山伏修行体験日記(第1日目)

 私が参加した出羽三山の山伏修行体験は週末の土日だったが、一緒に参加する2人の同志はせっかく山形に来るならと、金曜日から休みを取って来てくれた。私も有給を取り、朝から同志を駅、空港へ迎えに行った。1人は東京から、1人は愛知から。久しぶりの再会だったが全く感じない。彼との縁は武道の稽古を通じてだが、接したのは実質半年ほど。もう1人の同志もある勉強会で知り合ってから1年ほど。どちらも一般的な時間の長さで言えば長い付き合いではないが、深さが全く違うと思っている。2人が到着後、先ず山寺へ。その前に山寺芭蕉記念館でボランティアガイドさんの説明を聞き概要を理解。山形に来て1年半、山寺には案内も含めて今回で4回目だが恥ずかしながら知らなかったことばかり(・_・;
 そして、いよいよ山寺へ。今回の山寺訪問の目的は、勿論山形の観光名所ということもあるが、根本中堂の「不滅の法灯」を観ること。実はここも今回までの3回の訪問では毎回素通りしていた。きっかけは、東京の勉強会で最澄の講義を受けたこと。西暦788年、最澄が延暦寺に灯明をかかげたのが始まりで、以来一度も消えることなく輝き続けていると伝わっていることから、「不滅の法灯」と呼ばれるそうな。比叡山延暦寺の灯が焼き討ちで消えた際には、分灯された山寺の根本中堂の灯りで、再び延暦寺の灯りを繋いだそう。実際に拝観すると予想以上に間近で観ることが出来た。これが1200年以上一度も消えることが無い灯か…。拝観者は我々以外は誰もいなかった。ふと不埒な考えが浮かんだのだが、これにフッと息を吹きかける輩がいないとも限らないのでは?最近は何があってもおかしくない時代。どうか、このままの態勢で拝観出来るよう、そんな罰当たり者が居ないことを祈る。続いて、1015段の石段を登った。途中の「蝉の句碑」で芭蕉の旅に想いを馳せながら。一段一段と煩悩を消しながら登ったが、昼食のタイミングを逸していた空腹だった事もあり、下りは一段一段と煩悩を増やしていって元に戻る…
 以前、美味かった思い出がある蕎麦屋さんで、芋煮と蕎麦のセットを食す。お店の山形県の人らしい温かい接客に都会から来た同志は感動していた。
 食後は、最上義光記念館→山形県立博物館→霞城公園。そして、我々の中で密かなブームである縄文時代に関連して、天童市西沼田の遺跡公園へ。正確にはここは古墳時代の遺跡なのだが。遺跡公園に着く頃には夕暮れ時。幾つかの平地式住居🛖と高床式倉庫があった。人は我々以外いないと思っていたがら、何やら人の声がする。住居の中に入ってみると、なんと!おばちゃん2人がパタパタと世間話をしながら火を扇いでいるではないか!天井を燻している様子。「(聞いてないのに)今日は餅はないよ」(たまに餅焼き体験もあるそうな。)と、おばちゃん。広々とした遺跡公園、周りを山に囲まれ澄んだ秋の空に見える夕陽、古代に想いを馳せながら3人揃ってホッコリした瞬間だった。続いて売店で、同志が縄文遺跡のガチャガチャにトライ。先ほど山形県立博物館で見た縄文の女神像(山形県で出土)がお目当てらしい。オッさん三人が目をキラキラさせながら見ている。今回の旅のサブテーマ、「大人の遠足」にピッタリな情景である。しかし、ガチャ…あ、縄文の女神ではなく縄文のビーナス(長野県で出土)だ…若干残念そうだ。よし、じゃあ僕も!と私もガチャ。どうやら私が縄文の女神を当てたらしい…交換しましょか?いや、いいですいいです!そんなやりとりが30秒ほど。結局交換せず。つくづく男は痩せ我慢する生き物だと思った。
 だいたい私が考えていた通りのスケジュールでこの後は、本当は最上川が見える露天風呂(既に陽が暮れている)と自宅近くの居酒屋🏮で今日の振り返り。その後は今日の宿である私の単身赴任先の宿舎で、いつでも寝れる状態にしてから、森鴎外の『阿部一族』DVDを観ながら、出羽桜を飲み比べしながら、武士道の不条理について各々の想いを語り合った。今回の旅は、明日からの山伏体験がメインであることを忘れるくらい初日から盛り沢山だったが、日付を超えたので明日に備えて眠ることにした。(ずいぶんと前置きが長くなったが、山伏体験の内容は、次に続く。)

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