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受け取ることから、はじめたい。

この文章は、panasonicとnoteで開催する「 #この仕事を選んだわけ 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

数年前の夏、秋田県某所。私は、トマトを頬張りながら号泣していました。

秋田の田舎町に旅している最中で、農家さんの家にお邪魔して、一緒にきりたんぽを作り、ご飯を食べる機会がありました。「朝、採ってきたばかりなのよ」と言って、目の前に置かれたぴかぴかと輝く夏の野菜たち。

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トマトをガブッと丸かじりした時、あまりの美味しさに、涙がボロボロと溢れてしまったのです。不意打ちの涙に自分が一番驚き「美味しくて、感動してしまって・・・」と慌てて理由を伝えると、農家のおばあちゃんは、嬉しそうに笑っていました。とびきりジューシーなトマトを食べた時、はじめて「みずみずしい」という言葉の意味がわかった気がして、今でも夏が来るとあのトマトのことを思い出します。

神奈川県のベッドタウンで育った私は、この土地の人はこんなにおいしい野菜を食べて育っているのか、豊かだなあ、と、羨ましくて仕方がありませんでした。「でもね。だーれも継ぐ人がいないから、もう私の代でおしまい!」と農家のおばあちゃんが、いきなりの終了宣言。このトマトが、世界から消えるなんて!?と、一度引っ込んだ涙がまた顔を出しそうに・・・。

旅をしていると、心揺さぶられる瞬間がたくさんあります。ものづくり、自然や風土、今では作ることができないような建造物、その土地に暮らす人々や土地の物語。「なくなってほしくないな」と心から思える、出会えてよかった大切なものたち。

私はいま、自分に感動や驚きを与えてくれた人やものたちがなくなってしまわないように、力を尽くし、言葉を紡ぎたいという想いで、働いています。

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現在、私はホテルの運営とプロデュースをする会社に所属しながら、フリーランスで地方のまちづくりや観光に携わる仕事をしています。もともと旅好きだったこともあり、なにより、号泣トマト事件から、地域の素晴らしいものがなくなってしまわないために、地域の小さな”光”を見つけて、届けるような仕事をしたいと考え、この業界に足を踏み入れました。

振り返ってみると、はじめて新卒で入社した会社も「やりたいこと」よりも「なくなってほしくないもの」という理由で選んでいました。

こう書いてみると、なんだか立派な理由に見えてしまうのですが、当時の私は「好きなもの」はたくさんあるくせに、やりたいことも、できることもない。そんな”空っぽ”の就活生でした

昔から好奇心旺盛な性格で、色々なものに興味があったし、「好きなもの」はたくさんありました。食、漫画、音楽、ラジオ、ゲーム、旅、読書、建築、歴史や文化・・・。我ながら雑食だなと思うのですが、関心ごとがいっぱいあったんです。

興味があるものは何かと聞かれると、次から次へと出てくるのですが、「やりたいことは何か?」と聞かれると、言葉に詰まってしまう。

ましてや、勉強そっちのけで学生時代をアルバイトと旅行に明け暮れて過ごした私は、自分が会社で働くイメージも、自分にできそうなことも、さっぱり思い浮かびませんでした。もちろん「インターン」なんて、やろうと思ったこともなかった未知の世界。

地に足ついていない不安感と、やりたいことも、できることもない、という自信のなさに本当に苦しみました。興味があるものを、極めたり突き詰めたりしてこなかった今までの自分を、ひっぱたいてやりたい気持ちです。

“旅ボケ”で鈍った脳みそをフル回転させて、唯一、仕事選びのある軸を見つけました。

【やりたいことも、できることもなさそうだけれど、なくなってほしくないものはある】

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新卒で入社した会社での面接で、「この会社がなくなったら、私はとても寂しいです」と、”志望動機”を伝えていました。その会社は、レシピサイトを運営している会社です。

この会社との出会いは私が小学生の時でした。母の誕生日に手料理を作ってあげようと、同じく小学生だった兄と、クリームシチューのレシピを使い慣れないパソコンで検索し、1番はじめに出てきたおいしそうな写真が載ったレシピをプリントアウト。一生懸命ふたりで料理を作り、母へプレゼントしました。味はどうだったかわかりませんが(笑)とても喜んでくれた記憶があります。

大人になってからも、食いしん坊な私の日々の食卓と胃袋は、レシピサイトに支えてもらっていて、このサービスがなかったら夕飯が作れずに困ってしまう日があっただろうし、誰かのために手料理を振舞うこともできなかった。

この会社のサービスが、私の生活に大切な"何か"を届けてくれていたことに気がつきました。だからこそ、なくなってしまったら、すごく困るし寂しい。やりたいことも、できることもなかったけれど、大切にしたいもののためにだったら、頑張れるかもしれない。そんなふうに考えていました。

(もちろん、人生をサボっていた分のツケというのは回ってくるようで、社会人生活のスタートは今思い出しても鳥肌が立つくらい、それはもう大変な幕開けでした...苦笑)

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あの人は若いのにあんなことにチャレンジしている・・・。と、やりたいことを実現する人が【意志が強い人】と評されることが多い世の中。仕事の世界では、届けたいことを持っている「発信者」がキラキラと輝いて見えがちです。

しかし、発信者と同じくらい、「受信者」の存在が大切だと思うのです。受信者なき発信は、リスナーのいないラジオ局で放送を続けているようなもの。受信者あっての、発信者だと。

新卒で働き始めた当初は、物理的にも自分が発信者になるスキルや経験も、私には到底なく、上司やクライアントから色んなことを教わり、受け取ることだけに精一杯でした。

受け取ることをひたすら一生懸命やって、とにかく球を取りこぼさないように、見逃さないようにと泥まみれになりながら駆けずりまわっていると、段々とできることが増えていきました。キャッチボールが上達していくように、ボールを上手く受け取ったり、しっかり投げ返すこともできるようになる。

現在の私の仕事は、地域の作り手や、その土地の声に耳を傾け、ホテルや企画、言葉にその人達の想いをのせて、表現することです。それは発信者であることと同時に、受信者でもあります。

何かを表現したり、言葉を書いたり、自分が作り手側にまわったとき。「受信者」の存在が、かけがえのないものだと知りました。自分の想いや意図を受け取ってもらえた時の、喜びと嬉しさと感動。あんなにも、心震える瞬間はありません。

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哲学研究者の近内悠太さんの本では、私たちの世界に存在している”贈与”について、このように表現されています。

贈与に気づくことのできた主体だけが再び未来へ向かって贈与を差し出すことができるからです。その主体は「もし私が気づかなかったら、この贈与は存在しなかった」ということを痛いほど理解しています。
(中略)
この贈与は私のもとへ届かなかったかもしれない。
ということは、私がこれから行う贈与も他者へは届かないかもしれない。
でも、いつか気づいてくれるといいな──。
かつて受取人だった自身の経験から、そのように悟った主体だけが、贈与が他者に届くことを待ち、祈ることができるのです。

(引用:近内悠太さん著書 世界は贈与でできている   )

この言葉に出会ったときに、仕事での表現や創作、誰かの「やりたいこと」というのもまた、受け取ったことに気付いた人たちだけが、未来へ向かってそれらを差し出すことができるのではないかと感じました。

もうひとつ、ドキリとした言葉があります。

ほとんどの場合、聞いているような顔をしながら、じつは、次に自分が言うことを考えているのです。ときには、相づちも打つでしょうし、うなずきもするでしょう。

でも、頭の中は、次に自分が何を話すかということでいっぱいなのです。そして、いよいよ自分の番がきて、話し出すと、今度は、相手がその話を聞いているような顔をしながら、次に自分が言うことを考え始めるのです。

(引用:伊藤守さん著書 こころの対話 25のルール   )

就活生だった大学生の私も、「面接でどう自分をアピールしよう」と、その会社が自分に何を届けたいのか、受け取ることをせずに、自分の話すことを考えていたような気がします。発信することだけに目が向いてしまい、受け取ることがないがしろに・・・。

発信とは、受信する主体があって、初めて"電波"として見えてくるもの。発信することは自分の外側にあり、受け取ることは、いつだって自分の内側にあります。

心からやりたいことも、自分にできそうなこともなかった、20歳そこそこの私には、外側にある電波なんて、まるで見えていなかったんです。唯一、自分の心の中から取り出せるものは、「受け取って大事にしまっておいたもの」しかなかった。

何か自分が、強い想いをもって発信したり、届けたりすることが、私にはできなかったからこそ、発信者たちの電波を取りこぼさずに、しっかりと受け取りたいと、今でも思っています。

その受け取り咀嚼した「何か」をまた誰かに届けることが、私の活力であり、強い想いに変換され、自分が発信者へと変化していく。受信、発信、受信・・・。この繰り返しが、今の私の仕事を作っています。

【何かを届けることは、何かを受け取ることからはじまる。】

いつだって、『受け取り上手』でありつづけたい。そして、いつか、私の言葉も誰かが受け取ってくれることを祈りながら・・・。今日も、誰かの電波が消えてしまわぬように、こぼれ落ちてしまわぬように。受け取るアンテナをピンと立てながら、言葉を紡ぎたいと思っています。

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