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あそどっぐインタビュー1日目 その2 「阿曽太一、誕生」

私は、あそさんを心底カッコいいと思った。
あそどっぐはどうやって今のあそどっぐになったのだろうか。
私たちは2016年に出会い、友人になった。手をつなぎ、デートもした。
飽き足らない私は、彼にインタビューをお願いすることにした。

あかほし(以下「ほし」): そして「たいいち」さん誕生。ハイハイはしてたんですか?
あそどっぐ(以下「あそ」): ハイハイはね、してないみたい。寝返りをね、かろうじてしたかなーぐらいみたいね。
ほし: じゃあ、そのあたりから・・?
あそ: そうそうそう。だからもうまるっきり、生まれて、まあ初期の段階から、だよね。生まれた瞬間は分かんなかったけど、うつぶせになって顔をあげたりみたいなのもなかったみたいだし。
ほし: お母さん心配したでしょうね。ふとんで窒息とかあるからな、赤ちゃんて。
あそ: あ、聞くよね。いまうつぶせ寝とかもするしね。こわいよね。
ほし: それ聞くとドキドキするやろなあと思って。
あそ: ああ、そうかもしれん。
(あそ: あ、ちょっとまってね。脚ひだりに。はい、オッケーです。
 ※ ヘルパーさんに声をかけて体勢を変えている)
ほし: そうか、じゃお出かけの時はベビーカーが主か。
あそ: そう。ベビーカーか、まあバスとか乗るときは抱っこひも。あとはチャリ。抱っこひもにおぶられて自転車で移動してるのはよく記憶にのこってるね。あ、そうだ、うん、けっこうおおきくなるまで抱っこひも、されてたよ。
ほし: いつぐらいまでしてたんですか?
あそ: うんなんかね、あの〜、うちの母親免許持ってなかったんだけど、僕が小学校にあがるときに、病院の先生に「通学とか送り迎えはお母さんがすることになるから、車はかならず必要ですよ」と言われたらしくて。で、僕が5歳くらいの頃におんぶひもで背負われて自転車で教習所に通ってたのは覚えてる。
ほし: じゃあ教習してるあいだ、あそさんは?
あそ: 教習中のときは託児所みたいんがあって、そこに預けられてたね。
ほし: なんか母目線で聞いちゃうな。
あそ: で、託児所だからまあ、みんな走り回るから、僕はゴロンと床に寝てるので、危ないからもう5歳なんだけど赤ちゃん用のベッド柵に入れられて待ってた。
ほし: 踏まれたらけっこうヤバいかんじのからだの状態だった・・・?
あそ: そうよね、自分ではまったくガードできないから、踏まれたらかなり危ないかんじ。
ほし: で、あそ母が免許をゲットして、車で、というかんじか。
あそ: そうそう。
ほし: じゃああの、コントの「犬」あるじゃないですか(注1:文末参照)。あのやりとりは、車がないときびしいよっていうお母さんのエピソードも関係してるんですか?
あそ: そうだねあの、学校に行く行かないとかはね、けっこう苦労したんだよね。当時、障害重い人とかはまだ、あの〜、「通学免除」とかいうワケの分からない制度があって、義務教育だけどなんか重いから行かなくていいですよ的な風習もあったのよ。
ほし: そうなんですか、全然しらなかったです。
あそ: これもなんかぼんやりしか覚えてないんだけど、佐賀の障害を持つ人ほとんどが通う大きい養護学校、今で言う特別支援学校があって、僕小学校一年生で入る前に、当然そこに行くもんだという感じで、親に連れられて、まあ手続きに行ったら、なんか〜、、、僕は話し合いのときには居なくて、別室で待機してんだけど、泣きながら親がね、その部屋のなかから出てきて「帰るぞ」って言うのね。で、その道中聞いてみると、車の中で、ほんとにね、親両方とも泣いてて、どうしたのか聞いてみると、なんか「施設にいれるか、寮に入れるかせんと学校に通わせない」って言われたって。で、もう・・・そんな学校には行かんでいいみたいなかんじで、泣きながら言われて帰ってきた記憶があって。で、まあ家から歩いて30分くらいのところにちいさな養護学校があって、たまたまそこがね、施設に入らなくても訪問教育でいいよっていうかんじで、学校の先生が自宅に来るっていうシステムではじまって、でも僕学校行きたいから、学校行きたい行きたいって言って、ちょっとずつ親がね、学校と交渉してくれて、その養護学校にはまあ、施設から学校に通って勉強してる人たちもいて、教室で。で、そこに行きたいから、「特別に通う」みたいなかたちを徐々につくっていってくれたとかいって。そのへんからだね、学校に通う通わないではね、常にもめてきてたんよね。中学に入るときもそうだったし、高校の時もそうだったし。
ほし: 大学は行って・・・?
あそ: 大学は行ってない。あんま勉強すきじゃなかったしね(笑)
ほし: わたしもおんなじです。あんまり勉強にうるさい親じゃなかったんですか?
あそ: え〜っとね、小中ぐらいまではけっこううるさかったね。とくにうちの父親とかはうるさかったね〜。身体が動かない分、勉強しないといけないっていうのはずっと言われてたね。
ほし: なんか嫌っすね。やりたくなくなりますねそう言われると。
あそ: そうそうそう。夏休みとかね、宿題をね、さいごの日にやってて、ちゃんと終わったんだけど、「時間ない時間ない」って言ってね、怒鳴り上げられてね、なんかね、理不尽だなと思って。小中まではね。
ほし: そうかあ勉強・・・わたしは親がうるさくなかったんで。
あそ: あ、い〜ね〜。
ほし: テストの結果がよくてもわるくても見るのが楽しみで、今日の朝の占いみるのとおんなじ気分なんですよ。
あそ: 占いじゃねーよ!(笑)
ほし: じゃあ小中のときはガリガリ勉強しとる時間が長かったんですか?
あそ: 勉強ね、けっこうさせられてたね。塾とかは僕は行ってなかったけど、家でずっと勉強させられてたね。
ほし: すきな科目ありました?
あそ: すきな科目。理科とか数学は比較的すきだったかな。
ほし: あそうなんだ、理系なんだ。そのなかでどの分野がすきとかありました?
あそ: どれ好きかなあ。中学校くらいは学校に通えてたんだけど、実験がすきだったね。薬品をまぜていろいろ。とにかく実験がすきだったな。数学はたまたまね、担当の先生がかわいかったんだわ。ただそれだけだよね。
ほし: (笑)そこでいい点をとって「あそ、やるなあ」って・・・
あそ: ちょっとほめられようかなあ、みたいな。
ほし: 先生ってだいじですよね。
あそ: 先生だいじだよねー、ほんとそう思う。英語の先生は大っ嫌いだったからいまだに苦手やもんね。

注1:コント「犬」

次回、「生き延びるためのM」

あそどっぐ
1978年佐賀県生まれ。熊本在住。お笑い芸人。
あかほしあまね
1991年東京都生まれ。『コバガジン』のライター。

前回の記事はこちら 「「阿曽太一」誕生前夜」

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