。
 交通網の整備に、郊外の拠点づくり。名目上は「鷹狩りのため」であったが、軍事面での布石は間違いなくあったのだろう。
 この街道は「御成街道」と呼ばれる道で、日吉神社にもつながっていく。(つづく

 ※いざとなれば、湖を挟んで反対側にある最福寺も砦として利用できそうだ
 ※東金御殿の遺構が、お隣・大網白里市の正法寺に移築され現存している


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