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シン・長田を彩るプレイヤー     ~商店街を見守り続ける番台さん~(後編)

今回は、昭和7年創業の老舗銭湯「扇港湯(せんこうゆ)」で番台を務める、綿貫 茂子(わたぬき しげこ)さんを取材しました。
前編では、綿貫さんが番台を務めることになった経緯や、扇港湯の特徴的なモザイクタイル壁画、洗い槽などについてお話をお伺いしました。
後編では、阪神・淡路大震災が起きた当時の状況や、これからの扇港湯についてお話していただきます。


震災を乗り越えた扇港湯

―綿貫さん―
震災後は、商店街のお店も前に比べたら、あまり商売してないでしょう。
ここは、昔はもっと活気があっていい商店街だったんですよ。
元町商店街や新開地商店街と並ぶような。
そやから今は寂しいね。

―記者―
震災前を知っているから余計にですね。

―綿貫さん―
みんなビルが建っちゃったでしょ。
誰がどこに住んでいて、どこから帰ってくるのか全然わからん。
昔やったらみんな知り合いやったけど、段々と心やすく話をする人がいなくなって。
それがちょっと寂しいね。


―記者―
震災後から商店街が少し寂しくなってしまったということですが、差し支えなければ、震災のときの状況をお伺いしてもいいですか?

―綿貫さん―
震災のときはね、大変だったんですよ本当に。
地震が起きた後、主人が「煙突が立ってるか確認してきて」って言うんです。
見に行ったら煙突が立ってたから、それなら風呂できるわって。

―記者―
お風呂は壊れなかったんですか?

―綿貫さん―
お風呂はおかげさまで助かりました。
でも水道タンクにヒビが入っていて。
それで水道工事の人に頼んでパイプを全部直してもらったんやけど、お湯をためても漏れてくるんですよ。
どうしたもんかなって考えて、京都でお風呂の窯を作っている人に電話で相談したんです。
そしたら、お米屋さんで糠をもらったらいいって言われて。
すぐにお米屋さんに行って、お米の糠の袋を4つくらいもらってきました。
湯船にお湯をはって、糠を湯船の中に入れて混ぜるんです。
一晩目、二晩目はお湯が段々と減ってきてたんやけど、三晩目になったらね、お湯が全然減らなくなったんです。

―記者―
糠がいい感じに目地になってくれたんですかね。


―綿貫さん―
ヒビが入ってるとこに糠がずっと入り込んでね。
釜屋さんに電話して、お湯がもう減らなくなったって報告したら、「そっちにいきますので営業しましょう」って京都からわざわざ来て調節してくれて。
油は油屋さんに持ってきてもらったりしてね。
みなさんに助けていただいて、お風呂が湧いたんです。

―記者―
とても親切ですね。
みなさんの助けを借りて営業できたんですね。

―綿貫さん―
それからも忙しかったんです。
掃除はせなあかんし、雪は降るし、そこらへんも無茶苦茶やもんね。
みんなで大掃除でした。
近所の人たちに、「お湯が沸いたから入りに来て」って言って、みんなに入ってもらって。
それから2月1日、2日を無料にしたらとても並んでね。

―記者―
お風呂に入れるって、まちの人たちからしても、とてもありがたいですよね。

―綿貫さん―
地域の人がね、「奥さんありがとう、1日もお風呂入れてなかった」って。
1月17日から、もう2週間3週間ね。
それですごく喜んでもらえて。
3日目からはお風呂代をもらって、午後1時~3時までお店を開けて、3時~5時まで休憩してお湯を溜めて、また5時~8時頃まで営業していました。

―記者―
扇港湯さんに助けてもらった地域の人たちがたくさんいますね。
2月の最初からもう営業してくれて、ありがたいですよね。

―綿貫さん―
主人と明石にお風呂入りに行ったときに、「こんなにお風呂が気持ちいいってよくわかったから、早く帰って風呂開けなあかんわ」って主人が言ったんですよ。
それで早く帰ってお風呂を開けたらお客さんがね、もう喜んでくれはって。
頑張って開けてよかったなって。

次世代へとつなげる地域の銭湯

―記者―
扇港湯は息子さん夫婦も一緒に、ご家族で経営されていますよね。
息子さんはいつから番台をされてるんですか?

―綿貫さん―
息子が結婚して子供が生まれてからやから、10年くらいかな。
一生懸命頑張ってしてくれますね。
もう全部任しても大丈夫って、やっと楽になりました(笑)

―記者―
次の世代へという感じですね。

―綿貫さん―
息子の嫁さんも、結婚して1、2ヶ月したら番台してくれるようになって。
今は安心して任せてるんです。
夜も早く寝かしてもらえるしね。

―記者―
そうか、昔は全部自分でやってたんですもんね。

―綿貫さん―
風呂屋ってね、すごく夜遅くまでしてるんですよ。
昔は朝3時まで営業してたんです。
3時に誰が風呂に来るかなって、タクシーの運転手、お好み焼き屋さん、寿司屋さん。
それが段々と早くなって、今は12時半に終わりますね。

―記者―
それでも長いですよね。
息子さんみたいに、番台を継ぐというのは最近ではあまりないですよね。

―綿貫さん―
そうですよ。
番台する人がなかなかおらへん。
今は券売機を入れてるところも多いしね。
うちも券売機にしようって言ったんやけど、息子が「機械を買わなくても、1人で何役もしたらええ。」って。

―記者―
すごく働いてくださってるんですね。

―綿貫さん―
一生懸命に回してくれるけどね。
お客さんの中にも「奥さんのんきそうに番台してはるように見える」って言う方もいらっしゃるけど、そんなことない。
倒れた人がいたら救護して救急車を呼んだり、それは大変な商売ね。
今は何か起きたら息子夫婦がちゃんと対応してくれるんです。

―記者―
ありがたいですね。

―綿貫さん―
ありがたい。他人さんはこんなしんどいこと、なかなかしてくれへんからね。
自分らは生業やから
家族もお客さんも大事にしないと駄目やね。
跡継ぎがいなくて閉めてしまうお風呂屋さんも多いからね。

―記者―
ここが昭和7年からずっと続いてるのは、本当にすごいことですね。

情の深いまち、長田

―記者―
では最後のご質問です。お母さんにとって長田とは?

―綿貫さん―
長田は楽しいまちやね。
いろんな事件もありゃ事故もあるけど、楽しいこともあるし(笑)
昔は映画館もたくさんあって、遊ぶところもあって楽しいまちやったんですよ。
ビラ屋さんが「ビラを貼って」って持ってきて、脱衣所中ビラだらけ。

―記者―
そんなに映画館があったんですね!

―綿貫さん―
それから行き当たる人知ってる人ばっかりやから。
まあ、いいまちやね。
情の深い人ばっかりやね。
これからもお客さんがちょこちょこでも来てもらえたら嬉しいね。サービスもするし。
息子も嫁さんもよく頑張ってくれてるし、もうちょっと頑張らなあかんなって思ってるねん。
お客さんも「奥さん辞めんとってよ」ってみんな言ってくださるけど、辞めへん辞めへん。
息子らも一生懸命頑張ってるから、大丈夫やでって言って。

―記者―
これからも名物女将としてがんばってくださいね。また来ますので!


取材の中でも、お客様を大切にし、地域に寄り添ったサービスを考える綿貫さんの思いが伝わってきました。扇港湯を訪れるみなさんも、綿貫さんのやさしい雰囲気に癒されるのではないでしょうか。
この記事を読んで扇港湯が気になった方、綿貫さんに会ってみたくなった方は、ぜひ扇港湯を訪れてみてください!

(編集:ほーちゃん・みむ)