省略の心得

大学での建築の設計やデザインの演習などは、成果物として図面やCG、模型写真などをまとめたプレゼンテーションシートを提出してもらいます。たとえばA1サイズで3枚とか、A3サイズで6枚とか、図面の縮尺や必要な情報を最低限盛り込むとそれくらいの紙面が必要とのことから、提出のボリュームを課題に応じて教員側で決めます。提出時には100作品ほど目を通すのですが、その提出期限の多くは23:59〆切ということが多い。そうなるとこちらは、データで提出された内容を日付けが変わった真夜中からひとつひとつチェックをすることとなり、翌日(当日?)の講評会に向けての準備を進めます。そのたびに、多くの学生の提出物を見て「省略がもうひとつだなぁ」と感じます。

夜中から目を通し始めるので、朝から仕事をしている私としても頭の回転が鈍いのは仕方のないこと。それなら頭がクリアな午前中に見れるように前日に締切をもうけてはとも思うこともあるのですが、それだと時間的にぎりぎりのところで勝負をしている多くの学生たちの作業時間が短くなってしまうといった配慮から、日が変わる直前に締切を設けています。
頭がクリアでない中、細かな図面を見るのは正直しんどいし、パッとみて理解が出来ないとその作品の面白さが伝わらない。できる限りきちんと見るように心がけてはいますが、そのような状況では提案の肝を見落とすことだってあり得ます。そこで、ぜひ分かりやすく簡潔に、内容の肝を伝えて欲しいと私はいつも思うのです。

ダイアグラム
とくに建築の設計図は情報量も多く、細かく描かれた図面を数多く読み込むのには骨を折ります。全体のボリュームとその配置や、構造形式、動線計画などの一般的な事柄が適切に解かれているかどうか、そしてその案自体が魅力的な提案となっているかどうかなど、頭の中で縮尺に応じた小人を登場させては図面の中を巡らせて、評価をしていきます。
大学教員を始めてから10年以上もそうしたことをしているとさすがに目が慣れてきて、「見るべきポイント」を瞬時に見出すことができるにはできるのですが、それはやはり慣れているからとしか言いようがありません。もし見せる相手が建築やデザインを専門に習ったことのない人だった場合、一体どのように感じるのでしょうか。社会では専門家に見せるシーンもそれなりにはありますが、私の経験上自分で仕事をするとなると相手(クライアント)は専門外の方である場合の方が多い。
もちろん答えは「難しそうでよくわからない…」という反応となってしまうでしょう。
残念なことに、ひとたびそのような印象を持たれてしまうと、次に何を出しても「難しそう」という先入観を持たれてしまうのが一般的ですし、そこから「おもしろい」というところまでもっていくのは簡単なことではありません。
そこで、より分かりやすい図式でもって提案の肝のみを上手に取り出して表現するのが「ダイアグラム」です。

あらすじとしてのダイアグラム
ダイアグラムは、簡単な図式と捉えてもらえば良いと思います。たとえば建築では、A室とB室を丸で囲み、線で繋げるような表現といえば分かりやすいかもしれません。ほかにも、キューブと見立てた建築のボリュームを包丁で縦に2つにスライスし、それぞれをずらすといった具合です。この図があると、設計者・デザイナーが何を大切にして、その結果どのような空間的な提案となっているかがとてもわかりやすくなります。
ところがこのような簡素化された図式の作成が、少なくとも私が関わっている多くの大学生が上手にできているかというとなかなかそうとは言えない。プレゼンシートの一枚目から、細かな図面をレイアウトされると、見る側としてはやはり唐突感が否めません。起承転結の「承」から始められると、なかなか理解が追いつかないのと同じでしょう。
着眼点はどこなのか(=テーマ)、そのテーマをどのように扱うと新たな良いことが起こるのか(=提案)という一連の流れの中でデザインを語ることが大切です。
そうした流れの中で、ダイアグラムはまさに「どのように扱うと何が起こるのか」を端的に示したもので、小説や映画でいう「あらすじ」に相当します。このあらすじがおもしろそうなら、本屋さんでじっさいに購入するなり、映画館へいって本編を鑑賞することに結びつきます。ですから、単に図解だけでは少し物足りない。見る人の興味をそそるためのストーリーの一端まで表現すると良いと思います。

プレゼンテーションの起承転結
この「ダイアグラム」の位置付けには、疑問を持たれる方も少なからずいらっしゃることでしょう。それは、デザインのプレゼンテーションは小説や映画とは異なるのだから、そもそも起承転結の流れとしてしまうこと自体が提案を分かりにくくしてしまうのではないか、といったことです。確かにその通りです。
課題の提出物として、複数枚のプレゼンシートを作成することはすでにお伝えしました。一般的なデザインワークは、私が知る限りでは、
①課題の読み込みと条件の整理
②類似例やアイデアのソースとなる事例リサーチ
③大まかな考え方とその効果の検討(ここがダイアグラム)
④ダイアグラムに即した実際のプランニング
⑤うまくいかない箇所の改善
⑥主に上記の③、④、⑤を行ったり来たりしながら全体のまとめ
というものになります。
これらの①から⑥を経た内容を美しくまとめるのがプレゼンシートですから、いわゆる「最終デザインにまで至った経緯」を時系列で並べることはあまりしません。そうではなく反対に、結論を先に述べます。
そうすると、プレゼンシートの一枚目は当然、最もそのデザインの意図と魅力が伝わる表紙がくる。始めに「こんな素敵なデザインなんです!」と謳い、その後に「その理由はね」という流れで自らのデザインの意図を紐解き、なるほどをたくさん獲得していく。ダイアグラムは表紙の次にくる具体的な説明へと進むための掴みの役割を果たします。
このように、結論を先に出し、興味を引いた後に理由を説明していく流れが一般的なプレゼンテーションの手法です。最終的には細かな点においても明快で説得力のある理由を述べなくてはなりません。だからこそ、ひとつひとつ丁寧に理由や役割を構築していく必要がある。デザインがセンスや勘ではないとこれまでもお伝えしてきたことがお分かりのことと思います。

守・破・離
デザインワークの流れは、最終的には人それぞれでしょう。先に形のイメージがあって、そのイメージとなるように模型をつくり、そのカタチが何なのかを模型をしげしげと眺めながらデザインの特徴をことばやダイアグラムに置き換えていくということもまた方法のひとつです。ワークの流れそのものをいろいろと試してみる(スタディしてみる)のも有効な手段になり得ます。ただ、私は大学生たちには、先に述べた①から⑥を行ってもらうようにしています。これは以前に美味しいハンバーグの作り方(前掲「3. 料理とデザイン」)でもお伝えしたように、まずは作り方を体得しなくてはいけません。
この「型」を体得してはじめて、その型とは異なるやり方をする切符が手に入る。武士道では、「守・破・離」ということばがありますが、まさにこの言葉の通りです。師匠に従いこれまで守られてきた型を体得し、次にそれを破ってみる。日本には「型破り」ということばがありますが、これはただ出鱈目をしているということではないという言葉本来の正しい意味もよくわかると思います。師匠から学んだ型を破ってみて、独自のスタイルを模索し、苦労の末に行き着いた自分の型。その後は師匠のもとから完全に離れ、自分なりの新たな型が認められてやがて「なんとか流」と称されるようなひとつの流れを作っていくのです。この先人の教えはそのままデザインにも当てはめることができるでしょう。

ヘーゲルの弁証法
この「守・破・離」は何も日本の武士道に限ったことではありません。スポーツの世界でも音楽の世界でも、まずは正しいフォームを身につけるのは当たり前のことですし、今のところ全世界共通と言えそうです。
私が正しい知識を持ち合わせているかどうか、専門家や詳しい方からまたしても指摘を受けてしまうかもしれませんが、ふとヘーゲルの弁証法という大きな考え方を思い出したので紹介します。
ドイツの哲学者、ヘーゲル(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル, 1770-1831)は、大陸合理主義の旗手として、ドイツ観念論の構築に多大な役割を果たしました。彼の思想は歴史主義ともいわれます。こちらも詳しい話は専門家の先生にお願いをするとして、ヘーゲル哲学の中でも最も有名な考え方のひとつに弁証法というものがあります。
この弁証法は、私はどこか「守・破・離」と似ているところがあると思うのです。ヘーゲルは「正(せい)」、「反(はん)」、「合(ごう)」という3つのことばだけで、それまでの歴史の仕組みを鮮やかに解いてみせました。今正しい、当たり前だと思われていること(=正)があるとします。それには必ず反対意見(=反)が生まれる。正と反が互いにぶつかり合って、新しい考え方(=合)に昇華するというものです。たとえば私がまだ幼かった頃は、専業主婦の方が今よりも多くいらっしゃいました。私の母もその一人です。当時はまだ、大変残念ながら、男性は会社で働き、女性は家庭を守るという社会通念が強かったようで、それが一般的でもあったようです。しかしそれに異議を唱え、女性の社会進出の必要性を強く訴える人や組織が現れます。これが、ヘーゲルの言う「正」に対する「反」です。やがてこの「反」は勢力を増し、国としても見過ごすことができなくなってくる。すると、男女雇用機会均等法のような法律が整備され、新たな価値観としての「合」へと昇華します。この「合」が今度は「正」としてのポジションになり、またやがて「反」が頭をもたげます。するとここでもまた新たな「合」が生まれる。私たちの人間社会はこの弁証法でその歴史を語ることができるし、人間社会がある以上は半永久的にこの図式が繰り返され、その時代にあったより良い社会構造へと改変されていきます。繰り返し改善してより良くしていくという取り組みは、まさにデザインワークそのものではないでしょうか。


省略する意味
ダイアグラムに始まり、プレゼンテーションでのその位置付けと、プレゼンテーション自体の型、そして「守・破・離」からヘーゲルの弁証法と、話がどんどん広がってしまいました。最後に、より身近な事例を挙げながら、話をダイアグラム(=簡素化する図式)に戻してまとめとしたいと思います。

大学の講義室で、並んで座っている学生たち全員に白紙のメモ用紙を配ります。最前列の生徒たちになんでも思いついた絵を10秒間で描いてもらい、描き終えたら2列目の人に10秒間だけ見せます。絵を見せられた2列目の人は、10秒間で先ほど見たままのイメージで絵を描いてもらいます。同じことを3列目、4列目と行っていき、最後列まで繰り返して進めていきます。言葉は一切使ってはだめで、伝言ゲームのイラスト版と思ってもらえれば良いでしょう。このゲームは、私が担当するデザイン系の授業でじっさいに行っているものです。
たまたま絵の上手い学生が最前列で、彼は馬の絵を描いて(それも陰影付きの)後ろの人にそれを見せる。これがなかなかおもしろくて、すでに3列目くらいになると、すでに馬ではなくなっていたりします。何かの動物らしいということまでは分かるのですが、もはや馬とはいえない不思議な動物。それを見せられた学生は笑いながらも困惑し、自分が何の動物を描いているかも分からないまま、とにかく見たとおりに描いていく。最前列と最後尾を比べてプロジェクターで写すと大盛り上がりです。
さて、リアルな馬を描く学生がいる一方、皆さんご存知のアンパンマンを描く最前列の学生もいます。なんとアンパンマンは、大きさや多少の表情は違えど最後まできちんとアンパンマンです。誰もが知っている対象であるということは確かに大きいですが、それなら馬も同じ。いったい何が異なるのでしょうか。
アンパンマンは、わずか9本程度の線で描くことができます。それだけで、その揺らぐことのない特徴を創り出しているということです。これにはなんとも驚きです。ドラえもんも、やはり最後までいってもドラえもんでした。誰にでも親しまれるものは、もしかしたら線の数が少ないのかもしれません(ちなみにピカチュウはピカチュウとは少し違う不思議な生き物になっていました、笑)。

リアルな描写ではなく、省略して極限まで線の数を減らすことによる伝わりやすさ。デザインは人に伝わらなければ意味をなしません。伝えてこそのデザインだからこそ、上手な省略の仕方を学ぶ必要がありそうです。学生諸君にはぜひ、アンパンマンの凄さを見習って欲しいと思う今日この頃です。
さて今週も、学生たちの提出〆切があります。視力が落ちないようにしないといけませんね。

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