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先人達の物語 阪神の近代化産業遺産群
今から10数年前、神戸新聞阪神版で連載をしました。「阪神近代化ものがたり 産業遺産を訪ねる」。経済産業省が2009年に発表したリポート「近代化産業遺産33」を基にしたものです。
一口に産業遺産と言っても、洋館、橋梁(きょうりょう)、鉱山、ドック、機械など形状は多様で、その一つ一つに歴史的ドラマがあります。
1890年ごろ、農地だった尼崎臨海部に、尼崎紡績(現ユニチカ)などの紡績工場が次々と進出しました。やがて、旭硝子が日本で初めて板ガラスの量産化に成功、さらに日本リーバ・ブラザーズ(現日油)も国内初の石けん工場を設けるなど、臨海部は「軽工業から重工業」へと変身し、阪神工業地帯が誕生しました。
人が住み、学校ができ、灘五郷の一角、西宮・今津郷の日本酒業界も飛躍を遂げます。都市の発展を支えたそれぞれの建造物には、先人達の苦悩や産業躍動の息吹が刻み込まれています。ド・ローカルが、日本の近代化をリードしてきた阪神地域の主な産業遺産をご紹介します。
世界に誇る大紡績工場 ユニチカ記念館
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往来激しい国道43号線沿いに、れんが造りの洋館がひっそりと建つ。ここが、阪神地域における近代工業発祥の地、と知る人は少ない。
ユニチカの前身となる尼崎紡績会社が、1900(明治33)年に本社事務所として建てた。
2階建て延べ約570平方メートル。それほど大きな建物ではないが、最盛期の1929(昭和4)年ごろには、事務所北東約20万5千平方メートルの広大な敷地に工場が立ち並び、約千機の織機がうなりを上げていた。
同社は、尼崎城廃城に伴い困窮した旧尼崎藩士を救おうと、1889(明治22)年に設立された歴史的な原点を持つ。完成した工場を公開する際には、市民3万人が詰めかけたという。
また、1893(明治26)年には、自前で大阪市内から工場まで約13キロにわたって電柱を立てて電話線を引き、それらを電話交換局に献納した。その結果、尼崎市の市外局番は、大阪市と同じ「06」になった。
工場の大半は太平洋戦争で焼失したが、事務所は奇跡的に残り、改修され、1959(昭和34)年に記念館として生まれ変わった。
現在、同館には創業以来の資料や、昭和天皇が1947(昭和22)年に来館した際の「玉座」などが展示され、世界に誇る大紡績工場の一角を担っていたことを、今に伝えている。
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繊維大手ユニチカの前身「尼崎紡績」の本社事務所には、市内で初めて大阪から電話線が引かれ、尼崎の市外局番が「06」となるきっかけになりました。ユニチカ記念館は老朽化で現在閉業されていますが、館内には同社の歴史資料が収蔵されています。「東洋の魔女」と呼ばれて1964年の東京五輪で金メダルを獲得した女子バレーボール日本代表の大松博文監督や選手の大半が会社チーム「ニチボー貝塚」に所属したことから、五輪ブレザーや手紙などゆかりの資料もあります。
近年ではNHK連続テレビ小説「あさが来た」で、尼崎紡績の初代社長・広岡信五郎の妻で女性実業家の広岡浅子がヒロインのモデルになったことでも注目されました。
銘酒育む名水 宮水公園
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酒造会社が立ち並ぶ酒蔵通りの北側に、各社の井戸が集まる。その一角、敷き詰められた石の中、連なる瓦が弧を描き、鏡のように空を移す銀色の半球がいくつも浮かぶ。西宮市都市景観賞にも選ばれた庭園だ。
阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた酒造地帯の復興をアピールするため、「白鹿」「大関」「白鷹」をそれぞれ製造する3社が協力、1997年に整備した。
約900平方メートルの敷地には計14基の井戸がある。その周辺に配された半球は六甲山を表し、瓦は海の波を表現したという。
周辺はもともと、酒造りに欠かせない「宮水」をくみ上げる場所。宮水は、酵母を増殖させるリンなどの成分が多く、色や香りに悪影響のある鉄分が少ないのが特徴。1840年に酒造家の山邑太左衛門が水の効果に気付いたと伝えられる。
明治以降、港の改修工事などが進む中で海水浸透の危機にひんした。近年、帯水層を守る工夫が凝らされ、現在も全国有数の名酒を生み出し続けている。
園内には、かつて「白鹿」の醸造元・辰馬家で水くみに使われていた「はね釣(つる)瓶(べ)」がある。老朽化のため、てんびん棒などは除かれているが、「水屋」と呼ばれた専門業者が水をくみ、酒蔵に提供していた当時の様子を今に伝えている。
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阪神地域には西宮のほかに、伊丹も酒所として有名です。清酒発祥の地とも称され、以下の建物も産業遺産に選ばれています。
酒造りの情熱刻み続け 白雪ブルワリービレッジ長寿蔵
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黒光りする木の柱と太いはり、高い天井にしっくいの白壁は、街並みの中でひときわ目を引く。約220年前に建造された酒蔵は、往時の風格をそのままに、レストランなどが入る集客施設へと生まれ変わった。
「寿」「富士山」など、蔵には縁起の良い名前が付けられる習わしがあった。蔵は独自の酵母を持ち、特徴ある味わいの酒を造っていた。「長寿蔵」でも、昭和50年代までは昔ながらの仕込みが行われていた。
しかし、酒造りの機械化が進み、生産拠点は新工場へ移った。その後は倉庫や酒の保管庫として使われていた。
転機は1990年代。規制緩和の流れを受け、全国の酒造メーカーなどが地ビール製造を手掛けるようになった。1995年の阪神・淡路大震災にも耐えた長寿蔵には、ビールの醸造施設が備えられた。
足を踏み入れると、甘酸っぱいホップの香りが漂う。れんがを配した洋館を思わせる内装のレストラン入り口では、醸造工程をガラス越しに見ることもできる。アルコール類のメニューにはもちろん日本酒も。うまい酒と料理を求めてサラリーマンや主婦、若年層など幅広い客層が集う。
2階は博物館。約200点の仕込み道具が並び、当時の様子を知ることができる。時代を経て役割を変えながらも、酒造りに懸ける思いを刻み続けている。
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阪神間では、大学の建物が産業遺産群として登録されているのが特徴です。冒頭の写真は神戸女学院の校舎。米国出身の建築家、W・M・ヴォーリズが設計を手掛けました。ヴォーリズはこのほか、関西学院大学も設計しています。武庫川女子大学の建物も産業遺産群の一つです。
匂い立つヴォーリズの美 関西学院大学
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正門へと続く桜並木の向こうに、甲山を背にした瀟(しょう)洒(しゃ)な時計台が見える。青々とした芝生の周囲に、赤れんがとクリーム色を基調とした統一感ある建築物が配され、独特の雰囲気を醸し出す。このキャンパスの美しさに憧れ、入った学生も多いという。
1929年、実業家でかつての阪急東宝グループの創業者・小林一三の誘致により、原田キャンパス(神戸市)から上ケ原に移転。米国出身の建築家、W・M・ヴォーリズ(1880~1964年)が設計を手掛けた。
中でもひときわ存在感を放つ時計台は、正門、甲山山頂の直線上になるよう建てられた。「正門から微妙な上りの傾斜が、時計台を浮かび立つように見せている」と同大学関係者。
赤茶色の扉を開けると、幾何学模様のモザイクタイルが出迎える。かつては図書館の正面玄関として、多くの学生が足しげく通った。新図書館ができ、現在は学院史編(へん)纂(さん)室となっている。
芝生の南西側に位置する中央講堂は、現在建て替え計画が進み、来年夏に完成予定だ。「耐震性やホールとしての機能を高めつつ、ヴォーリズの特徴やキャンパス内の統一性を損なわない建物にしたい」と同大学施設課。
時代の要請を受け、古くからの建物は少しずつ変容した。それでもなお、キャンパスは「関学らしさ」を漂わせている。
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少しユニークなところで、こんな建物も選ばれています。さて、どんな建物なのでしょう。
残された阪神電車の礎 尼崎発電所
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洞窟のように薄暗い。すぐそばを行き交う電車の音を、歴史ある重厚なれんがが遮り、静寂の空間はまるで教会のようだ。約100年前、ここで発電機がうなりを上げ、草創期の阪神電鉄を支えていた。時代の先端を担った火力発電所跡は今、倉庫として“余生”を送る。
阪神電鉄が神戸―大阪間で開業する5日前、1905年4月7日に操業を始めた。当初、発電所は尼崎と御影の2カ所。いずれも400キロワットの直流発電機2台を備え、1両編成(重さ18トン)の車両を動かした。
1908年には、沿線の尼崎、西宮、御影の3町と住吉など15村に電力を供給。需要の高まりに応えて発電機を2台増設し、1912年には計2800キロワットの発電能力があった。しかし、発電効率が悪く、19年に発電所としての役割を終えた。稼働していたのはわずか14年間だった。
太平洋戦争でも、阪神・淡路大震災でも破壊されることはなかったが、1984年に最大の危機が訪れた。「列車運行管理システムセンター」建設のため、撤去案が持ち上がったのだ。創業当時の建物を残そうという声が上がり、一部を取り壊すだけにとどまった。
現存する建物は、建築面積約470平方メートル、高さ約15メートル。発電機は取り外されているが、管を通していた跡とみられる壁の穴や、アーチを描く窓などが、100年前の雰囲気を漂わせている。
このほかにも、銀銅山やホテル、灯台、取水塔…など多様な産業遺産があります。連載で取り上げた写真を一挙公開します。どうぞ!
千年の歴史を誇る坑道 多田銀銅山
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気品漂う和と洋の融合 旧甲子園ホテル
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酒どころともし続け200年 大関酒造今津灯台
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都市化支えた白亜の殿堂 ニテコ池取水塔
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日本最古のカリヨン響く カトリック夙川教会
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大正の息吹 現代に伝え 川西市郷土館
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<ド・ローカル>
1993年入社。今回ご紹介したのはごく一部ですが、近代化産業遺産を珍しさや古さという尺度だけではなく、それぞれの地域との長い時間の中で、地域、産業史にどんな役割を果たしてきたのか、との視点で見てみるのも大切だと感じました。
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