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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する174 夏目漱石『明暗』をどう読むか23 ここからどう盛り返すのか

 昨日気が付いたこと、

・津田と小林は社会主義者と目されて探偵に尾行された→津田の読んでいたドイツ語の経済書とはマルクスの『資本論』なのではないか

 ……という辺りの発想は、「二人が深夜非常線にかかった」といったところだけではなく、例の「三四日等閑にしておいた咎が祟って」というところにも繋がってくるようにも思える。
 それにしても最初はただ「洋書」(第五章)と書いてあったのでついつい英語の本かと思ったら、「経済学の独逸書」(第三十九章)といきなり記憶が修正される仕掛けの中には、この「経済学の独逸書」を効果的に使おうという意図がはっきり見えるので、物語の中でもう一度はっきり意味を持って現れるであろうことが解る。つまりこの「経済学の独逸書」のふりが落ちていない続編などほぼ意味がないということになる。


探偵

 インヴァネスを着た小作りな男が、半纏の角刈と入れ違に這入って来て、二人から少し隔へだたった所に席を取った。廂を深くおろした鳥打を被ったまま、彼は一応ぐるりと四方あたりを見廻した後で、懐ろへ手を入れた。そうしてそこから取り出した薄い小型の帳面を開けて、読むのだか考えるのだか、じっと見つめていた。彼はいつまで経たっても、古ぼけたトンビを脱ごうとしなかった。帽子も頭へ載せたままであった。しかし帳面はそんなに長くひろげていなかった。大事そうにそれを懐へしまうと、今度は飲みながら、じろりじろりと他の客を、見ないようにして見始めた。その相間相間には、ちんちくりんな外套の羽根の下から手を出して、薄い鼻の下の髭を撫でた。

(夏目漱石『明暗』)

 もしもこの男が小林の推測通りに探偵ならば、探偵と云うものが実地で登場する初めてのケースということになるだろうか。そしてこの探偵が小林の言う通り、藤井の家から出た時から尾行してきたのであれば、藤井こそが社会主義者として疑われていたことが予想される。そして藤井の家に世話になっていた津田由雄には当然嫌疑がかけられていよう。

 そうなると温泉宿に津田を追ってくる可能性のある者の中に探偵も加わることになろうか。

 いずれにせよ、「社会主義者」「探偵」「経済学の独逸書」はなにがしかの関係を持つだろう。そして藤井の仕事にも少しは関係してくるかもしれない。

人間が生れ変ったようなものです

「津田君は近頃だいぶおとなしくなったようですね。全く奥さんの影響でしょう」
 お時が出て行くや否や、小林は藪から棒にこんな事を云い出した。お延は相手が相手なので、当たらず障らずの返事をしておくに限ると思った。
「そうですか。私自身じゃ影響なんかまるでないように思っておりますがね」
「どうして、どうして。まるで人間が生れ変ったようなものです」
 小林の云い方があまり大袈裟さなので、お延はかえって相手を冷評かし返してやりたくなった。しかし彼女の気位がそれを許さなかったので、彼女はわざと黙っていた。小林はまたそんな事を顧慮する男ではなかった。秩序も段落も構わない彼の話題は、突飛にここかしこを駈け回る代りに、時としては不作法なくらい一直線に進んだ。
「やッぱり細君の力には敵いませんね、どんな男でも。――僕のような独身ものには、ほとんど想像がつかないけれども、何かあるんでしょうね、そこに」
 お延はとうとう自分を抑える事ができなくなった。彼女は笑い出した。
「ええあるわ。小林さんなんかにはとても見当のつかない神秘的なものがたくさんあるわ、夫婦の間には」
「あるなら一つ教えていただきたいもんですね」
「独りものが教わったって何にもならないじゃありませんか」
「参考になりますよ」

(夏目漱石『明暗』)

 そう気が付いて読み直すと、ここで言われている津田由雄の変化「近頃だいぶおとなしくなった」とは、「遊ばなくなった」のではなく「運動しなくなった」なのではないかとも思えてくる。

 そしてお延の言う通り「影響なんかまるでない」のであれば、「まるで人間が生れ変ったようなものです」とは事実そのままであり、津田由雄自身が「生きたままの生まれ変わり」なのではないだろうか。

 私はこれまで小林と小林医院の医師が「生きたままの生まれ変わり」ではないかと考えてきた。しかし「生きたままの生まれ変わり」には二つのパターンが考えられないだろうか。

 すなわち小林医院の医師の精神が消えることなく小林に乗り移ること。あるいは津田由雄の精神が津田の肉体の死を待たず再び津田由雄の肉体に宿ること。そして微妙なずれが生じること。

 いずれにしても全く科学的な話ではないものの、卑近なレベルで言えば引っ越しをしたり、よく眠れたり、散髪をしたりすると「生まれ変わったような気分になり」「見違えるほど変わる」ということはないでもない。ここは単に津田がお延と結婚して大人しくなったという話をしているようでもあるが、どうもそれだけではないような感じがある。


人に殺される危険がまだ少ないからです

「僕だって朝鮮三界まで駈落のお供をしてくれるような、実のある女があれば、こんな変な人間にならないで、すんだかも知れませんよ。実を云うと、僕には細君がないばかりじゃないんです。何にもないんです。親も友達もないんです。つまり世の中がないんですね。もっと広く云えば人間がないんだとも云われるでしょうが」
 お延は生れて初めての人に会ったような気がした。こんな言葉をまだ誰の口からも聞いた事のない彼女は、その表面上の意味を理解するだけでも困難を感じた。相手をどう捌していいかの点になると、全く方角が立たなかった。すると小林の態度はなお感慨を帯びて来た。
「奥さん、僕にはたった一人の妹があるんです。ほかに何にもない僕には、その妹が非常に貴重に見えるのです。普通の人の場合よりどのくらい貴重だか分りゃしません。それでも僕はその妹をおいて行かなければならないのです。妹は僕のあとへどこまでも喰ッついて来たがります。しかし僕はまた妹をどうしても伴れて行く事ができないのです。二人いっしょにいるよりも、二人離れ離れになっている方が、まだ安全だからです。人に殺される危険がまだ少ないからです」
 お延は少し気味が悪くなった。

(夏目漱石『明暗』)

 探偵だの社会主義者だのと言うことを意識してこの「人に殺される危険がまだ少ないからです」という言葉は満更中身のない脅しでもないように思えてくる。

 また小林はここで「親も友達もないんです」と言って、津田や原、そして津田に読ませた謎の手紙の差出人を友達から除外してしまっている。

 津田はますます厭な気持になった。小林は青年に向って云った。
「おいマントでも取れ」
 青年は黙って再び立ち上った。そうして釣鐘のような長い合羽をすぽりと脱いで、それを椅子の背に投げかけた。
これは僕の友達だよ
 小林は始めて青年を津田に紹介わせた。原という姓と芸術家という名称がようやく津田の耳に入った。

(夏目漱石『明暗』)

 確かにここで原は小林の友だちだと紹介されている。このことで気が付くのは、もしも小林が津田の友達でないとしたら、津田には友達らしき相手はいなくなり、小林が朝鮮に行くのなら、やはり津田には友達はいなくなるのではないかということだ。

 平岡、安井という友達は失われた。『坊っちゃん』の「おれ」には友達はいない。『こころ』の先生や「私」には何人かの友達がいた。健三には友達がいない。須永市蔵と田川敬太郎は友達といって良かろう。圭さんと碌さん、高柳君と中野君、甲野さんと宗近君も友達だ。夏目漱石作品では『こころ』を除いて、そう多くはない友達が一方にかなりの影響を与えてきた。そして『こころ』ではやはりKが「友達は一人もいない」と嘯く。そのKこそが先生にもっとも大きな影響を与える友人である。

 そういう漱石作品の傾向から考えても外套を受け取った小林がそのまま大人しく朝鮮に渡り、作品からフェードアウトするとはちょっと考えられない。やはり殺されるかどうかは別として何か大きな事件を津田に齎すのではなかろうか。

後は壁であった

「奥さんまだいろいろ残ってますよ。あなたの知りたい事がね」
「そうですか。今日はもうそのくらいでたくさんでしょう。あんまり一度きに伺ってしまうと、これから先の楽しみがなくなりますから」
「そうですね、じゃ今日はこれで切り上げときますかな。あんまり奥さんに気を揉ませて、歇斯的里でも起されると、後でまた僕の責任だなんて、津田君に恨まれるだけだから」
 お延は後を向いた。後は壁であった。それでも茶の間に近いその見当に、彼女はお時の消息を聞こうとする努力を見せた。けれども勝手口は今まで通り静かであった。疾に帰るべきはずのお時はまだ帰って来なかった。

(夏目漱石『明暗』)

 いや、上手いな。上手すぎてもう、これを退屈という人の気が知れない。

 ここでさすがにお延は表情を変えざるを得なかったというところ。それをただ誤魔化すために顔を背けたところを「誤魔化していますよ」と指摘する漱石。この「後は壁であった」はサリンジャーばりのジョークセンスではなかろうか。そしてお延が意地を張って、話をお使いにやった時に振り向ける辺りの流れが見事。

 こうしたしぐさと会話の組み立ての妙が感じられないとそりゃ退屈になるのかもしれないけれど、「後は壁であった」とはなかなか書けない。

一度きに


 岩波はこの「一度きに」に注解をつけて、

一度きに   当て字。普通「一時に」と書く。「いっぺんに全部」の意を強調した表記か。

(『定本漱石全集第十一巻』岩波書店 2017年)

 ……とする。

浮世道中膝栗毛 1 十返舎一九 著諧文堂 1882年


霧陰伊香保湯煙 三遊亭円朝 口演||酒井昇造 速記駸々堂 1892年


邯鄲諸国物語 柳亭種彦, 笠亭仙果 著礫川出版 1892年


光雲懐古談 高村光雲 著万里閣書房 1929年

 当て字と言えば当て字なのだろうが、そもそも主要な辞書類は「一時」に「いちどき」の読みを与えていない。

いち‐じ【一時】 ①あるとき。特に、過去のあるとき。「―はどうなることかと思った」「―の勢いがない」 ②午前または午後零時より1時間後の時刻。 ③すこしの時間。しばらく。いっとき。徒然草「一日の中、―の中にも」。「―停車」「―預け」「―見合わせる」 ▷天気予報では、その現象の発現が予報期間の4分の1未満であることをいう。「曇り―雨」 ④その時かぎり。臨時。当座。「―のできごころ」 ⑤同時。「禍福が―に来る」 ⑥1回。1度。

広辞苑

いち-じ [2] 【一時】 (1)ある限られた長さの時間。(ア)しばらくの間。短時間。「出発を―見合わせる」「晴れ―曇り」(イ)過去の,ある時。「―はだめかと思った」(ウ)その時だけ。その時限り。「―の気の迷い」 (2)一回。一度。「―払い」 →一時に (3)時刻の名の一。 〔(1)(2) は副詞的にも用いる〕

大辞林

 ちなみに二つ目の意味の読みも「いちじに」。

いちじ-に [2] 【一時に】 (副)
ある時期に集中して起こるさま。短期間に事が行われるさま。「梅も桜も―開く」「疑念が―晴れた」

大辞泉

いちじ‐に【一時に】
〔副〕同時に物事が集中するさまやいっせいに同じ行為をするさまにいう。一度に。いちどきに。*平家‐四「仏法と云(いひ)王法と云、一時にまさに破滅せんとす」

日本国語大辞典

いちじに【一時に】
《副詞》多くのものが同じ時に同じ行動をするようす。また、物事が集中するようす。同時に。一度に。用例(芥川竜之介・谷崎潤一郎)

学研国語大辞典

いちじ‐に【一時に】  〘副〙 いちどきに。同時に。 「客が━押し寄せた」

明鏡

いちじに【一時に】[2] (副) 「一度に」の意の漢語的表現。

新明解

 そして何故か「いちどきに」で調べるとこうなる。

いちどき‐に【一時に】 いちじに。一度に。いっしょに。「―散る」

広辞苑

 むしろ「いちどきに」にという言葉に「一時に」という漢字が当てられたのではなかろうか。意味としては「同時に」というより、一度にということならむしろ、「一度きに」でもいいような気がする。

いちど‐に【一度に】 〔副〕 いっしょに。一時に。こぞって。「―殺到する」

広辞苑

 


[余談]

へー。




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