見出し画像

すばらしき世界


河瀬直美と西川美和は僕にとっては怖い人。怖い作家だ。
これでもかと人間の弱さ、怖さ、脆さを一貫してノンフィクション、フィクションで作っている作家。
その作品に触れると、否応なしに自分のそれらと向き合うことになる。
河瀬直美のドキュメンタリーを見た時に、ある一言で自分がわからなくなったことがある。(内容は忘れた)
それ以来、河瀬直美の言葉とはあまり正面から向き合わないようにしている。怖いから。

西川美和も同じで「ゆれる」から一貫して悲喜劇をベースに地獄の底から空を見上げる人間を描いている。

誰にも触れられたくない心の底に隠している秘密を、微笑みながら問いかけてくる怖い作家。

個人的にはそんな印象の西川監督の最新作「すばらしき世界」。
この映画を一言で表現するなら迷わず「役所広司という役者の凄みが詰まった映画」。監督はもちろん凄いが役所広司は想像を超えて凄い。

見た人は共感してくれるのではないかと思うが、役所広司演じる三上は60歳近い年齢だが「子ども」なのだ。

三上が話す、1人でいる、その佇まいに、ふっと中学生の子どもの面影が浮かぶ。

物語が進むと彼の生い立ちがわかり、子ども時の記憶に束縛されているのがわかるが、役所広司は演技でその背景を伝えてて、恐ろしいほどの演技力だと思った。

こんなことができる役者が世界に何人いるだろうか。

一つ自分の呪いを解くことができて、ようやく年相応の男に見えるようになる。止まっていた時計の針がそこから進み出したように「老ける」。

西川監督がインタビューで話していたのは役所広司は脚本に書いてあることを2.3割り増しで表現する。
増しというのは理解の深さで、書いていないことまで想像で補い自分の肉体をコントロールして、見る人に演技で伝えるということ。

演技力とは、演じる技。つまりは肉体を思ったようにコントロールするということ。

その姿を最小限の演出で捉えて、捉えて積み上げられたのがこの映画。

西川美和監督の映画は、いつも正しさとは何かを突きつけてくる。あなたにとって正しさとは?その人にとっての正しさとは?

正しさとは、不定形なもので、時代や人それぞれ違うのだから、正しさに縋って生きることは、それは束縛されているのと同じで、生きる息苦しさの原因でもあるのではないか。

人それぞれの正しさを受け入れることこそ寛容であり、正しさを押し付けることは、どの時代においても、どんな状況においても間違っている。

「わたしは、ダニエル・ブレイク」と見比べてみると今、先進国が抱えている問題がよくわかります。

「誰一人取り残さない」を旗にしなければ「誰もが取り残される」世界である今が、この2本の映画からは伝わってきます。

終盤の津乃田の激情はやや唐突な印象も受けるが、彼はファインダーと書くことを通して三上と同一化していたのだから当たり前のように思う。
作家監督ならではの演出だと思った。

それにしてもこの日本版のコピー…もうちょっとどうにかならんかったんかな。
#すばらしき世界
#役所広司
#西川美和
#身分帳

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?