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SNSに上げるには躊躇してしまい、ブログを開設して載せるほどの熱意もありませんが、たま…

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SNSに上げるには躊躇してしまい、ブログを開設して載せるほどの熱意もありませんが、たまに書き留めておきたい事柄をここに保存しておきたいと思います。

最近の記事

ズブのシロウトが、定年退職してバーを開業しました(7年後の姿)

ズブのシロウトが定年退職してバーを開業してから7年目が終わり、2023年の確定申告のための数字がまとまりました。 ありがたいことに、今だに廃業せずにやれています。 現在は嫁さんも手伝ってくれて、曜日によってアルバイトさんにも来てもらってます。 2023年の営業数字 年間売上額   498万(41.5万/月) 年間仕入額   174万(35%) 年間固定経費額 168万(14万/月) アルバイト費用  51万(42,500円/月) 差引利益    105万(8.75万/

    • 作文なんて大嫌いだったんですけどね。

      本を読んだり文章を書いたりすることは、もともと好きじゃなかった。 僕は自慢じゃないけど(?)本を買って読んだことはほとんど無いです。 それが、いつのまにか文章を書くのは苦じゃ無くなりました。 そうなった理由は2つ。 「左利きコンプレックス」と「見解書」です。 「左利きコンプレックス」 左利きの人は万年筆や毛筆が難しいんですよ。 左手だと、引いて書くのではなく、押して書くからなんですね。 まぁそれはどうでもいいとして、 大学新卒で入社後、鉛筆も箸も左の僕は、字

      • ぽっこりお腹は治らない

        結論を表題にしてしまいましたがね。 えぇ、色んなことを試しましたよ。 インスタでお腹の凹む体操とか、1日たったコレをやるだけで凹む運動、とか。 お金のかかることは一切してないんですけどね。 1日2食にして、午後6時以降はほとんど何も食べない様にしています。 その甲斐あってか、体重は67kgぐらいあったものが、今は63kgぐらいですがね。 身長は175cmなので結構スリムだと思います。 今でも毎日、腕立て伏せを欠かさずやってますよ。 おかげで最近は連続50回を超

        • コロナ感染記

          これは2020年7月の第二波が始まった頃の話です。 その頃は今の第七波と違って、コロナの感染者が出たこと自体が大きなニュースになっていました。 それこそ感染者を出した飲食店はネットによって潰されかねない怖さもありました。 ******************** 私はバー経営の63才男性 2020年7月3日金曜日 お店の来店客がコロナを発症し、その本人から私に電話があり、私が濃厚接触者であると告げられた。 翌日から当分の間お店を臨時休業にした。 7月5日に保健所から

        ズブのシロウトが、定年退職してバーを開業しました(7年後の姿)

          仕方ない

          攻めて来ると言うから、仕方ない 殺されると言うから、仕方ない おまえが言うから、仕方ない みんなが言うから、仕方ない 国が言うから、仕方ない 戦争は、仕方ない いつも反対だったんだぞ 仕方なかっただけだ おめでとうと赤紙を出した配達員 おめでとうと挨拶した町内会長 おめでとうと旗を振った町内会 ありがとうと挨拶した家族 万歳三唱で見送った隣人達 みんな嘘ついてたんだぞ 仕方なかっただけだ #戦争

          ズブのシロウトが、定年退職してバーを開業しました。

          《この文章は2020年1月(コロナ禍前)に書いたものです》 定年退職後に手打ち蕎麦屋やこだわり珈琲店をやってみたい人は多いみたいですね。 この私も、60歳で定年退職を迎えて、雇用延長の道もありましたが、バーを始めることにしました。 バーはお酒だけで稼げるし、料理に係る面倒な事は必要無いと考えたからです。 しかし、定年後にやってはいけない事に「飲食店を始める」というのがあるらしいです。 飲食業は多産多死の業態で、2年で半分、3年で70%が廃業するらしいです。 それで

          ズブのシロウトが、定年退職してバーを開業しました。

          母と戦争

          2016年、神戸ポートターミナル(川崎重工120周年展)で戦時中の戦闘機「飛燕」が展示されると聞き、今は亡き母を連れて行きました。 当時の主力戦闘機ゼロ戦は空冷エンジンで空気抵抗が大きかったため、流線形で速度が速く航続距離の長い戦闘機(飛燕)を作るためにドイツから液冷(油冷)エンジン技術が導入されました。 エンジンは川崎航空機の明石工場で作られ、岐阜の各務原工場で飛燕に搭載されました。 母は昭和4年(1929年)生まれ。 終戦の年は16歳なので、戦争の記憶を語れる最後の年齢

          母と戦争