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芥川龍之介の『報恩記』をどう読むか② そんなことで傷つかなくてもいい

二百貫とは……

 すると甚内は云わない先に、わたしの心を読んだのでございましょう、悠々と胴巻きをほどきながら、炉の前へ金包を並べました。
「御安心なさい、六千貫の工面はつきましたから。――実はもう昨日の内に、大抵調達したのですが、まだ二百貫ほど不足でしたから、今夜はそれを持って来ました。どうかこの包みを受け取って下さい。また昨日までに集めた金は、あなた方御夫婦も知らない内に、この茶室の床下へ隠して置きました。大方今夜の盗人のやつも、その金を嗅ぎつけて来たのでしょう。」

(芥川龍之介『報恩記』)

 夏目漱石の『こころ』で、先生の手紙は長すぎてとても懐に入らないだろうと言われる。

 この二百貫も銭貫二百本だと考えると千文が二百束、つまり二十万文の銭となる。

 一文の重さが3.75グラムだとすると、阿媽港甚内の胴巻きには750,000グラム、つまり750キログラムの銭が入っていたことになる。雌の水牛かセイウチをぶら下げるようなもので、こんなものを胴巻きに入れるとなると阿媽港甚内は「きりしとほろ上人」なみの体格でなければならないだろう。


 小判は慶長六年につくられたもので桃山時代にはまだ存在しない。3.75グラムの銭五千八百貫、つまり21,750,000グラム、21,750キログラム、21.75トンの銭を床下に運んで隠すのは大変な作業だ。床下に水牛かセイウチが29頭埋められるのもなかなか気分の良いものではなかろう。掘り出すのも骨だ。

 そういう意味では阿媽港甚内は電子マネーの利用を検討すべきであったと言えよう。

何故お茶を立てさせたのだろう?

 この首はあの男ではございません。阿媽港甚内の首ではございません。この太い眉、この突き出た頬、この眉間の刀創、――何一つ甚内には似て居りません。

(芥川龍之介『報恩記』)

 そう言われて、はてと考える。
 北条屋弥三右衛門は二十年前の阿媽港甚内の顔を覚えていたのだろうかと。いや「髭さえ碌にない日本人」という程度の記憶で、その後は南蛮頭巾で顔を隠していた筈だ。

 ある凩の烈しい夜でございましたが、わたし共夫婦は御存知の囲いに、夜の更けるのも知らず話して居りました。そこへ突然はいって参ったのは、雲水の姿に南蛮頭巾をかぶった、あの阿媽港甚内でございます。

(芥川龍之介『報恩記』)

 いや、そのあとわざわざ頭巾を脱いで顔をさらしている。

 わたしは頭巾を脱ぎながら、弥三右衛門の前に坐りました。「わたしです。阿媽港甚内ですよ。」

(芥川龍之介『報恩記』)

 北条屋弥三右衛門は阿媽港甚内の顔を確認させられている。この顔が阿媽港甚内なのだと記憶させられている。だから「この首はあの男ではございません。阿媽港甚内の首ではございません」と断言できるわけだが、少し妙ではなかろうか。

驚いたのは一人だけ?


 北条屋弥三右衛門は商売人である。友達はいなくとも取引先、顔見知りは多かろう。その顔は広く知られていた筈だ。

 しかし、――わたしは突然日の光も、わたしのまわりの人だかりも、竹の上に載せた曝し首も、皆どこか遠い世界へ、流れてしまったかと思うくらい、烈しい驚きに襲われました。この首は甚内ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚内の命を助けた、その頃のわたしでございます。「弥三郎!」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫んでいたかも知れません。が、声を揚げるどころかわたしの体は瘧りを病んだように、震えているばかりでございました。

(芥川龍之介『報恩記』)

 曝し首の顔は二十年前の北条屋弥三右衛門にそっくりであった。その太い眉と突き出た頬は阿媽港甚内にも見覚えがあり、だからこそ、

 弥三右衛門は眼を閉じたまま、御祈りの言葉を呟つぶやき始めました。老女もやはり夫のように天帝の加護を乞うているようです。わたしはその間瞬きもせず、弥三右衛門の顔を見続けました。するとまた凩の渡った時、わたしの心に閃めいたのは、二十年以前の記憶です。わたしはこの記憶の中に、はっきり弥三右衛門の姿を捉えました。

(芥川龍之介『報恩記』)

 このように二十年前の記憶を取り戻すのだ。ならば曝し首を見物したものの中に、あれは北条屋弥三右衛門にそっくりではないか、もしや北条屋弥三右衛門の息子のなんとかいう、そうそう「ぽうろ」弥三郎ではないかと云うものが現れないのはどうしたことか。

 どうも北条屋弥三右衛門の話には嘘があるのではなかろうか。

 つまり阿媽港甚内が死んでおらず、曝し首の正体が「ぽうろ」弥三郎でないとしたら?

 むしろ阿媽港甚内こそが死に、「ぽうろ」弥三郎は生きているとしたら?

 ここから先に無理に話を拵えることはしない。しかしこんなところに気が付かない人には芥川龍之介の作品を「読む」ことなど永遠に不可能だろう。教授でも博士でも、こんなところに気が付いていなければそもそも芥川龍之介の作品に関して何かを書く資格そのものがない。

 三人の話は一致し、事実は揺らがないという読みは、やはりあまりにも、あまりにも、あまりにも稚拙に過ぎるのではないか。

 例えば「殺生関白」などという四文字でさえ、いわゆる「歴史小説」の枠組みではどうしても捉えきれないものだ。芥川の切支丹ものはそうした「殺生関白」と言った如何わしい言葉を丸呑みにしてダイナミックに構成されている。小説の背後に事実のあるなしはどうでもよいとする私小説観がなければ「殺生関白」とは書けないだろう。
 このいかがわしさを無視したところに芥川の真の姿はない。



[余談]

 おいおいおい。

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