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ひらり、薬師寺:2

承前

 東西の両塔が対峙するその中間に、大相撲の立行司のように、どっしり構えるお堂が金堂である。

金堂にも、塔と同じく裳階がついている。実際は2層の建築

 小津安二郎監督の映画『宗方姉妹(むねかたきょうだい)』(1950年)には、薬師寺の東塔と金堂が登場する。田中絹代演じる姉・節子が、高峰秀子演じる妹・満里子を連れ出して奈良の寺巡りをする序盤のくだりだ。
 金堂の石段に腰掛けて、こんな会話が交わされる。

満里子「ここ薬師寺?」
節子 「そうよ」
満里子「さっきも行ったじゃないの、薬師寺」
節子 「あれは新薬師寺よ」
満里子「あら、そう」

 薬師寺と新薬師寺がごちゃまぜになるという、74年前も変わらない「奈良旅あるある」な会話をとおして、寺巡りを愛好する古風な姉と、お寺嫌いを自称し、姉に嫌々連れまわされる現代風の奔放な妹という、ふたりの対照的な性質を浮かび上がらせている。ちょっとした会話のなかに小ネタを仕込んで親近感を増し、キャラクターの解像度を上げるのは、小津がよく用いた手法。
 ふたりの背後に映る金堂は、室町期に造営の、単層の大屋根をもつ旧金堂(仮金堂)。現在の金堂は昭和51年(1976)造営、創建当初の様式を可能な限り再現した2層のお堂である。
 なお、室町時代の旧金堂は同じ奈良市内の興福寺に移築され、現在は興福寺の「仮講堂」となっている。2大スターが腰かけた石段も、いまは興福寺に。
 中金堂ができてその陰に隠れてしまい、目立たなくなっているが、もとは薬師寺にあった建物だ。


 薬師寺金堂のなかへ、入っていく。
 下の画像にもうっすら写っているが、薬師寺の御本尊・薬師如来とその脇侍・日光菩薩と月光菩薩が、中にはいらっしゃる。

金堂正面

 岡倉天心は、薬師寺の薬師三尊に関し、学生たちを前にした講義のなかで、次のように熱弁をふるっている。


「あの像をまだ見ない人があるなら私は心からその人をうらやむ」

「あの驚嘆を再びすることができるなら、私はどんなことでも犠牲にする」
 

和辻哲郎「岡倉先生の思い出

 わたしが最初に薬師寺を訪れ、本堂へ入る石段に足をかけているまさにそのとき、この一節を思い起こしていた。天心センセイ、ハードル上げまくりだな……はたして、いかほどのものか。
 もちろん、その当時も事前の予習であったり、それ以前に「知識」として、写真を介して薬師三尊を知っているつもりではあった。そのような不十分な状況ですら、なにかしらの魅かれるものを受け取れたからこそ、現地まで足を運びたくなったともいえるわけだけれど、薬師三尊との初めての出逢いは……それはもう鮮烈な、ひとつの「体験」といえるものだった。
 最初の「体験」と比べて、今回を含めたその後数度にわたる薬師三尊との邂逅は、どうであったか?……思い返してみても、優劣はつけがたいのが正直なところ。
 すなわち、わたしの受けとめ方は、天心のスタンスとはちょっと異なる。理解はできるいっぽうで、違っている。
 いつ来ても清新で、爽快で、うららかで、なまめかしい。言葉に起こせば、そういったことになる。けれど「変わらない」というのとも違う。形容しがたいニュアンスのなかで、会うたびに、揺れ動いている気がする。

 ここまで、あえて薬師三尊の画像を示さずに書いてきた。薬師寺の公式サイトをはじめ、薬師三尊の画像がウェブ上にはいくつも転がっているが、そのどれもが、はっきりいってぜんぜん違う。そんなに平板ではないし、どの写真も、重さや軽さをとらえきれていない。こんなんじゃない……
 ご自分の薬師三尊を見つけに、ひとりでも多くの方が薬師寺を参拝してほしいと願っている。


 金堂後方の講堂でも諸仏を拝観、その西で物販や休憩所が入る食堂(じきどう)に立ち寄ったのち、ふたたび南方向へ。東院堂を目指す。

東院堂(鎌倉時代  国宝)
このすぐ向かいには、回廊を挟んで東塔がそびえる。東院堂は回廊の外にあるため、参拝せぬまま伽藍を出てしまう方が多いようだ。忘れずお参りしたい

 ここには、これまたすばらしい白鳳仏《聖観音立像》(国宝)がいらっしゃる。

 薬師三尊とほぼ同時期に、同じ鋳造技法でつくられた兄弟作といえるが、同じく立像の《日光・月光菩薩》に比べると、高さは100センチ弱も小さい。
 そのうえ、造形的にはボリューム感が抑制され、愛らしいポーズやにこやかな表情も相まって、少年のようでもある。かなり、印象が異なるといえよう。浮世絵でいえば、鳥居清長と鈴木春信の個性の違いとでもいえようか。
 薬師三尊よりも聖観音を推したいという声は、かねてより根強い。じつは、薬師三尊をさんざん誉めそやしてきたわたしもまた、この聖観音をより好む、有り体にいえば「ファン」である。
 和辻哲郎も『古寺巡礼』で「世界に比類のない偉大な観音」と称えている。先に引用した岡倉天心の言葉は、講義を学生として聴講していた和辻の回想に拠るものだが、『古寺巡礼』における和辻の薬師寺聖観音への評は、薬師三尊を評した天心の強い言葉以上に、熱い。熱すぎて、火傷しそうなくらいだ。興味のある方は、読んでみてほしい(青空文庫にも入ってます)。
 その気持ちが、わたしにもまあ、よくわかるのだ。
 薬師三尊を観ると、うっとりしてしまう。聖観音を観ると、晴れやかな気持ちになれる。
 なんだか、きょうはもう、言葉を尽くすのが阿呆らしくなってきたから、こんなざっくりした感想だけ、置いておくことにしよう。

 
 ——そんなこんなで、白鳳伽藍の南側、入ってきた門の逆側の出口から退出。
 帰り道では、自転車を漕ぎながら、何度も塔のほうを振り返るのであった。
 視界を遮る高層の建築は、周囲にはほぼないけれど、サイクリングロードを駆け抜けていくごとに、当たり前ながら塔は小さく、遠くなっていった。
 塔が豆粒になる頃、自宅に到着。豆粒でも、見えていることじたいがすばらしい。
 いつでも薬師寺に気軽に来られる。その価値を再認識できた、今回の参拝だった。


振り返れば、東塔


 ※新薬師寺は東大寺に関係の深い寺で、「新」は「霊験あらたか」などの用例に通じる「新」、「あたらしい」の意ではない。なお、橿原市には「本(もと)薬師寺跡」がある。藤原京にあった頃の薬師寺の礎石群である。


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