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私が獣医師になった理由② 腑に落ちるまで、探す

医学部を目指したものの、2浪の末、0勝20敗というある意味見事な惨敗を喫した私。
でも、幸いにも1歳下の弟は1浪の末、医学部に合格したので、とりあえず父の病院の跡継ぎは決まった。
だったら、勉強が苦手な私が無理して医学部に行く必要もないわけで・・・。

よし、大学には行かず、働こう!

とはいえ、何か具体的に就きたい職業があったわけでもなく、
当時、同居していた祖母の老人会のお友達に俳優の財津一郎さんのお母様がおられ、食事時などに話題になっていたこともあり、「そうだ!財津さんの付き人にしてもらえないかな?」などと
勝手なことを考えていました。

そんな私を見かねた父が
「北里大学に獣医学部ってのがあるそうだから、受けてみたら?」
提案してくれたのです。

それまで医学部一筋でやっていたので、獣医学部を受験しようと思ったことは1度もなく、
もちろん、獣医師になりたいなんて思ったことすらありませんでした。

でもね、私は素直なんです(笑)。

今もそうですが、人から「いいよ!」と勧められたことは、
続けるかどうかは別として、まずは素直にやってみるタイプです。

特に父のことは心から尊敬していたので、
「おやじがやってみろっていうんだから、ま、やってみるか」くらいの
軽い気持ちで北里大学獣医学部の受験会場に向かいました。

その会場で味わったのは、
なんと!
かつて経験したことのない、万能感(笑)!!

医学部の入試問題にはまったく歯が立たなかったのに、
獣医学部の入試問題は、自分でもびっくりするくらい
スラスラと解けたのです!

急に私の頭がよくなったわけではありません。
当時の獣医学部の入試問題は、そんなに・・・・(同級生のみんなゴメン!)(笑)、
とにもかくにも、大学受験で初めての合格を勝ち取ることができました。

0勝20敗と1勝20敗は、まったく違います。
たった1つだけど、しかも医学部じゃなくて獣医学部だけど、
合格したのは素直に嬉しい!
父をはじめ家族も喜んでくれ、北里大学への進学を勧めてくれました。

⬛「したいこと」ではなく「できることを」しよう


素直な私は、
皆に勧められるままに
北里大学獣医学部に入学。
実に思いがけない形で、大学生活がスタートしました。

当然ながら周囲は獣医師を目指して獣医学部に来た人たちばかり。
私のように何となくもののはずみで獣医学部に入ってしまった・・・というような人は
まず、いません。
「なぜ自分はここにいるんだろう」。
そんな違和感を拭い去れないままに大学生活が過ぎていきました。

正直にいうと、6年間も獣医学部で学び、
獣医師国家試験に受かってもなお、
獣医師として働く自分の姿を想像すらできていなかったのです。

そんな私の心の中が見えたのでしょうか、
ある人から、こう言われました。

「したいことを仕事にするんじゃなくて、
できることを仕事にすればいいんだよ」。

ここでも素直な私は(笑)、
「ああ、そうか!」と、すっかり腑に落ちてしまったのです。

子どものころから周囲の大人に
「将来は何になりたいの?」って聞かれて育つからでしょうか。
私たち日本人って
心のどこかで「したいことを仕事にしなくちゃ」って思いこんでいるフシがありますよね。
でも、仕事って本来は自分のためではなく人のためにすることだから、
その仕事内容が自分の「したいこと」であるかどうかは、あまり関係ないんです。

むしろ、「したいこと」が仕事として対価がいただけるほど上手くできる方が、珍しいんじゃないかと思います。
お客様が対価を払ってでもしてほしいと思うことを「できること」のほうが大切ですよね。

そう考えると、私に獣医師への道を提案してくれた父の気持ちがわかるような気がしました。

父は、
人見知りせず、お年寄りや子どもともすぐに仲良くなってしまう私の性格をよく知っていたので、
私の「できること」を見抜いた上で、私に獣医師への道を勧めてくれたのかもしれません。
獣医師の仕事もある意味、医師と同じく、対人間(飼い主さん)の仕事だからです。

よし。ならば、自分にできることを
とにかくやってみよう。

そう心に決めた私は、麻布十番にあった動物病院に職を得、
獣医師としてのスタートを切りました。

とはいえ、獣医師としてはペーペーですから、
すぐに役に立ったわけではありません。

でも、最初に決めたとおり、
「できること」をすることに徹しました。

もっとも、当時の僕にできたことと言えば、
・診察中の犬が暴れないように押さえる(笑)
・掃除
・院内のムードメーカー
くらいでしたが、この3つをしっかりやっているうちに、
それなりに獣医師としての仕事をそつなくこなせるようになりました。

折しもバブル華やかなりし時代。
仕事は定時で終わらせ、夜の街に繰り出してよく遊んだものです。
数年後には結婚して家庭を持つこともできました。
今どきの言葉で言うと「ワークライフバランス」はよかったのかもしれませんが、
心の中には、大学時代に抱いた疑問がくすぶり続けていました。
「なぜ、自分はここにいるんだろう」。

そう、獣医師として働き始めて数年経ってもなお、
「獣医師として生きている自分」が腑に落ちていなかったのです。

当時担当していた動物と飼い主さんには
本当に申し訳ないのですが、
当時の私は、「男子一生の仕事として獣医師を選んでいいのか?」という不安に苛まれながら
働いていたのです。ゴメンナサイ!

そんなある日、獣医師仲間から「アメリカの動物医療はすごいらしい」という話を耳にしました。
当時、日本で動物医療がクローズアップされることなんて、まずありませんでしたから、
アメリカの動物医療がなぜ「すごい」と言われるのか、俄然、興味を持ちました。

「獣医師を続けていていいのか?」という不安を解消してくれる「何か」がアメリカにあるのかもしれない・・・。
よし、アメリカにいって
その「すごい動物医療」とやらを、この目でみてやろう!

すぐに仕事を辞め、妻と二人でニューヨークへ旅立ちました。


⬛ 日本の獣医師とアメリカの獣医師の決定的な違いとは?


ニューヨークでは、マンハッタンにあるAnimal Medical Centerという大きな動物の総合医療施設で、
研修をさせてもらえることに。

そこで目の当たりにした、アメリカの動物医療は、想像をはるかに超えるものでした。
医療技術が高度なのはもちろん、社会における獣医師の役割が日本とはまったく異なることに大きな衝撃を受けました。

当時、日本では獣医師といえば、「動物のケガや病気を治す医者」という認識にとどまっていましたが、アメリカではすでに「社会になくてはならない存在」として確固たる地位を築いていたのです。

彼らはみな、高いプロ意識をもって動物医療に取り組み、
まるで一流のコンサルタントのように飼い主さんの心に寄り添い、患者さんと二人三脚でペットの健康と向き合っていました。

「アメリカの獣医師はペットの健康を守ることを通じて、人々を幸せにしている。だから社会に必要とされているんだ」。

これに気づいた瞬間、
心の中に長年巣食っていた「しこり」がす~っと解けていくのがわかりました。
「僕は人を幸せにする仕事がしたい。そのために、日本に戻って人を幸せにする獣医師になろう」。
獣医師として生きていくことが、初めてストンと腑に落ちた瞬間でした。

当時、すでに30歳。まさに孔子がいうところの「30にして立つ」ですね(笑)。
我ながら随分と遠回りをしてしまいましたが、社会における自分の立ち位置をようやく見つけた私は、
意気揚々と帰国。そこから病院経営という次なるステージに向かって走り始めたのです。

そして、できあがったのが、今、私が代表を務める「成城こばやし動物病院」です。
自分で言うのもなんですが、なかなかいい感じの病院に育ちました。

この病院で私が仲間たちと、どんな動物医療を行ってきたのか。
どうやって飼い主さんのみならず地域の皆様からの
信頼を得ることができるようになったのか。

そのあたりは、また別の記事でお話することとしましょう。

今回、久しぶりに自分の若い頃を振り返ってみましたが、
本当に我ながら、とほほ・・・な若造だったなあと思います。
でも、こうしてみると
素直さと行動力だけはあったんですね。

だからこそ、遠回りしてでも、今の自分になれた。
数学の才能はなかったけど、素直な心と
丈夫な体を授けてくれた両親に、心から感謝します。


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