日常

『ポー』
23時を知らせる電子音が、実際の時間とは15秒程遅れて流れる。これくらいの時差は許容範囲だろう。

「貸主の皆さんこんばんは。気高き債務者、相席スタートの山添寛です。」

慣れ親しんだ声が部屋に響く。男性の声としては比較的高い方だと思うが、聴き心地が悪いと思ったことは一度も無い。

「好奇心が開花するエンターテインメントの架け橋、サクラバシ919、毎週火曜日はわたくし相席スタートの山添が、東京のミクチャスタジオから生放送でお送りいたしま〜す。」

 日常を感じる瞬間と言うものは、誰しもあるだろう。
 家の前を通り過ぎる賑やかな小学生御一行?
 めちゃくちゃ挨拶が元気なコンビニの店員?
 いつも自分の前を走っている水色の軽自動車?
 こういうのを見ると、連休で狂いかけた曜日感覚すら『カチッ』と音を立てて戻っていく(気がする)。

 僕が日常を感じるのは、専らラジオを聴いているとき、さらに言えば、馴染みのパーソナリティが馴染みの時間に喋っているときだ。

 それにしても、「気高き債務者」とか言う、いつ何回聞いても、新鮮に「何じゃそりゃ?」と思える肩書きを自ら名乗るようなパーソナリティの喋りで日常を感じ、安心感を覚えてしまう自分のことは、彼の肩書きと同じくらい理解できないし、誰に説明させても満足のいく答えは返ってこないだろう。

「相席スタート山添寛のサクラバシ919」、番組冒頭の挨拶にもあったように、毎週火曜日の23:00〜25:00まで、ラジオ大阪という、文字通り大阪にあるラジオ局から放送されている、いわゆるローカル番組(のはず)だ。

 「ラジオ」と言っても、令和のこの時代、聴き方は多種多様だ。むしろ、まず最初に誰もが思い浮かべるであろう、こんなかんじ📻の機械(多くのリスナーは「実機」と呼ぶ)で聴く人は1番少ないのではないだろうか。

 恐らく今1番メジャーな聴き方は、スマホを通して聴くことだろう。radiko(ラジコ)という説明不要の神アプリで、放送局の電波が入るエリアという概念は取り払われたし、最近は、ラジオが「耳だけで楽しむメディア」では無くなりつつあるという事実も、エリア概念の払拭を加速させた気がする。

 ここ数年で、ミクチャやハクナライブ、ツイキャスなどのライブ配信アプリで、生放送中の様子を中継する番組が増えてきた。
 これらの配信アプリに関しては、本当にアプリを入れるだけで番組が聴ける(見られる)から、本当にエリアの概念が無い。
 現に、この山添サクラバシでは、東北・関東・中国四国などなど、エリア外に住んでいるであろうリスナーのラジオネームを頻繁に耳にする。

「それでは今週も始めていきましょう!相席スタート山添寛のサクラバシ919ぅ〜!」

 タイトルコールと共に、陽気なBGMが流れ始める。無条件に気分がアガルような、日本の曲とは少々毛色の違う、独特なオープニング曲。どのラジオ番組にも、オープニング曲なるものは存在して、どの曲にも共通しているのが、何かの始まりを予感させるような、不思議なエネルギーを持っているということだろう。
 例えば、オールナイトニッポンの『Bittersweet Samba(ビタースイートサンバ)』、JUNK(ジャンク)の『JUNK or GEM』これに関しては極々最近リニューアルされたものだが、個人的にはめちゃくちゃ好きだ。佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)の『Waiting For Love』など列挙したらキリがないが、「クセになる」という観点で言えば、サクラバシのオープニング『Bills』は群を抜いていると思う。

「改めましてこんばんは。相席スタートの山添寛です。…」

 タイトルコール→オープニング曲→改めましての挨拶→メールテーマの発表。これはもうラジオ番組お決まりの流れだろう。僕も例に漏れず、メールテーマの発表と同時に頭の歯車をぶん回して、テーマに沿ったエピソードを引っ張り出す。
もし僕が、キーボードのフリック音を出すタイプの人間だったら、凄い勢いで「カッカッカッカッカッカッ…」という音が鳴り続けていることだろう。

 とりあえず、CMに入るまでの間は、勢いに任せてメールを打ち続ける。自分の中で手応え(のようなもの)を感じるものもあれば、エピソードの絞りカスのようなものまで様々だが、結局のところどれが読まれるか、そもそも読まれるかどうかすらも、読まれるまでわからない。
 我ながら難しい趣味を選んでしまったなとつくづく思う。でもこれ以上に面白い趣味を、僕はまだ見つけられていない。



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