百物語 第五十八夜

夜勤の仕事をしていた頃の話だからもう十年以上前のことだ。

昼夜逆転の生活は当時若かった私にはそれほど苦ではなかったが、それでもストレスが溜まっていくのが自覚できていた。
夜のシフトに回される以前、少なくとも週に一度は友人たちと遊びに出かけていた。
昼夜逆転の生活となってしまってからは、友人たちとはメールでのやり取りくらいで、直接会えることはなくなった。

職場とアパートの行き帰り。
たまの休みも起きればもう夜中で、のろのろと布団から這い出ては、安い居酒屋でひとり12時間ずれた朝食をとっていた。

当時、私は寂しかった。

夜勤になって三ヶ月も立った頃。
私は幸運にも楽しみを見つけた。

木曜日の朝、夜勤明けの私は部屋に入ると、玄関にまとめておいたゴミをもって、収集所へと向かった。
時間は朝の五時半。
これまでこの時間に収集所で人と会うことはなかったのだが、その日は人影があった。


若い女性だった。
たぶん社会人二、三年目くらいだろう。
化粧もせずに、部屋着でゴミを出しにきていた。

私はといえば、彼女に目を奪われゴミ袋を手にぶら下げたまま呆けてしまっていた。
きっと彼女はその私の様子を見て不審がっただろう。

我に返った私は、慌てて「こんばんわ」と声をかけてしまったが、彼女はきょとんとして少し間をあけてから「おはようございます」と笑顔で返してくれた。


それ以降、毎週木曜日の朝五時すぎに、ゴミ収集所で彼女と顔を合わせた。
私はちゃんと「おはようございます」と挨拶をし、彼女も笑顔で「おはようございます」と返してくれた。
彼女のつくる笑顔は柔らかで暖かく、彼女のひとつに結ばれた長い髪は日の出前での明かりでも綺麗な艶があり、いつも目が奪われた。見ている私まで幸せを感じられるような、そんな女性だった。

結局彼女とは最後で挨拶を交わしただけであったが、それでも私には充分な癒しと幸福感を与えてくれていた。


初めて彼女と出会って二ヶ月が過ぎた、十月末の木曜の朝のことだ。

時期になると日の出が遅く、五時すぎの時間はまだ夜の一部だった。
私はいつものように玄関に用意しておいたゴミを持って、収集所へ向かった。

遠くから人影がいるのが見えた。
彼女だ。そう思いながら近づいていくと、薄やみの中に浮かびかがるシルエットがいつもの彼女のものではなかった。
たまたま誰かが朝早くにゴミ出しに来ているのか、そう思い軽く会釈をしゴミをおこうとしたときだった。


「おはようございます」

その声は彼女だった。
私ははっとしてその人影を見直すと…、返事を返すことも、いや何も考えることも出来なかった。

そこにいたのは確かに彼女だった。
普段通りのあの笑顔。
ただ大きな違いがあった。
彼女は、あの美しい髪の毛が乱暴にられていた。ベリーショートなんて言うとだいぶいいものに聞こえてしまう。それは田舎の子供が兄弟に坊主頭にされたような、惨めさがあった。
彼女の部屋着には幾本もの長い髪の毛がついていた。

そうか、彼女は自分で切ったんだ。
自分であの綺麗な髪の毛を、こんな惨めなふうに。

いつも通りの挨拶をすませた彼女はゴミをすて、近くにあるであろう、アパートへと帰っていった。
彼女の捨てたゴミ袋に黒い不吉な塊のようなものが見えたが、私は怖くて確かめられなかった。


この木曜日の朝以降、彼女と出会うことはなかった。


いま思い返せばあの最後の朝に。

わたしが。

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