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あそどっぐインタビュー3日目 その4 「病名がつくことのむずかしさ」

私は、あそさんを心底カッコいいと思った。
あそどっぐはどうやって今のあそどっぐになったのだろうか。
なぜ私はこんなにあそどっぐが気になるのだろう。
好きなんだろう。

あかほし(以下「ほし」):  病名・・・これがまたすごくむずかしいところで、病名に頼っちゃいけないと思うんですよね。
あそどっぐ(以下「あそ」): それあるんだよね。今なんかもう、発達障害とか自閉症とか、そういう障害の界隈ってすごいピックアップされてるから・・・「だって俺そうなんだもんしょうがないじゃん」みたいな感じで来られると「おいおい」ってなる時はあるよね。
ほし: そうですよね。そうそう・・・頑張りすぎて本人の生きるチカラまで削ぐ必要はないけど、お互いのここちよさを目指す気持ちはなくさないで欲しいですよね。でないと付き合えないもんな。
あそ: そうそう、うん。やっぱ身体障害の人も一緒だよね。「俺障害あるからしょうがないじゃん」って来られるとなんかやっぱり付き合いにくいもんね。
ほし: そこね。すごいデリケート。でも、できないものはできないって言えないと困っちゃいますよね。
あそ: うん。だから一番やりやすいのは、何ができて何ができないのかをちゃんと言ってくれる人はすごい付き合いやすいね。
ほし: うんうん、そうなんですよね。いわゆる健常者というか・・・自分をスタンダードな種族と自認している人って他者と関わる時にいちいち確認したりしないんですよ、個々のデコボコを。「察してくれ」とか「そんなん言わせないでくれ」、それが基本スタンスだから、とても入り込みにくい。
あそ: そうやね、疲れちゃうね。
ほし: そういう、「スタンダード族は暗黙のルールを表立って言いたがらない」という傾向に気づいてからは、言わないんだったらこっちから聞いてやるって思って「これってこうするけどいいかなあ?」って、それで大分トラブルは回避できてますね。
あそ: うん、聞かれるのはすごいいいよね。
ほし: 自称スタンダード族の人は、その時その人に合わせて楽な関わり方をつくりだすことに不慣れな気がします。彼らが付き合う人間の種類はおおむね固定されている。で、そのグループ内のルールっていうのは既存のものであることが多い。彼らはそこに乗っかってるだけだから、お互いの違いを踏まえて調節していく力はあまり感じないです。
あそ: う〜ん、そうだね。

ほし: それと対照的なのがあそさんでした。あそさんと初デートする時はとてもすり合わせやすかったんです。当時、寝たきりの人と個人的にお会いするのは初めてだったので、たとえば「トイレはどうやってるんだろう?何をすべきなのか?」なんていう風にソワソワしていたもんですが、あそさんから先回りして「こうしようか」と言ってくれたので。
あそ: ああよかったわ。
ほし: 「ああ、本人が提案したコースなら心配無用だね!」って安心できました。だから「じゃあこういう風にすると楽しいかなあ」っていうワクワクプランの方へ力を注ぐことができた。ああ・・・そうじゃない時はどうしたらいいんでしょうね!
あそ: (笑)

ほし: たとえば、友達が私と似た状況で苦しんでいる時に「きみ自閉症じゃないかなあ」って言うのはなかなか厳しいものがあって。でも、かなりそれっぽいなあって傍目に見てて思うんです。でも本人は自覚なさそうなまま「人と関わるとこういうことがあってキツい」って話をずっとしている・・・。誤解を恐れずに言うと、診断が降りるかどうかはどっちだっていいと思っているんです、私は。降りてラクになるならそれもよし、降りなくてもよければそれもよし。そこは本人と障害の距離感次第ですよね。診断結果うんぬんよりも、自身の状況を踏まえていかに楽しく生きていくかってとこが一番大切な気がしています。・・・でも、なかなかむずかしいですよね。精神科に行くことへの偏見もあるじゃないですか。
あそ: 精神科に抵抗ある人は多いよね。
ほし: 「精神科に行っているという既成事実をつくりたくない」とか、そういう恐さを持つ人もなかにはいるんだろうから、なかなか気軽に「病院行けば」とは言えない。むずかしいです。
あそ: でも苦しんでるんならね。なんか言ってあげたい気もするわね。
ほし: うん、そうなんですよね。関係性があればまだいいんだけど、関係性が切れてしまってる人だとさらにむずかしい・・・でも、その人は目の前でのたうちまわってたんですよね。見ていてとてもつらかった。
あそ: まあでもね、お互いの関係性がないとね、なかなかむずかしいよね。急に言ってもね。
ほし: たとえば、あそさんの友達で身体に障害のある人がいて、その人が「俺はこうなんだからしょうがないじゃないか」みたいな感じだった時って注意したことあります?
あそ: 注意ね〜、う〜ん・・・す〜る〜、と思うよたぶん。
ほし: したことある?
あそ: わ〜・・・うん、したことあるね。
ほし: ああ、あるんだ。
あそ: うん、「もっとこうできるんじゃないか」とかは言うよね。
ほし: そうかそうか。
あそ: そうだね、う〜ん。でもまあもともとが人にあんま注意する方じゃないから、どんな人にも(笑)
ほし: (笑)
あそ: だからよほど目に余るときにしか言わないね。だいたいがもう、人へあまり注意をしないで波風立てないように生きてきた人だから。うん。
ほし: そっかそっか。
あそ: うん。でもあんまちょっとあれだなっていう時は言う。
ほし: そこも、なんだろうなあ・・・言葉って本当にむずかしいですよね。たとえば「障害のある人・ない人」。で、ない人が、本当に障害ないかっていったら私はあやしいと思っていて。
あそ: 大体みんな何かしらあるんじゃない。
ほし: そうそう。必ずなんかどこかにあるはず。
あそ: 完璧はあり得ないからなあ。
ほし: 「健常者」と「障害者」っていう言葉ができてしまったばっかりに、その概念の方が強くなっちゃってる・・・
あそ: うんうん。

ほし: けれども私たちが話しているこの瞬間だって、便宜的にそれを使った方が通りがいいっていうのはたしかにあって。
あそ: うんうん、便利だもんね。
ほし:たとえばもし違う障害だったとしても、障害を持っていることが共通していると「おれたち当事者だよね」という共通土台に立てるような感じがあって。それでわりとモノを言い合いやすくなるっていうのはあると思うんですよ。
あそ: うん、それは断然あるね。
ほし: 逆に障害を持ってないと、持ってる人にモノを言いにくいっていうのもあると思うんですよね。
あそ: うんうん、そうだと思う。
ほし: そこのなんとも言えなさが、う〜ん・・・
あそ: やっぱそれはもう付き合っていくしかないよね、もうね。一緒に話したり、同じ時をすごしたり、ぐらいしかないよねほんとね。
ほし: そうですよね。いろんな種類の人と関わってきたキャリアというか、貯金みたいなものがあれば、街で会ったはじめましての人でも「たぶんこうなんじゃないかな」っていう当たりが多少つくというか、そういうことはありそうですね。
あそ: だから関わっていくしかないよね。あ、ごめんちょっと吸引する。
ほし: はーい。
手動吸引器によって痰を吸引している
あそ: だいじょぶでーす。

〜〜〜 あそどっぐ後日談 〜〜〜
「 障害の種類によっては言葉で自分のことを表現できない人もいるから、そういう人たちの気持ちや思いもちゃんと読み取れるように、心をそばだてておくことは忘れないでいたい。分かり合えたらきっとオモロイから」
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次回、「あそどっぐが「障害ネタ」を選んだワケ」

あそどっぐ
1978年佐賀県生まれ。熊本在住。お笑い芸人。
あかほしあまね
1991年東京都生まれ。『コバガジン』のライター。

前回の記事はこちら 「グレーゾーンなあかほし」


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