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雪の日や取次に出ぬ塩煎餅 夏目漱石の俳句をどう読むか98
雪の日や火燵をすべる土佐日記
これは見たままの句で居眠りをして土佐日記が火燵布団の上に落ちて滑った?
雪の日や松山で読む土佐日記
紀貫之の『土佐日記』は『土佐日記』と言っても土佐から大阪を経て京に戻る話なので、なんとなく里心がついていたのかもしれませんね。
応々と取次に出ぬ火燵哉
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応々と人をすかせるやなぎかな
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応々といへどたたくや雪の門
いずれも向井去来の句だと思うが、何故か丈草の句だとしている本もある。
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去来の8・4・5のリズムに対して漱石の句は5・7・5のリズムになっている。
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この「応々」は返事だけではなく泣き声のオノマトペにもなるようだ。
さて漱石の句は火燵に当たっていて誰か来たのに返事だけしておいてなかなか取次に出ない億劫な人を詠んでいるようだ。子規の評点「〇」。人を駄目にするのは百年前から変わらない火燵の本質のようだ。
埋火や南京茶碗塩煎餅
掘りごたつなのか。火鉢なのか。ともかく埋火で暖を取りながら、南京茶碗でお茶を飲み塩煎餅を食べるという、これまたなかなか抜け出せない手ごわい事態だ。
しかしここには「蜜柑の不在」という重大な問題がある。
埋火に鼠の糞の落ちにけり
鼠が糞をするところを見ていたのか?
これは漱石が鼠の糞を摘まみ上げて、なんだろうといじくっているうちに埋火に落ちたという句ではなかろうか。
なんだか汚い。
暁の埋火消ゆる寒さ哉
どうでもいいけど、日本語ワープロって、絶対古文変換せえへんな。ま、古文云うても「消ゆる」やで。絶対変換せえへん。
意地でも。
何に意地張ってんねん。
この句は暁に埋火が消えてしまって寒いなあ、という意味か。まあ、鼠の糞の燃えただけは余計に温まったんちゃう、という感じがしなくもない。
それでも寒くて暁に目が覚めたか。ならもっと大きな糞を……。
[余談]
電波時計がきっちり一時間進んでいて焦った。太陽フレアの所為か。
地球終わるんか。
もうちょっと待ったって。
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