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神戸新聞の記事で振り返るコウノトリの歩み

 春を迎え、今年もコウノトリの繁殖シーズンが始まりました。今年も兵庫県や全国各地でひなが次々に生まれています。日本のコウノトリは半世紀前、一度は絶滅してしまいましたが、人の手でコウノトリを復活させる取り組みが軌道に乗り、今では約250羽(2022年2月末時点)が確認されています。コウノトリの長い歴史を学ぶには、神戸新聞の過去記事が頼りになります。大勢の記者たちが、コウノトリの絶滅や初めてのひな誕生、空に返す瞬間に立ち会い、悲しみや喜びを伝えてきました。神戸新聞に残るスクラップ帳を手繰りながら、コウノトリの歴史を振り返ってみます。

野外コウノトリ100羽に
減農薬進み すみやすい土地に

 6月19日、日本の野外で暮らす国の特別天然記念物コウノトリの数が100羽を超えた。一度は空から消えた鳥を人の手で増やし、再び野生に放す「野生復帰」の取り組みが、実を結びつつある。コウノトリが増えることには、どんな意義があるのだろうか。

 ―コウノトリはどんな鳥?
 「日本にすむ中では最大級の鳥だよ。肉食で魚やカエルなどを食べる。見た目はツルに似ているけど、鳴かないなど生態は違う。ロシアや中国にもすむ渡り鳥だけど、昔の日本には渡りをやめて、各地にとどまって繁殖する鳥がいたんだ。乱獲などで数が激減した後も、但馬には最後の野生の群れが残っていたけど、その鳥たちも農薬で餌が減り、体も汚染されて、1971年に絶滅してしまった」
 ―今回の100羽って何の数なの?
 「日本のコウノトリが絶滅した後、人が育てて増やした鳥を2005年、豊岡市から初めて野外に放したんだ。その後、但馬だけでも昨年までに約40羽を放鳥。07年からは放された鳥たちが人の手を借りずに野外でひなを育て始め、巣立つようになったよ。数が増えると、鳥たちは全国に飛んで行き、ほぼ全国で見られるように。福井や千葉でも放鳥が始まり、17年には徳島で、豊岡周辺以外で初めて繁殖に成功したんだ」
 「でも、野外には電線や野生動物などの危険もいっぱい。放鳥された鳥やその子や孫世代などのうち、死んだり、行方不明になったりした鳥を除き、今も野外で生き抜いている鳥の数が、6月19日に初めて100羽になったんだ」
 ―すごいことなんだ。
 「日本のコウノトリが絶滅する前から、兵庫県では『必ず空に帰す』と〝約束〟し、多くの人が保護や飼育に力を尽くしてきたんだ。野生コウノトリを捕まえて人が飼育し、数を増やす取り組みが始まったのは1965年。初めは捕まえた親鳥がひなをかえせず、全て死んでしまう状況が続いた。そこで旧ソ連から譲り受けた幼鳥の飼育を始めた。待望のひなが誕生するまで20年以上かかったんだ。21世紀に入り、飼育数が100羽を超え、やっと野外に放せるようになった」
 「絶滅した頃は、農薬の影響でコウノトリが食べる生き物も汚染され、数も減ったんだ。放鳥が始まった時には自然や餌が豊富な田んぼを取り戻す試みも本格化し、無農薬や減農薬の米作りも盛んになった。鳥たちがすみやすい湿地作りや、野外で暮らすコウノトリの見守りもずっと続いているんだよ。苦しい道のりを支えた人たちがいたからこそ、身近にコウノトリがいる環境を取り戻せたんだ」
 ―今後はどうなるの?
 「コウノトリと人間が一緒に暮らせる地域作りが広がり、昔のように全国各地でコウノトリが繁殖し、海外にも渡るようになれば、絶滅の危険は少なくなるはず。そのためにも各地でかわいがってもらえるよう、コウノトリの存在や保護の意味を、大勢の人に知ってもらう必要があるんだよ」

2017年7月11日付朝刊より

〈日本の野外コウノトリ 100羽への歩み〉
1955年 日本の野生コウノトリが20羽近くに減少
  56年 国の特別天然記念物に指定
  65年 野生のコウノトリを捕獲、人工飼育が始まる。兵庫県の県鳥に指定
  71年 国内の野生コウノトリ最後の1羽が死ぬ。国内で絶滅
  85年 旧ソ連ハバロフスク地方から県に幼鳥6羽が贈られる
  89年 飼育場で、初めてひなのふ化に成功
  99年 県立コウノトリの郷公園が完成
2002年 飼育コウノトリの数が放鳥の目安とされた100羽に
  05年 野生復帰が始まる。9月、飼育コウノトリ5羽を豊岡市で野外に放鳥
  07年 豊岡市の野外で、放鳥コウノトリが育てたひなが巣立つ。国内では46年ぶり
  12年 豊岡市で放鳥コウノトリの孫世代が巣立つ
  13年 養父市、朝来市でも放鳥される
  17年6月2日 徳島県鳴門市で、豊岡周辺以外で初めてひなが巣立つ
    6月19日 日本の野外コウノトリの数が100羽に達する)

まずは、簡単にコウノトリについて説明します。コウノトリを初めて見た方は、おそらくその大きさに圧倒されるでしょう。羽を広げれば約2メートル。よく目立ち、兵庫県内でも但馬地域だけでなく、各地で見られるようになりました。日本の野生コウノトリは1970年代、乱獲や開発、農薬による環境汚染などの影響で、一度は絶滅してしまいました。今、私たちが見ているのは、ロシア(旧ソ連)から幼鳥を譲り受け、人が飼育して増やし、野外に放されて生き抜いているコウノトリやその子孫です。2005年の最初の放鳥はたった5羽でしたが、2017年に100羽、2020年に200羽に到達し、今年の繁殖シーズンにもさらに数が増える見通しです。

まずは半世紀以上前、高度経済成長期の1966年の記事からご覧ください。

1966年7月7日付朝刊より

最初は、まだ野生コウノトリが残っていたころの記事です。農薬で汚染されたエサを食べ、コウノトリが水銀中毒になっていたことも分かっていましたが、絶滅間際のコウノトリの巣塔の下でも農薬がまかれ続けている、象徴的な風景を写真でとらえています。

1969年1月には、コウノトリのつがいを捕まえたことを伝える記事がありました。「夫婦」という表現にコウノトリへの愛着が感じられます。

1969年1月12日付朝刊より

野生のコウノトリは1956年、国の特別天然記念物になります。最後の生息地だった兵庫県はその管理団体に指定され、野生のつがいを捕まえ、飼育して増やそうとする「保護増殖」の取り組みが本格化します。1965年以降、神戸新聞では、何度か実施された捕獲の様子や、捕まえた鳥たちのその後について、記事で詳しく伝えました。「「ドカーン」とゴウ音を残して空中に伸びたネットは、無心に雪の田んぼでエサをつついていたコウノトリ夫婦をすっぽり包んだ」など、文章の書き方も今とは違って独特です。

コウノトリを人が育てて増やす「保護増殖」の取り組みは、なかなかうまくいきません。せっかく捕まえたコウノトリが事故や病気で死んでしまったり、卵を産んでもひなが一向にかえらなかったりして、苦しい道のりを歩みます。

神戸新聞但馬総局に残っていた一番古いスクラップ帳も、絶滅前で切り抜きが途切れていました。保護増殖に関わった方も、過去のインタビューで「(当時は)世間の関心もだんだんと薄れていった」「苦悶した」と回想されていました。

野生のコウノトリは1971年、最後の1羽が死んでしまい、絶滅しました。1986年には、捕獲されて施設にいたコウノトリも死に、もともと日本にいたコウノトリはいなくなってしまいました。記事にも、「打つ手がない」「どうしようもない」など苦しい言葉が何度も出てきます。「いつの日か、コウノトリをかならず空に返す」と始まった試みですが、つらく苦しい時期が続きます。

1985年7月の記事では、海を渡ってロシアからコウノトリが豊岡市にやってきます。

1985年7月28日付朝刊より

日本のコウノトリの絶滅で、保護増殖の取り組みは、ロシア(旧ソ連)から幼鳥を譲り受けて増やす計画に望みが託されました。コウノトリの種そのものは、ロシア極東地方や中国東北部などに広く分布しています。絶滅したのは、そのうち日本に渡ってきて繁殖をしていたグループ。同じ種のコウノトリを日本で育て、もう一度増やそうという作戦です。1985年には、コウノトリの幼鳥6羽が豊岡市の飼育施設に届き、関係者らが歓迎した様子が伝えられています。

1989年5月、待ちに待ったニュースが紙面を飾ります。

1989年5月16日付夕刊より

1989年、ロシア(旧ソ連)から譲り受けた鳥のうち1つがいが、ついに卵をふ化させます。前年に東京の動物園もコウノトリの人工ふ化に成功しており、全国では2例目となりました。この年以降、兵庫県でも毎年ヒナが誕生するようになり、以来、飼育コウノトリの数が増えていきます。

コウノトリ放鳥 大空へ再び
人工飼育40年 豊岡

 国内ではいったん絶滅し、四十年間かけて人工飼育で増やされた特別天然記念物コウノトリのうち五羽が二十四日、豊岡市の兵庫県立コウノトリのさと公園で試験放鳥された。絶滅した鳥を人里で野生復帰させる世界にも例のない試み。観衆約三千五百人が見守る中、五羽は“夢”を乗せて大空を舞った。
 国内で唯一、豊岡市に生息していた野生のコウノトリが死んだのは一九七一年。餌場だった湿田のほ場整備による乾田化や、農薬の多用などが原因とされる。県や豊岡市は六五年から人工飼育を開始。野生復帰を目指す環境整備を行政と地域が協力して進めてきた。
 放たれたのは雄二羽と雌三羽。秋篠宮ご夫妻のテープカットで木箱から現れた一羽目の雄は、すぐに力強く羽ばたいて大空へ。翼を広げると約二メートル。観客を眺めるように、ゆっくり旋回すると、会場がどよめいた。
 五羽は背中に発信機を装着し、人工衛星で行動を見守る。
 三十日には、飛べなくした別の四羽をネットで囲った公園隣の湿地などに放つ段階的な放鳥も試みる。
 今後五年間は、本格的な野生復帰に向け、生態や環境について追跡調査を行う。豊岡での成否は、同じくコウノトリの放鳥を計画している韓国でも注目されている。新潟県佐渡市での特別天然記念物トキの野生復帰計画の参考ともなり、期待が膨らむ。
 会見で増井光子園長は「飛んだ五羽が落ちてこないか不安だったが、よい意味で予想を裏切ってくれた。こんなにうれしいことはない。繁殖が数世代続いた時点で、この取り組みが成功と判断できる」と話した。

 ▼自由満喫 田んぼ散策

 五羽は待ちかねたように勢いよく羽ばたいた。
 二羽は自由を満喫した。うち一羽は、コウノトリの郷公園から遠く離れなかったものの、近くの水田に舞い降り、一時間近く餌をつついたり、羽づくろいしてみせた。
 沿道には車やバスが連なり、窓から双眼鏡を構えたり、手を振る人も。アマチュアカメラマンもシャッターを切ったが、警戒するそぶりは見せなかった。
 「野生のコウノトリに、こんなに接近することはできなかった」と日本野鳥の会大阪支部の会員(57)。「新しいタイプの鳥を見たよう」
 一羽は、午後四時ごろ、背中に付けた発信機からの電波をキャッチしたが、電波状態が悪く、位置は特定できなかった。コウノトリの郷公園は午後七時、「行動がつかめていない」と発表した。
 追跡調査する「パークボランティア」も探したが、この日は見つからず。ボランティアの女性(54)は「こういうこともあると思う。でも、明日はきっと巡り合いたい」。
 放鳥初日、住民からメールなどで情報が寄せられた。豊岡市内では、市街地の電柱に止まって、くちばしをカタカタ鳴らすクラッタリングという動作をする姿が目撃されたという。行方不明の一羽とみられる。
 残る三羽のうち二羽は、放鳥から十分後の午後二時四十分、放鳥場所から約百メートル南にある公園内の「公開ケージ」に舞い戻った。
 夕方には、飼育中の“仲間たち”と一緒に採餌。うち一羽は初フライトで空腹だったのか、アジ十四匹を一気に平らげた。
 別の一羽も放鳥後すぐ同公園の「野生化ゾーン」で発見された。
 コウノトリの郷公園は「公園に戻ってきた三羽は、しばらく公園を中心に行動する可能性が高い。行方不明になった一羽も同じような行動を取るのでは。心配はしていない」と話した。

〈コウノトリ〉 学名「キコニア・ボイキアナ」。コウノトリ目コウノトリ科に属し、羽を広げた大きさは約2メートル。明治以降の乱獲などで激減、1956年に国の特別天然記念物に指定された。国内で唯一、豊岡市で生息していた野生個体は71年に絶滅。65年から人工飼育を開始。85年に旧ソ連から譲り受けた6羽から人工繁殖を重ね、同市の県立コウノトリの郷公園で118羽にまで増えた。

2005年9月25日付朝刊より

飼育コウノトリの数は2002年、初めてのヒナがかえってから14年目で100羽を超えます。「飼育コウノトリ100羽」は、コウノトリを空に返すための一つの基準でした。1965年に人工飼育を初めてから40年たった2005年9月、最初はコウノトリ5羽が野外に放され、「必ず空に返す」という約束が実現されます。神戸新聞でも、1面、3面、社会面で初めての放鳥を大きく扱いました。1面の記事には「観衆約3500人」とあります。但馬版では翌日以降も、5羽のコウノトリの消息を細かく伝えました。「鼻っ柱が強く付き合い下手だが、雌の鳥とは仲がいい」「臆病で群れるのを嫌がる」「マイペース型」など、細かい性格分析をした記事もありました。

コウノトリひな誕生
国内自然繁殖43年ぶり
豊岡 野生復帰大きな一歩

 国の特別天然記念物コウノトリの野生復帰に取り組む兵庫県立コウノトリのさと公園は二十日午前七時五十九分、放鳥コウノトリのペアが豊岡市百合地ゆるじの人工巣塔(高さ約一二・五メートル)で温めていた卵から、ひな一羽がふ化していることを確認した。自然界でのひな誕生は、国内で四十三年ぶり。放鳥コウノトリの二世誕生は初めてで、絶滅した種を人里で野生に返す世界でも例のない事業が、大きく前進した。
 親鳥は七歳雄(東京・多摩動物公園産)と九歳雌(コウノトリの郷公園産)。囲いの中で約三カ月間、環境に慣らした後、昨年九月に自然界に放たれた。今年四月上旬から百合地の人工巣塔で巣作りを始め、四月半ばから卵を抱く姿勢を続けていた。
 高所作業車に乗り込みビデオ撮影していた同公園職員が、元気に頭を動かすひなを確認した。ひなの首が据わるまでには約十時間かかることから、十九日深夜までにふ化したとみられる。
 ひなは体長約一〇センチ、体重七〇―八〇グラムとみられ、順調に育てば七月にも巣立つ。
 親鳥が頻繁に立ち上がるなどふ化の兆候があるとして、同公園は断続的に巣の中の確認作業を続けていた。十九日夕には、親鳥が立ち上がった後、羽を広げてゆっくりと座るなどそれまでとは異なる動きを見せ、ふ化の期待が高まっていた。
 巣の中には、少なくとも三個の卵が確認されている。同公園は「二羽、三羽と続く可能性もある」として、今後も確認を続ける。
 一方、別の放鳥ペアが同市赤石の巣塔で卵三個を抱いているが、ふ化は絶望的とみられる。
 放鳥事業は、二〇〇五年九月に五羽が自然界に放たれてスタート。〇六年九月の二期生を含め、これまでに計十四羽が放鳥された。初の繁殖シーズンだった昨年は一期生ペアが産卵したが、卵が巣から落ちて割れるトラブルがあった。

〈コウノトリ野生復帰推進計画〉
 絶滅種の集団が、過去の生息地で繁殖し、生息し続けることを目指す国内初の取り組み。行政や住民でつくる「コウノトリ野生復帰推進協議会」が2003年に策定した。「コウノトリと共生できる環境が、人間にも安全で豊かな環境」との認識で、地域づくりを目標としている点が特徴。05年から5年程度を「試験放鳥」、以降を「本格的野生復帰」と位置付けている。新潟県佐渡市で進むトキの野生復帰事業の参考にもなっている。

2007年5月21日付朝刊より

野外に放したコウノトリはつがいになり、2007年には人の手を借りずに繁殖するようになります。野外でのひな誕生は実に43年ぶりでした。神戸新聞でも当日に号外を配ったほか、ひなが無事に巣立つまで、かわいい写真を交えてたくさんの記事を掲載しています。親鳥にエサをもらう様子や羽ばたきの練習、巣の外に上手にふんを飛ばす様子などが紹介されています。

放鳥12年 コウノトリ100羽
絶滅46年、豊岡から全国へ

 国の特別天然記念物コウノトリについて、兵庫県立コウノトリのさと公園(豊岡市祥雲寺)は19日、同市で1羽が巣立ち、2005年の放鳥以来初めて、日本の野外で暮らす鳥の数が100羽に達したと発表した。46年前に一度は日本の空から姿を消したコウノトリ。豊岡市で放鳥が始まって12年目の今年、野生復帰は大きな節目を迎えた。
 同公園によると、19日午前9時25分ごろ、豊岡市百合地にある人工巣塔から、ひな1羽が巣立った。同公園職員が確認したという。
 1971年、国内の野外コウノトリは、最後の1羽が豊岡市で死んで絶滅。その後但馬地域では、99年に開設されたコウノトリの郷公園を拠点に、人工飼育や放鳥といった野生復帰の取り組みが進められてきた。
 2005年、再び野に放たれた鳥が野外で繁殖し、現在は子どもや孫世代の鳥たちが豊岡周辺を中心に生息している。行方不明になったり、自然の中で傷ついて施設に収容されたりした鳥を除く数は、2017年6月18日時点で99羽になっており、この日の1羽で100羽に到達した。
 今年3月下旬には、放鳥が始まって以来初めて、豊岡周辺以外の徳島県鳴門市でひながふ化。6月上旬に、3羽が巣立った。徳島県以外にも今年、島根県雲南市でひなが誕生した。繁殖地は全国に広がり始めている。

2017年6月19日付夕刊より

野外のコウノトリの数は、2017年に100羽、2020年には200羽に届きました。

今年2月時点では約250羽まで増え、今春も、ひな誕生のニュースが国内各地から届いています。

今回は、コウノトリが絶滅し、再び空に帰るまでの大きな節目を兵庫県内の記事から集めました。昨シーズンは兵庫県だけでなく、京都府と鳥取県、島根県、福井県、徳島県、栃木県の7府県でつがいが繁殖。コウノトリと共生できる農業や環境づくりの取り組みも、各地で盛り上がりを見せています。一方で、鳥インフルエンザの流行、電線や鳥獣ネットなど人工物による事故など、コウノトリにとっての脅威を伝える記事も後を絶ちません。

1969年「コウノトリ夫婦捕獲」の記事でコウノトリを抱いていたのは、元コウノトリ飼育長として保護増殖に尽くした松島興治郎さんです。野外のコウノトリが100羽を超えた年の取材に、こう答えています。「苦労と言ったら叱られるし、神から見れば思い上がりかもしれない。でも鳥たちは全国へ飛んで数を増やし、私たちの頑張りを形にしてくれている。大変な喜びです」「でも、この先もコウノトリが続いていくためには、私たちが、自分自身の問題として考え続けなければいけないんです」

コウノトリをめぐる取り組みは、まだまだ途中経過。年表はさらに伸びていきます。ご紹介した記事はごくごく一部。関心を持っていただけた方は、ぜひ図書館などで神戸新聞の古い記事を手繰ってみてください。

コウノトリの豆知識「コウノトリビア」を集めた投稿はこちら

<アナグマ>
2008年入社。コウノトリを見るたび、「世界で一番、恐竜に近い鳥なのではないか」とひそかに感じています。コウノトリにまつわる過去記事の量と熱量に圧倒されました。昨年、ジョニー・デップ主演の映画「MINAMATA」を見たのですが、コウノトリ絶滅の記事と水俣病の記事が並んで掲載されていて、いろいろ考えさせられました。

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