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うかうかと野末にかかる朧かな 夏目漱石の俳句をどう読むか115

 やっと明治二十九年に入る。

時鳥馬追ひ込むや梺川

 解説に「梺川は麓を流れる川。時鳥が鳴きたてて馬をその川に追い込んだという句意」と珍しく句意のシンプルな説明がある。その程度でいいから遠慮しないで全句に説明をつけてもらいたいものだ。
 句意の説明のない場合、どうも解っていないなと勘ぐってしまいたくなる。

 さて解説のとおりであれば、随分と勇ましい時鳥がいたものである。

落武者の行衞隔つる梺川


芭蕉翁全集

梺川一度も越えずかんこ鳥

日本俳書大系 第14巻(一茶時代第3) (近世俳話句集)

ほとゝきすなきいつる山のふもと川

増補和歌題林抄 11巻 [3] 一条兼良 編||北村季吟 増補北村四郎兵衛[ほか1名] 1777年

 これもしかして麓川征伐、麓川之役にちなんでいないか。従軍記事を書いた子規が揶揄われていて、馬を追い込むようだと言われているのでは……。

東洋史統 巻3

 気のせいか。

暁の夢かとぞ思ふ朧かな

 この句は、

朧ゆへに行衞も知らぬ恋をする


漱石俳句集

 この句にちなんでいないかなあと思ったのだけれど、この句ある?

朧故に行衞も知らぬ恋をする


漱石全集 第10巻 (初期の文章及詩歌俳句)


郭公なくや五月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな

 みたいな語感の句だな。

花の影、女の影の朧かな

 これは『草枕』だから結びつけるのはまだ早いとして、

暁の夢かとぞ思ふ朧かな

朧故に行衞も知らぬ恋をする

 この句は繋がらないかな。

 この年に漱石は熊本五高に転向して結婚するんだよね。

 そろそろ大塚楠緒子のことは忘れて新しい恋を見つけてもいいんじゃないのと思わなくもないところ。

うかうかと我門過る月夜かな

 うーん。解らないぞ。解説にも説明がない。

 一体何が「我門過る」なのか?

 月?

 月の軌道はそんなに低くはないだろうし、門より低ければそもそも見えない。月だと「我門過る」という画にはならないんじゃないかな。

雲居にて相諮らはぬ月だにもわが宿過ぎて行く時はなし


古今和歌のうひまなびゆ

 考えられるのはやはり誰か、人だ。

 これが狸なら月夜は捨てて

うかうかと我門過る狸かな

 とするであろうし、

 自分?

 そうか、自分か。

 そう読むと、

暁の夢かとぞ思ふ朧かな

 この句と合わせて相当ぼんやりしているぞ。まさか自分の家の門をうかうかと通り過ぎないだろう。これは「うかうか」という題に合わせて詠んだ句として、やはり相当なぼんやりというものを詠んだと鑑賞しておこう。

夕立の野末にかゝる入日かな

 この句も特に解説は説明というものがない。

涼しさよ夕立ながら入日影 去来

発句類題全集 1-65 [19]

 これは漱石が去来を好きなのかたまたま似たのか。

 しかし「野末にかゝる入日」って松山は大平原か?

 山はないのか?

 普通山にかかるやろ。いや根岸庵で詠んだからいいのか。という問題でもないな。「野末にかゝる入日」なんてメキシコとかでないと無理な気がする。

 そんなことを思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

[余談]

 例の黒いベレー帽の男、第一巻で死んだ黒い犬という説があるけれど、それなら明治天皇でもいいことになる。
 これはつまり誰かが誰かまたは何かの生まれ変わりであるなどと考えることの全否定で、黒いベレー帽の男は一回きりの自分自身の人生をろくでもない生き方をしてきたただの老人、と捉えてもいいような気がしてきた。

 自分自身前世なんて考えないものな。この人生は悔いだらけだけどまあしかたないかとそう思う。やれることをやって死ぬしかない。
 子規の書き写しを見るたびにそう思う。
 相当に頑張ったなと。

 売れるか売れないかの他人軸で生きてないもの。そうありたいものだね。












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