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ビラをまくだけだ 三島由紀夫の『憂国』をどう読むか①

 三島由紀夫について語るとき、どうしても避けては通れない作品として『憂国』があると私は考えている。勿論どの作品もそれぞれに捨てがたいのではあるが、作品のサイズ、面白さ、どれをとっても決して三島由紀夫の最高傑作とはみなし難いこの作品にこそ、三島由紀夫における「天皇の不在」というものが実によくあらわされてると感じられるからだ。

 武山信二中尉とその妻麗子は美男美女であった。四谷青葉町の新居で日々厳粛に真面目に激しく交情していた。

 これらのことはすべて道徳的であり、教育勅語の「夫婦相和シ」の訓へにも叶つてゐた。

(三島由紀夫『憂国』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 この念押しがユーモアなのか何なのか、人によって受け止めは様々であろう。新婚夫婦が日々情交すること。それは直視しない限り至極当然のことであろうし、他人がとやかく言う話でもないどころか喜ばしことである。

 しかし三島由紀夫はまず結婚から半年も経たずに自刃した武山信二中尉とその妻麗子の報告を冒頭に置き、二章目で情交を持ち出してきたわけである。この情交とはいわゆる三島用語における「セックスなんて、ただのセックスだ」と言われるただのセックスである。

 それが明治天皇の教育勅語に則ったものであるかどうかは別として、夫婦というものはそういうことを長年続けてきたわけで、「夫婦相和シ」がすなわち情交を指すとはとても思えないのだが、ここは敢えて教育勅語を持ち出して、明治天皇の命令というものが意識されたところである。

 階下の神棚には皇太神宮の御札と共に、天皇皇后両陛下の御真影が飾られ、朝毎に、出勤前の中尉は妻と共に、神棚の下で深く頭を垂れた。捧げる水は毎朝汲み直され、榊はいつもつややかに新しかつた。この世はすべて厳粛な神威に守られ、しかもすみずみまでも身を慄へるやうな快楽に溢れてゐた。

(三島由紀夫『憂国』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 皇大神宮(こうたいじんぐう)は天照大神を祭る神宮である。三島は「皇太」と書いてるが「皇大」が正しいようである。しかし一冊の本の中で二つの表記が混在することもあり、「皇太」の表記の使用例も五千以上あることからどちらかが間違いとは言えないだろう

大神宮叢書 第5 後篇

 御真影とは恐らく見出し画像のような「絵」である。先代もなぜか絵であり、しかも昭和天皇に関してはいくつもある顔の内どれにも似ていないものである。

御大礼写真帖

 三島由紀夫は戦後、天皇陛下の顔というものをじっくり見たに違ない。それは御真影を拝していた者にとってこそ奇異であり、滑稽な顔であったことが想像に難くない。しかし三島由紀夫がことさらに「天皇の」というものを意味ありげに論じた記憶はないので、ここで御真影が絵であることにことさらフォーカスする必要はないだろう。

 ただわざわざ二階における激しい情交を説明した後で、階下に御真影を置いてみることは、三島由紀夫にしては珍しくやはりぎりぎりのユーモアのようなものが隠れているようにも受け止められなくもないところである。

 結末から語り始めるストーリーテリングに何か個別の用語があっただろうか。いずれにせよこの夫婦は死んでしまうわけである。自死が全てを精算するなら、自死が冒頭にあるこの物語構造の中ではあらかじめ起こりうる全てのふるまいは許されていることになる。そうであれば若い夫婦が御真影の上で激しく情交しても何の問題もないわけである。

 ただ半年たたずに死んでしまうと考えると、情交の第二の目的とされてる生殖が果たせないのだ、というなんとも切ない事実に既に行き当たってしまう。生物としての本能は情交で充たされるかもしれないが、種を継続する仕組みを監視する管理人のようなものがどこかにいたとしたら、ため息くらいは漏らすかもしれない。

 三章で事件が起こる。二・二六事件だ。二日間家を空けて戻ってきた中尉は「あいつ等俺を誘わなかつた」と飲み会をハブられたようなことを言い出す。新婚の身をいたわったのだろうと。その理由だけを見るとまさに飲み会のような話だ。国を憂えての蹶起に新婚も何もなかろうと思うが、これもまた御真影と情交を衝突させたような、二・二六事件と新婚の衝突という、三島由紀夫らしいシンメトリーとなった。
 明日にも勅命が下り、仲間を討たねばならないと考えた中尉はこんなことを言い出す。

「俺は今夜腹を切る」 

(三島由紀夫『憂国』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 三島に戯画化の意図はないだろうが、いささか展開が早い。さしたる葛藤がない。いや、さしたるどころか、葛藤がない。しかしこういう事態になることを予測していた気配もない。つまり中尉には、仲間たちが抱えていた国を憂える問題意識も苦悩もなく、ただ麗子と情交していたわけだ。これではハブられても仕方がない。

 二・二六事件の青年将校たちの問題意識が軍全体にどの程度共有されていたものなのかということは良く解らない。個人個人で考え方は異なるであろうし、軍全体がそちら側ということもなかろうが、事は五・一五事件の後に起きている訳である。馬鹿でなければ皇道派と統制派の対立くらいは見えていただろう。そして実際中尉は皇道派に引き入れようとさえされていなかった、あるいは誰にも真面に相手にしてもらえていなかったということなのだろうか。

 そうなるとこの「俺は今夜腹を切る」という覚悟が何か唐突に感じられてしまう。
 そして第二章のこんな書き方が妙に悪戯めいて思い返されるのだ。

 二人とも実に健康な若い肉体を持つてゐたから、その情交ははげしく、夜ばかりか、演習のかへりの埃だらけの軍服を脱ぐ間ももどかしく、帰宅するなり中尉は新妻をその場に押し倒すことも一再ではなかつた。

(三島由紀夫『憂国』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 昼間、中尉は訓練の小休止のあひだにも妻を想ひ、麗子はひねもす良人の面影を追つてゐた。

(三島由紀夫『憂国』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 それでは誰からも誘われんわと、改めて確認できる。全然国を憂えていない。ところが麗子もこんなことを言い出す。

「覚悟はしてをりました。お供をさせていただきたうございます」

(三島由紀夫『憂国』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 三島由紀夫の『憂国』は映画化された。三島由紀夫自身の機械的な演技によってごく真面目な短編映画として広く知られている。

 そこでこんなことが当たり前で武士道なのだと宣伝されてきてしまったようなところがあるかもしれない。しかしそもそも旦那が死ぬから女房が死ななくてはならないなどというルールはどこにもない。あるかないかでいえばない。ただしすでに乃木静子の死が良妻賢母の鏡として宣伝されてきた事実がある。森鴎外の熱心な読者であった筈の三島由紀夫は、森鴎外が作品に込めた意図を完全に無視したまま、恐らくは素朴に誤解して、夫の死に付き合ってしまう女房というものを再び作り出そうとしている。

 実際これは不思議というよりなのだが、三島由紀夫ほどの書き手でさえ、読み手としてはこのレベルなのだ。乃木静子の死はおかしいと、それだけのことに絶対に気がつかない。あるいは三島は少しは乃木静子のことを思ってみたのかもしれないではないか。なのに絶対に気がつかない。

 不思議である。

 しかも相当に二・二六事件について調べたはずの三島由紀夫は、切腹が大げさだということにも気がついていない。

 ……と思えばどうもこの時点では三島由紀夫は事件の詳細に関しては調べ尽くしていないことが解る。中尉が自宅に戻るのが二十八日の日暮れ時。中尉は明日にも討伐の勅令が出るかもしれんと暢気なことを言っているが、実際は、自宅が危ないからといった言わけでもしないと、とても自宅に戻れるような状況ではなかったはずだ。

 つまり三島由紀夫は五・一五事件のこともこの時点では調べておらず、事件後首謀者たちのために多くの嘆願書が寄せられ刑期が減刑されたために、二・二六事件事件の首謀者たちも刑を軽く見ていたことを知らなかったようだ。あるいはその程度にしらばっくれて、無理にも切腹する男を創り出そうとしている。

 実際に二・二六事件事件の首謀者たちは五・一五事件の首謀者たちよりかなり厳しく罰せられているので、その結果からすると鎮圧を拒否し、勅令に逆らうことを切腹でもって償うという発想は頓珍漢とは言えないまでも、討伐命令後もやったことは包囲と説得のビラまきなので、武山中尉の覚悟は恐ろしく飛躍したものなのである。

 中尉はだから、自分の肉の欲望と憂国の至情のあひだに、何らの矛盾や撞着を見ないばかりか、むしろそれを一つのものとさへ考へることさへできた。

(三島由紀夫『憂国』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 仲間を想い討伐軍に加われないこと、それは憂国の至情ではない。勅令
に背くからには死を以って償わなければならないと考えること、それも憂国の至情ではない。この頓珍漢なタイトルがどう収まりがつくのか、まだ誰も知らない。何故ならここまでしか読んでいないからだ。

[附記]

 マラプロピズム、言葉の滑稽な誤用。まず思うのはそんなところである。陽否陰述、語らないことによって語ることではないかとも思えなくもない。理不尽な死がもたらされようとしていること自体はまちがない。しかしこれが天皇批判たりうるかと言えば、うーん。である。ここまででは単に「ビラをまかなかった男の死」という少しピントのずれた想像しかできない。


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