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「ドライブマイカー」

濱口さんの映画をみてると「ねえ、みんなどう思った!?」って聞きたくなるけど、自分がどう思ったかっつったら、なかなか正直に話すことができない。だから、みんなにどう思った?とたずねても、あるていど検閲された感想しか言えないのだろうな・・・とも思う。

濱口さんの作品は、「共犯」の香りがムンムンしている。濱口さんと役者さんも共犯関係だろうし、脚本・濱口さん・役者さんも共犯だ。ということが結果として「監督→ 脚本→ 役者→ 鑑賞者→ 役者→ 脚本→ 監督・・・」と共犯が伝播(往復)していって、映画がおおきな共犯装置となって全体をつつむ。見ていると鑑賞者の立ち位置も危うくになっていきます。

だから、感想を言うときモゴモゴしちゃうのかなあと。「この映画に感想を言うわたしって、誰なん?」って。または、たとえいっしょに人を殺しした仲間であっても「いやあ、あいつの死に際の表情ってこんなだったよなー!」と明るくシェアすることができないのと同じようなかんじで。

とはいえ、まず、作り手である濱口さんが、生きていくため泥水すすることを力強く肯定してくれている。じぶんとおよそ関わりのない1人の人間が、そう言っている。その事実にホッとする。すごく救われた(作品をつくるとか、みるとか、そういうことのよさってここにあると思います)。

し、これだけ評価されているってことは、みんなわりと泥水すすってる自覚あるなか生きてるんだな〜とも思う。そこにも救われた。

劇中に手話をつかう人が出てくるけど、あしらいがとても自然で、そこもよかった。「手話の人ががんばってる!」「手話なのにすごい!」という陳腐な回収をはねのけるかのように、しれっとしてて。


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