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谷崎潤一郎の『華魁』を読む 平治の乱で武勇の誉れを擧げた?

 村上春樹さんの『海辺のカフカ』に出てくる、ジョニー・ウォーカーは十四歳で父親を亡くし、十五歳で食料雑貨店を開業した。カーネル・サンダーズ(本当はサンダースだが、何故か濁る。)は六歳で父親を亡くし、十歳から働き始め、十四歳からは農場の手伝いや車掌などを務めた。何もかもカフカ君と一致という訳ではないが、わざわざそうした早熟な有名人の名前が選ばれたことは間違いない。



 さて、この『華魁』は小品でしかも未完である。つまり結末がないので、筋というものが掴めない。

 書かれている範囲からすると、由之助という十六歳の真面目で働き者の丁稚奉公の小僧が、意気地のない大人たちを見下していたところ、女郎屋に使いを頼まれてさてどうなるかというところ。

 まだ蕗の味が解らず、牛肉や豚肉や鰻など脂っこくて滋養のある食べ物を好むものの、店ごとの鮨やそばの味の違いをうんぬんする堕落した大人を軽蔑している生意気な由之助だが、大人たちが「おいらん」に通うことには興味がある。「おいらん」は謎で、大人たちが何をしているのか由之助はまだ知らない。とにかく「おいらん」に会って話をしたいと思っている…。

 これは筋としては『颶風』のようなふりになっているが、そのまま同じように「おいらん」に骨抜きにされる話とも思えない。しかし残念ながら先が書かれていないので筋は追えない。

 ただ筋とは乖離したところで谷崎潤一郎がまた小刀細工をしていることを指摘しておこう。作中、「二宮尊徳は十六の歳に自分の家を再興した」…とあるが、実際は二十歳である。また「源頼朝は十三歳の歳に平治の乱で武勇の誉れを擧げた」… とあるがそれはない。源頼朝は十三歳で右兵衛権佐へ任ぜられるも武功はない。むしろ逃げて翌年、捕えられ、死刑になりかったところ、清盛の継母の池禅尼の嘆願などによりなんとか生き延びたというわけで、活躍するのは三十三歳ごろからのこと。

 このあたりの事情は歌舞伎の演目で散々こすられているので谷崎が間違えたわけではない。例によって理由は解らないが、何故かわざと違えて書いているのだ。平治の乱も『信西』以降さんざんこすられている。よほど気になるようだ。

 どうだい読者諸君、ぐるなびではどこの寿司が旨いの不味いのといい加減なことを書いちゃあいるが、その手前でそもそも何を喰っているのか解らねえで書いちゃいまいかい?

 …と後で揶揄うつもりなのか?



【余談①】『華魁』の言葉たち

京橋霊岸島 霊岸島は東京都中央区新川の旧名なので、京橋は京橋区という意味。今の京橋より隅田川寄りで、八丁堀、茅場町の向こう。


襟筋 衣服の襟が触れる首の後部。襟足。
婀娜 女のなまめかしく色っぽい様子。
洲崎 東京都江東区東陽一丁目の旧町名。明治21年(1888)に根津から遊郭が移転。
大八幡 「根津遊廓」?

永代橋 隅田川にかかる橋


【余談②】骨抜きにされる?

 人間のあそこには骨がない。サルでも骨があるのとないのがいる。そんなことを真面目に研究している人もいる。立派なことだ。








※本買ってね。まじで。頼むから。

確かに訳がありそう。


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