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太子忌の思い出 播磨の斑鳩寺 :3

承前

 講堂でしばしの時を過ごし、裏手の宝物館でさらに寺宝を拝観。
 仏教美術の優品が並ぶなか、この宝物館の最大の目玉とされるのは、「聖徳太子の地球儀」と称される小さな丸い物体。表面の凹凸が大陸に見えるとか見えないとかで、オカルトの筋ではつとに知られているそうだ。
 寺社の宝物館にいたつもりが、この「地球儀」が展示されている一角だけ、バブル期の観光地にありがちな「秘宝館」のようだった。予備知識なく相まみえたので、面喰らってしまった。

 ※原田実先生が書かれているこのサイトが、いちばん参考になりそう

 みんな石、石と呼んでいるけれど、わたしがみるかぎり、これは陶磁器ではと思われた。全体に掛かっているのは褐釉、剥離した箇所から覗くのは石灰質のサラサラの白い土にみえるからである。
 「聖徳太子の」というのは、この斑鳩寺に伝わったからこそセットでついてくる枕詞のようなもので、端っから考慮の内に入れなくともよさそうだ。
 江戸の好事家が私的につくらせて掌で弄んだものが、なんらかの経緯で寄進されたのではないだろうか。愛玩のほどは、手ごろな大きさと剥離の多さからうかがえる。

手づくり感あるポスター。「TVでおなじみ」と控えめに言及
太子を祀る聖徳殿。大正期の建築で、国登録有形文化財

 境内から出て近隣をぶらついていると、斑鳩小学校の校舎に、どでかい垂れ幕が下がっているのに気がついた。
 垂れ幕によると、宇宙飛行士の野口聡一さんは斑鳩小学校のご出身で、太子町の名誉町民にもなっているという。3歳から小学5年生まで、この界隈で育ったそうだ。
 聡一少年もきっと「聖徳太子の地球儀」を見たことだろう。そして宇宙に思いを馳せるようになり、宇宙飛行士になることを志したのだった……というストーリーであったら魅力的なのだけれど、じっさいは、大阪万博で見た「月の石」がきっかけだとか。惜しい。
 地球儀で指し示すことのできる域すら脱する人間が、この土地から出ようとは……さすがの聖徳太子も、想像すらできなかったろう。
 播磨の斑鳩の青い空は、宇宙へとつながっていた。

兵庫にいるのに「斑鳩」。
後ろの「そば焼」が気になったので、調べてみたら……





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