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一回休み。の意味

コロナ家庭内感染の渦中、ついに自分も感染し仕事・趣味活動・学び、一切を中断することとなった。

長らく出勤できず迷惑かけてるんじゃないかという思いに押しつぶされそうだったところから、この時間・経験は何を教えてくれているんだろう、というところへ進化を遂げて頭の中を整理するために書き出してみようと思う。

思えばこの数か月、ひりひりした日常を過ごしてきた。いつも頭の中には悩ましいこと、自分の力ではどうすることもできないことがあり張りつめた日常。そんな悩みから少し解放された今。
そしてこの1年間は常にやるべきことがあり時間を惜しんで取り組んできた日常。1分1秒無駄にしたくないという思いで生きてきた。そこからも解放された今。

何かになろうと必死で、何とかしないと、と焦る。

そこからの『虚無』

ずいぶん前に何で買ったのかわからない難しい本を読んだり、NHKオンデマンドでドラマ観たり、ただただ時間を埋めるように過ごす。
SNSでは活躍されている仲間の投稿に焦りを感じたり、止まっている自分を感じる。

人生に無駄なことはないとするならば、この喉の痛みと一回休みの機会は
私にどんなメッセージを示してくれているのか。

家族の食事の支度も、家事もしなくていい、自分だけの時間。
この時間を焦りを抱えながら過ごすのか、ギフト、と思って開き直って自分へのご褒美、労いの時間と思って過ごすのか選ぶことができる。

まずは秋の夜長をドキドキする映画でも見て過ごそう、と小さなアクションが決まり、書き出すことで自己覚知・メタ認知が進むことを感じる。

一回休みもまあいいか、と思える。何者にもならなくていい。自分のペースでいい、そんな風に言ってくれる自分が現れる。
認知がほぐれていくのを感じ、そのための休みなのかもしれないと今は思う。



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