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冬の初めのうつ物語

季節が秋より冬に移り変わろうとしている。我が家では毎年この季節、恒例の夫のうつ物語が始まるのです。

夫の交通事故・後遺症として高次脳機能障害と共に生きるようになり17年の月日が経ちました。当時のことを考えると胸が痛くなる、とはいえ少しづつ進化を遂げてきた夫の状態。きっと付き合いの浅い人にはそれとわからないほどになっていると思います。

共に歩んできた家族としては、やっとここまで来た、という思いと、やっぱりそうなるよね、という残念な気持ちを繰り返し味わって、それは霧の中を手探りで歩くような年月であったと振り返るのです。

そんな霧の中の歩き方も17年続けているとパターンがつかめて、不安を大きくしない術を身につけられたと思うことがあります。一つ目は、冬の初めにおかしな行動を取り始める現象に、『うつ物語の始まり』とタイトルをつけること。

早朝、夜も明けぬ4時台に家を出て出勤。そして11時ころに帰宅。用意した食事は食べずにカップラーメンとアイスクリームを食べる。そんな日々を繰り返し。

二つ目は彼はその行動を取ることで何をしたいんだろう、何を守りたいんだろう。 目的論で問いかけてみること。

未来の方向を見れない。後ろ向きで進んでいくしかない。前を見れず怖いけれどこれしかできない。なぜなら新しいことを覚えたり開拓していくことは苦手になってしまったから。手持ちのアイテムだけで戦うしかない。何が何でも定年まで勤めあげるしかない。子供を大学に行かせるためにはしがみつくしかない。

そんな声が聴こえて、その目的は家族を守りたい、一心にそう思っているんだ、と気が付くのです。

一方、私はというと自分の学びに自分に正直に生きることに時間と労力を使い、未来に向かって歩みを進めている。

きっと夫はどんどん距離が広がっていくのを感じているのかもしれない。

SNSでは2極化が加速、とかそんな言葉を目にします。我が家で起きていることもある意味2極化の表れだとも思うのです。だからと言って夫に寄り添うつもりもないし、私は私の極を進んでいく。その先に何があるかわからないけれど、夫婦だからと言って同じ極を歩かなければということなない。もしかしたら一周回ってまた一緒に歩ける日が来るかもね。一緒になれなくてもそれはそれで仕方のないこと。

そんな割り切りも必要なんじゃないか、自分の人生を生きるためには。

あなたはあなたのままでいい。自分にもそして相手にも心からそう言ってありのままを受け入れる、その鍛錬の場を今私は経験・学習しているのかもしれない。


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