飽きっぽい性格の自分を晒す
今年初めてnoteを開いた。
去年はじめたブログは、更新できていない。ブログ用の、Twitterアカウントは怖くて開けてもいない。
そう、私は飽きっぽい。
飽きっぽい性格とは
《形》こらえ性がなく、すぐにあきてしまう。 「彼は―性格だ」
Google検索より引用
らしい。わざわざ調べてみたけど、「知ってた」以外の感想はない。
飽きっぽい私の、飽きっぽい実績
熱しやすく冷めやすいとは、うまく表現したもので、まさに飽きっぽいわたしそのもの。
小学生の頃、習い事は続かなかった(進研●ミは4~5回やめた)
大学生になって、バイトも続かなかった(短期バイトに感謝)
教員免許をとろうとしたけど、あとひといきでやめた
公務員を目指そうとしたけど、科目が多すぎた
仕事も続かなかった(3年が限界)
そして旦那も、わりと同じタイプ。結婚式の席次表に載せた「プロフィール」に、お互い「飽きっぽい」と書いて姉に心配されたな…
先日母に「何も成し遂げてない人生だよね」って言われて、びっくりした。私の人生、そうだったのか!と。
飽きっぽい自分を、見捨てない
これだけいろいろなことを、成し遂げずに途中で投げ出していると、投げ出す癖というか投げ出すことに抵抗がなくなる。
そう、私は飽きることに罪悪感がない。きっとこれが、飽きっぽい私が飽きっぽい私を脱却できない理由だろう。
しかし、罪悪感はなくても弊害は多々ある。飽きっぽい自分が好きなわけではない。
例えば今飽きていること、noteの更新とブログの更新。
せっかく始めたのに、続かないなんてことはザラ。でもブログの更新って、続けないと意味がなかったり、続けることで磨かれるものがあったりするもの。頭では理解しています。すみません。
「毎日更新する!」って決めて、実現している人を、本当に尊敬する。でも、いつまでも尊敬するだけで「私もいつか・・」と思っていては何も変わらないことは分かっている。
そろそろ動き出さないといけない。今、noteの更新やブログの更新をやめてしまうのは、「なりたい自分」「ありたい自分」ではないのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?