春を迎え、今年もコウノトリの繁殖シーズンが始まりました。今年も兵庫県や全国各地でひなが次々に生まれています。日本のコウノトリは半世紀前、一度は絶滅してしまいましたが、人の手でコウノトリを復活させる取り組みが軌道に乗り、今では約250羽(2022年2月末時点)が確認されています。コウノトリの長い歴史を学ぶには、神戸新聞の過去記事が頼りになります。大勢の記者たちが、コウノトリの絶滅や初めてのひな誕生、空に返す瞬間に立ち会い、悲しみや喜びを伝えてきました。神戸新聞に残るスクラップ帳を手繰りながら、コウノトリの歴史を振り返ってみます。
野外コウノトリ100羽に
減農薬進み すみやすい土地に
まずは、簡単にコウノトリについて説明します。コウノトリを初めて見た方は、おそらくその大きさに圧倒されるでしょう。羽を広げれば約2メートル。よく目立ち、兵庫県内でも但馬地域だけでなく、各地で見られるようになりました。日本の野生コウノトリは1970年代、乱獲や開発、農薬による環境汚染などの影響で、一度は絶滅してしまいました。今、私たちが見ているのは、ロシア(旧ソ連)から幼鳥を譲り受け、人が飼育して増やし、野外に放されて生き抜いているコウノトリやその子孫です。2005年の最初の放鳥はたった5羽でしたが、2017年に100羽、2020年に200羽に到達し、今年の繁殖シーズンにもさらに数が増える見通しです。
まずは半世紀以上前、高度経済成長期の1966年の記事からご覧ください。
最初は、まだ野生コウノトリが残っていたころの記事です。農薬で汚染されたエサを食べ、コウノトリが水銀中毒になっていたことも分かっていましたが、絶滅間際のコウノトリの巣塔の下でも農薬がまかれ続けている、象徴的な風景を写真でとらえています。
1969年1月には、コウノトリのつがいを捕まえたことを伝える記事がありました。「夫婦」という表現にコウノトリへの愛着が感じられます。
野生のコウノトリは1956年、国の特別天然記念物になります。最後の生息地だった兵庫県はその管理団体に指定され、野生のつがいを捕まえ、飼育して増やそうとする「保護増殖」の取り組みが本格化します。1965年以降、神戸新聞では、何度か実施された捕獲の様子や、捕まえた鳥たちのその後について、記事で詳しく伝えました。「「ドカーン」とゴウ音を残して空中に伸びたネットは、無心に雪の田んぼでエサをつついていたコウノトリ夫婦をすっぽり包んだ」など、文章の書き方も今とは違って独特です。
コウノトリを人が育てて増やす「保護増殖」の取り組みは、なかなかうまくいきません。せっかく捕まえたコウノトリが事故や病気で死んでしまったり、卵を産んでもひなが一向にかえらなかったりして、苦しい道のりを歩みます。
神戸新聞但馬総局に残っていた一番古いスクラップ帳も、絶滅前で切り抜きが途切れていました。保護増殖に関わった方も、過去のインタビューで「(当時は)世間の関心もだんだんと薄れていった」「苦悶した」と回想されていました。
野生のコウノトリは1971年、最後の1羽が死んでしまい、絶滅しました。1986年には、捕獲されて施設にいたコウノトリも死に、もともと日本にいたコウノトリはいなくなってしまいました。記事にも、「打つ手がない」「どうしようもない」など苦しい言葉が何度も出てきます。「いつの日か、コウノトリをかならず空に返す」と始まった試みですが、つらく苦しい時期が続きます。
1985年7月の記事では、海を渡ってロシアからコウノトリが豊岡市にやってきます。
日本のコウノトリの絶滅で、保護増殖の取り組みは、ロシア(旧ソ連)から幼鳥を譲り受けて増やす計画に望みが託されました。コウノトリの種そのものは、ロシア極東地方や中国東北部などに広く分布しています。絶滅したのは、そのうち日本に渡ってきて繁殖をしていたグループ。同じ種のコウノトリを日本で育て、もう一度増やそうという作戦です。1985年には、コウノトリの幼鳥6羽が豊岡市の飼育施設に届き、関係者らが歓迎した様子が伝えられています。
1989年5月、待ちに待ったニュースが紙面を飾ります。
1989年、ロシア(旧ソ連)から譲り受けた鳥のうち1つがいが、ついに卵をふ化させます。前年に東京の動物園もコウノトリの人工ふ化に成功しており、全国では2例目となりました。この年以降、兵庫県でも毎年ヒナが誕生するようになり、以来、飼育コウノトリの数が増えていきます。
コウノトリ放鳥 大空へ再び
人工飼育40年 豊岡
▼自由満喫 田んぼ散策
飼育コウノトリの数は2002年、初めてのヒナがかえってから14年目で100羽を超えます。「飼育コウノトリ100羽」は、コウノトリを空に返すための一つの基準でした。1965年に人工飼育を初めてから40年たった2005年9月、最初はコウノトリ5羽が野外に放され、「必ず空に返す」という約束が実現されます。神戸新聞でも、1面、3面、社会面で初めての放鳥を大きく扱いました。1面の記事には「観衆約3500人」とあります。但馬版では翌日以降も、5羽のコウノトリの消息を細かく伝えました。「鼻っ柱が強く付き合い下手だが、雌の鳥とは仲がいい」「臆病で群れるのを嫌がる」「マイペース型」など、細かい性格分析をした記事もありました。
コウノトリひな誕生
国内自然繁殖43年ぶり
豊岡 野生復帰大きな一歩
野外に放したコウノトリはつがいになり、2007年には人の手を借りずに繁殖するようになります。野外でのひな誕生は実に43年ぶりでした。神戸新聞でも当日に号外を配ったほか、ひなが無事に巣立つまで、かわいい写真を交えてたくさんの記事を掲載しています。親鳥にエサをもらう様子や羽ばたきの練習、巣の外に上手にふんを飛ばす様子などが紹介されています。
放鳥12年 コウノトリ100羽
絶滅46年、豊岡から全国へ
野外のコウノトリの数は、2017年に100羽、2020年には200羽に届きました。
今年2月時点では約250羽まで増え、今春も、ひな誕生のニュースが国内各地から届いています。
今回は、コウノトリが絶滅し、再び空に帰るまでの大きな節目を兵庫県内の記事から集めました。昨シーズンは兵庫県だけでなく、京都府と鳥取県、島根県、福井県、徳島県、栃木県の7府県でつがいが繁殖。コウノトリと共生できる農業や環境づくりの取り組みも、各地で盛り上がりを見せています。一方で、鳥インフルエンザの流行、電線や鳥獣ネットなど人工物による事故など、コウノトリにとっての脅威を伝える記事も後を絶ちません。
1969年「コウノトリ夫婦捕獲」の記事でコウノトリを抱いていたのは、元コウノトリ飼育長として保護増殖に尽くした松島興治郎さんです。野外のコウノトリが100羽を超えた年の取材に、こう答えています。「苦労と言ったら叱られるし、神から見れば思い上がりかもしれない。でも鳥たちは全国へ飛んで数を増やし、私たちの頑張りを形にしてくれている。大変な喜びです」「でも、この先もコウノトリが続いていくためには、私たちが、自分自身の問題として考え続けなければいけないんです」
コウノトリをめぐる取り組みは、まだまだ途中経過。年表はさらに伸びていきます。ご紹介した記事はごくごく一部。関心を持っていただけた方は、ぜひ図書館などで神戸新聞の古い記事を手繰ってみてください。
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<アナグマ>
2008年入社。コウノトリを見るたび、「世界で一番、恐竜に近い鳥なのではないか」とひそかに感じています。コウノトリにまつわる過去記事の量と熱量に圧倒されました。昨年、ジョニー・デップ主演の映画「MINAMATA」を見たのですが、コウノトリ絶滅の記事と水俣病の記事が並んで掲載されていて、いろいろ考えさせられました。
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