映画「聖なる犯罪者」

前科ある青年がひょんなことから村の司祭になる。
実話をもとにつくられた映画。

「自分は被害者だ。だから自分は悪くない」は、いつしか経年変化で「自分は善良で、あいつは悪党だ」になりがちです。
そうなった場合「善良な自分から悪党へ繰り出す" 正義のパンチ "」の残酷ぶりに、本人は無頓着であることが多い。むしろ、パンチは正義へ回収されるから、やればやるほど「良いことしてる」と感じることさえある。
・自分は被害者だから悪くない
・自分は善良。あいつは悪党
・これは" 正義のパンチ "なのだ
これ等の誤魔化しを一蹴するのがこの映画です。
村のそこかしこで振るわれる" 正義のパンチ "に疑問をもち渦中へ飛び込み、ボコボコにされた" 悪党 "のとなりに立ったのが、前科持ちの司祭、この主人公だった・・・
あとは映画を見てみてください。

「善悪の二項対立の、どちらかに立つなんて生身の人間にはできっこない。
そこに対して腹をくくれ、自他共に。さあ泥水すすって生きようぜ」
というメッセージを勝手に受け取りました。
この監督のキリスト像にも興味がわきました。
そういえば、キリストは自分を「神の子」とか言ってるけど、だからといって「あいつら所詮人間だから」とお高くとまるわけでもなく、むしろ逆で、凡人でもヒくような人のところへ進んで飛び込んでいくよな・・・。教義そのものは善悪が強調されてるけど、キリスト本人は案外二項対立の人じゃなかったのかもしれん。生身の人間は善にも悪にもなりきれないことを、誰よりも腹にくくってた男なんじゃ・・・
ということなんでしょうか、監督。さっぱりわからんですが興味深い映画でした。

冒頭、刑務所から出てきた主人公はとりあえず酒、女、ドラッグで一服。
ハイになってとびはねる演技、目がイっちゃっててよかった。
わたしは麻薬を打つ演技に心ひかれることが多い。なぜなんだろう。

http://hark3.com/seinaru-hanzaisha/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?