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日本絵画(近世まで)

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#サントリー美術館

激動の時代 幕末明治の絵師たち〈後期〉:3 /サントリー美術館

(承前)  この展示には、美術史の狭間に取り残された幕末・明治の魅力的な作家たちを掘り起…

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激動の時代 幕末明治の絵師たち〈後期〉:2 /サントリー美術館

(承前)  本展でとりわけ大きく扱われる作家・安田雷洲の《捕鯨図》(江戸時代・19世紀 歸…

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激動の時代 幕末明治の絵師たち:1 /サントリー美術館

 シンプルなネーミングの本展。  ポスターやリーフレットには、展覧会名との襷掛け・書き文…

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虫めづる日本の人々:1 /サントリー美術館

 虫が、苦手である。  だからといって「日本美術における虫の表現」にスポットを当てた本展…

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没後190年 木米:4 /サントリー美術館

(承前)  木米が絵画でみせた融通無碍な振る舞いは、気負いのない余技のジャンルであるから…

没後190年 木米:3 /サントリー美術館

(承前)  木米の「画」。  その作行きは、やきものの多種多様ぶりに比べると、かなり限定…

没後190年 木米:2 /サントリー美術館

(承前)  木米の生業は、やきもの。絵画は、あくまで余技だった。  そして陶工や画家である以前に、木米は生粋の文人であった。文人の営みとして、書を読み、煎茶を喫し、やきものをこしらえ、絵筆を走らせたともいえよう。  陶・画ともに、木米というひとりの人が為したことであり、源を同じくするのならば、その産物には共通する傾向が見出せるのが通常と思われる。  しかしながら、木米の多様な作品を観れば観るほど、そのつかみどころのなさに途方に暮れてしまった。いったい何者なんだ、この男は……

第10回 日本の水石展:2 /東京都美術館

(承前)  学生時代に、地球科学を専攻する友人がいた。  道ばたで石塊や露頭を見つけると…

京都・智積院の名宝:3 /サントリー美術館

(承前)  智積院は、真言宗智山派の総本山。高野山や根来寺の流れを汲む真言の名刹にして、…

京都・智積院の名宝:2 /サントリー美術館

(承前)  智積院は室町時代、根来寺(和歌山)の山内に創建された真言宗の寺。  いま智積…

京都・智積院の名宝:1 /サントリー美術館

 長谷川等伯とその一門による障壁画で知られる、京都の智積院(ちしゃくいん)。  わたしが…

美をつくし―大阪市立美術館コレクション:2 /サントリー美術館

(承前)  大阪市立美術館の収蔵品は、他の公立館のそれとはやや異なる趣をもっている。  …

秋の風 能楽と日本美術:1 /国立能楽堂 資料展示室

 千駄ヶ谷の国立能楽堂に、一室だけのささやかな展示スペースがある。  ここではときおり「…

大英博物館 北斎 ―国内の肉筆画の名品とともに―:2 /サントリー美術館

(承前)  みずからを、絶えず拡張しつづけた北斎。  彼の残した絵はじつにバラエティに富んでいるが、そのどれもが、すぐに「ああ、北斎だな」とわかってしまうようなアクの強さを帯びている。  それは節(ふし)の短い力強い運筆や、この人くらいしか描けないであろう奇矯な構図、人物のポージングなどに顕著に認められよう。  たとえば、北斎の引く衣文線は、衣文線でありながらけっして流麗ではなく、完全に北斎その人の線となっている。花鳥の鳥は体をくねらせ、曲芸師よろしくアクロバティックな格好