「50分」

 時計の針が、文字盤の10を指す。「50分」。なぜだか幼い頃から、この時間を目にすることが多い気がする。

 6時50分。アラームの時間よりも少し早く目覚めてしまった。「もう10分寝かせてくれ。」と思っても眠れない。「もう何分」のノリは、目覚ましに叩き起こされて初めて発動される、極めてレアな代物だ。

 11時50分。お昼まであと少し。特別腹が減っているわけではないが、目の前の授業が退屈すぎて、なんとなく時計に目をやった。とりあえずこの後の昼メシをモチベーションに乗り切ろう。

 「50分」、キリのいい時間に何かが始まる少し前の、何とも言えない微妙な時間。まだそれまでの行為に縛られているのだけれど、気持ちは既に、次の行為へ向かっている。

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 22時50分、リビングのソファから立ち上がり、階段を登って、2階の1番奥にある自室へ向かう。この時に僕が欠かさず行うのは、道中にある他の兄妹の部屋、僕の部屋の向かいにある両親の寝室、ついでにトイレの扉がきちんと閉まっているかどうかの確認作業だ。
別に、冷暖房の効きやすさを追求するタイプの、面倒くさい主婦を演じているわけではない。その扉を1枚隔てるかどうかは、実家暮らしの僕にとっては死活問題なのだ。

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自分の部屋に辿り着き、しっかりと扉を閉める。大学用のトートバッグからiPadを取り出して、サーモンピンク(とでも言っておこうか)色のアイコンをタップして、いつものアプリを立ち上げる。ふと画面の右上に目をやり、バッテリーの残量を確認する。54%、まぁ2時間少々は持つだろう。

 時間は22時56分。いつも通り、少し余裕を持って備えられた。なぜ日常の他の場面で、特に朝の身支度で、これくらい余裕をもって行動できないのかとつくづく思う。

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 ちなみに、先ほど立ち上げたiPadだが、役割はテレビみたいなものだ。つけたまま放置。メインで操作するのは、手元のスマホ(iPhone)だ。3分ほど適当にTwitterなどを眺めて時間を潰して、今は22時59分を20秒ほど過ぎた頃だろうか。「フゥ」っと軽く息を吐く。さながら覚悟を決めた武士のようだが、これから僕が戦場に突っ込むわけでは決してない。いつからかこのひと呼吸までが一つのルーティンになってしまったのだ。改めて、全く格好がつかない。

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 そしてこれが最後の作業。スマホの左上、時計の表示を気にしながら、ひとつのツイートを作成し、23:00になった瞬間に、それをツイートする。

「#山添サクラバシ919」

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