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絹帽子とればかむろの久米三汀 芥川龍之介の俳句をどう読むか66

白じらと菊を映すや絹帽子

 この句には「久米三汀新婚」という言葉が添えられている。久米正雄の結婚に合わせて詠まれた句、送られた句と受け止めても良かろうか。

みつみつし久米はしなしな夏蝉の紗の羽織着てゆきにけるかも

  こんな風に揶揄われていた久米があれこれあった後だから白じらしいのであろうか。

鉄斎 : 随筆 其他 下島勲 著興文社 1940年

 よく見ると下島勲は「絹帽子」と「絹障子」と間違えて引用している。そして性に響くと書いてゐる。寝室に菊が飾られている景色でも思い浮かべての事であろうか。

 さて句に詠まれた「絹帽子」がいわゆるシルクハットかどうかは定かではない。シルクハットに燕尾服は久米、芥川の両氏に似合わない。特に鉢の広い芥川には似合わない。

 白菊と云えば葬式のイメージが強いので結婚式のイメージはなかったが、調べてみると結婚式のブーケにも使われるようで、そこには悪戯はないのかもしれない。

先生没後一年とは早すぎる位早い

人去って空しき菊や白き咲く

[大正六年十一月二十三日 松岡譲宛]

たそがるる菊の白さや遠き人
白菊や匂にもある影日なた

            
                              椒図道人

[大正六年十一月二十五日 池崎忠孝宛]

僕の辞世の句は

見かへるや麓の村は菊日和

と云ふのだが今はもうピンピンして原稿を書いてゐる

[大正七年十一月二十四日 松岡譲宛]

 天心のうす雲菊の気や凝りし

[大正八年十月十日 佐佐木茂索宛]


白菊は暮秋の雨に腐りけり

[大正八年十月十二日 滝井孝作宛]




 芥川にとってやはり菊は死のイメージで、……いや『舞踏会』があるからそうも言いきれないか。

「あの時はお前も簪だの櫛だの買って貰ったじゃないか?」
「ええ、買って貰いました。買って貰っちゃいけないんですか?」
 姉は頭へ手をやったと思うと、白い菊の花簪をいきなり畳の上へ抛り出した。
「何だ、こんな簪ぐらい。」
 父もさすがに苦い顔をした。
「莫迦な事をするな。」
「どうせ私は莫迦ですよ。慎ちゃんのような利口じゃありません。私のお母さんは莫迦だったんですから、――」
 慎太郎は蒼い顔をしたまま、このいさかいを眺めていた。が、姉がこう泣き声を張り上げると、彼は黙って畳の上の花簪を掴むが早いか、びりびりその花びらをむしり始めた。
「何をするのよ。慎ちゃん。」
 姉はほとんど気違いのように、彼の手もとへむしゃぶりついた。
「こんな簪なんぞ入らないって云ったじゃないか? 入らなけりゃどうしたってかまわないじゃないか? 何だい、女の癖に、――喧嘩ならいつでも向って来い。――」
 いつか泣いていた慎太郎は、菊の花びらが皆なくなるまで、剛情に姉と一本の花簪を奪い合った。しかし頭のどこかには、実母のない姉の心もちが不思議なくらい鮮やかに映うつっているような気がしながら。――

(芥川龍之介『お律と子等と』)

 うん。どうもよいイメージはない。

 正面の高い所にあった曲彔は、いつの間にか一つになって、それへ向こうをむいた宗演老師が腰をかけている。その両側にはいろいろな楽器を持った坊さんが、一列にずっと並んでいる。奥の方には、柩があるのであろう。夏目金之助之柩と書いた幡はたが、下のほうだけ見えている。うす暗いのと香の煙とで、そのほかは何があるのだかはっきりしない。ただ花輪の菊が、その中でうずたかく、白いものを重ねている。――式はもう誦経がはじまっていた。

(芥川龍之介『葬儀記』)

 どうも、このイメージだ。

 そしてあえて言えば久米正雄の結婚式が十一月なので、菊では少し時期が早い感じがしないではない。

時事新報社客員となり、同十二年奥野艷子と結婚し、更に東京放送局顧問をも兼ね


日本文学大辞典 1 藤村作 編新潮社 1935年

 このようにあることから、かなり偉くなってからの結婚である。シルクハットが花嫁のブーケを映すと読めばいささか雅ではあるが、そこに久米正雄の顔を当て嵌めると滑稽である。

 

 しかし久米正雄というのは本当にいい顔をしている。

 こんな顔になりたいものだ。

 その人柄はここに現れている。

琴箱や古物店の背戶の菊

     岱水亭にて

    影待や菊の香のする豆腐串

    咲きみだす山路の菊を燈籠哉

     田家にやどりて

    稻こきの姥も目出たし菊の花

     堅田何がし木旣醫師の兄の亭に招かれしにみづから茶を立て酒をもてなされける野菜八珍の中菊鱠いと芳しければ

    蝶も來て酢を吸ふ菊の鱠哉

     園女亭にて

    白菊の目に立てゝ見る塵もなし

     八丁堀にて

    菊の花咲くや石屋の石の間

     堅田禪瑞寺にて

    朝茶のむ僧靜かなり菊のはな

    山束の五荷三束や菊の花

     蓮池の主翁また菊を愛すきのふは龍山の宴を開きけふは其酒の餘れるをすゝめて狂吟たはぶれとなす猶思ふ明年誰かすこやかならんことを

    十六夜のいづれか今朝に殘る菊

    秋を經て蝶もなめるや菊の露

     生玉邊より日を暮らして

    菊に出て奈良と難波は宵月夜

    菊の香や奈良には古き佛達

    菊の香や奈良は幾世の男振

    菊の露落ちて拾へばぬかごかな

     闇峠にて

    菊の香にくらがり上る節句哉

     左柳亭にて

    早く咲け九日も近し宿の菊

     如行亭

    瘦せながらわりなき菊の莟哉

    折ふしは酢になる菊のさかな哉

     草庵の雨

    起上がる菊ほのか也水のあと

     山中溫泉

    山中や菊は手折らぬ湯の匂ひ

     木因亭

    かくれ家や月と菊とに田三反

 芭蕉の菊は仄かで出しゃばらない。シルクハツト映る菊も仄かで出しゃばらない。
 芥川龍之介のようなあくの強い男にいつまでも可愛がられる程度に出しゃばらない男、久米正雄のシルクハットに映る菊のブーケを抱える花嫁はいかにつつましく、この夏目漱石の娘婿になり損ねた男を言祝いでいたことであろうか。


【余談】

 今回は中身のない記事になったので序に我鬼先生の前半の句を見てみよう。

秋立つ日うろ歯に銀をうづめけり

献上の刀試すや今朝の秋

昼顏や甘蔗畑の汐曇り

葡萄噛んで秋風の歌を作らばや

閃かす鳥一羽砂丘海は秋なれど

海遠く霞を餐(とら)せ小島人

徐福去つて幾世ぞひるを霞む海

青蛙のあとをとどめよ高麗の霜

ひとはかりうく香煎や白湯の秋

若葉に掘る石油井戸なり

若葉明きぬれ手の石鹼の匂

異国人なれど日本をめづる柘榴

花柘榴はらしやめんの家の目じるし

花曇り捨てて悔なき古恋や

かはたるる靴の白さやほととぎす

明易き夜をまもりけり水脈(みを)光り

蚊帳釣つて吹かばや秋の一節切(ひとよぎり)

朝焼くる近江の空やほととぎす

麦刈りし人のつかれや昼の月

蛇女みごもる雨や合歓の花

天に日傘地に砂文字の異艸奇花

蝙蝠やゆすりそこねて二朱一つ

論して白牡丹を以て貢せよ

あの牡丹の紋つけたのが柏莚ぢや

牡丹切つて阿嬌の罪をゆるされし
     
魚の目を箸でつつくや冴え返る

後でや高尾太夫も冴え返る

二階より簪落として冴え返る    

春寒やお関所破り女なる

新道は石ころばかり春寒き     

人相書きに曰蝙蝠の入墨あり     

銀漢の瀬音聞ゆる夜もあらむ

みかへればわが身の綺羅も冷ややかに

革の香や舶載の書に秋晴るる

天の川見つつ夜積みや種茄子

木枯らしやどちへ吹かうと御意次第

湘南の梅花我詩を待つを如何せむ

初袷なくて寂しき帰省かな

爪とらむその鋏かせ宵の春

ひきとむる素袍の袖や春の夜

燈台の油ぬるむや夜半の春

葛を練る箸のあがきや宵の春

春の夜の人参湯や吹いて飲む

片恋や夕冷え冷えと竹夫人

青奴わが楊州の夢を知るや否

雪の山に青きは何を焼く煙

早稲刈つて田の面暗さや鳴く雀

灰墨のきしみ村黌(そんくわう)の返り花

春寒く鶴を夢見て産みにけむ

敲詩了(かうしをへ)芭蕉に雨を聴く夜あらむ

一本の牡丹に暗し月の蝕

蟻地獄隠して牡丹花赤き

眼を病んで孔雀幾日やつくる春
遅桜極楽水と申しけり

鴨東の妓がTAXI駆る花の山

熱を病んで桜明かりに震えゐる

冷眼に梨花見て轎(かご)を急がせし

傾城の蹠白き絵踏みかな

夕しぶき舟虫濡れて冴え返る

罪深き女よな菖蒲湯や出でし

鎌倉は谷々(やつやつ)月夜竹の秋

昼の月霍乱人の目ざしやな

ほし店や名所饅頭黄金飴

大町に穂蓼の上に雲の峰

日笠人が見る砂文字の異花禽禽

浅草の雨夜朱莉雁の棹

雁啼くや廓裏畠栗熟れて

雁の棹傾く空や昼花火

藩札の藍の手ずれや雁の秋

米一揆がんがら雁の雲の下

新小判青くも錆びぬ月の秋

明眸は君に如くなし月の萩

ふるさとを思ふ病に暑き秋

松風や紅提灯秋どなり

黒き熟るる実に露霜やだまり鳥

桃の花青雀今日も水に来ぬ

菊の酒酌むや白衣は王摩詰(わうまきつ)

笹鳴くや雪駄は小島政二郎

原稿はまだかまだかと笹鳴くや

凩や大葬ひの町を練る

むだ話火事の半鐘に消されけり

瓦色黄昏岩蓮華ところどころ

日曜に遊びにござれ梅の花

世の中は箱に入れたり傀儡師

朝夕や薫風を待つ楼の角

青蛙おのれもペンキぬり立てか

蝋梅や枝疎らなる時雨空

怪しさや夕まぐれ来る菊人形

胸中の凩咳となりにけり

帰りなんいざ草の庵は春の風

春日既に幾日ぬらせし庭の松

病間やいつか春日も庭の松

時雨んとす椎の葉暗く朝焼けて

春に入る竹山ならん微茫たる

夜桜や新内待てば散りかゝる

遠火事の覚束なさや花曇り

白木蓮(はくれん)に声を呑んだる雀かな

引き鶴や我鬼先生の眼ン寒し

大浦に日本の聖母の寺あり

白壁や芭蕉玉巻く南京寺

酒前茶後秋立つ竹を描きけり

我鬼窟の実梅落つべき小雨かな

粉壁や芭蕉玉巻く南京寺

この頃や戯作三昧花曇り

酔ひ足らぬ南京酒や尽くる

荷蘭陀の茶碗行く春の苦名かな

鵠(くぐい)は白く鴉は黒き涼しさよ

花薊おのれも我鬼に似たるよな

眼底にうごめくものや白絽蟵(しろろちゆう)

黒ばえやたそがるゝ矢帆赤かりし

山の月冴えて落葉の匂かな

榾焚けば榾に木の葉や山暮るる

宵闇や殺せども来る灯取虫

時鳥山桑摘めば朝焼くる

青蛙おのれもペンキぬりたてか(この句天下有名なり俗人の為に註する事然り)

秋暑く竹の脂をしぼりけり

松風や紅提灯も秋隣(この句谷崎潤一郎が鵠沼の幽楼を詠ずる句なり勿体をつける為註する事然り)

春の夜や蘇小にとらす耳の垢(美人の我に侍する際作れる句なり羨しがらせる為註する事然り)

朝寒やねればがさつく藁布団

病室の膳朝寒し生玉子

勲章の重さ老軀の初明り

暖かや蕊に蝋塗る造り花

この匀藪木の花か春の月

時鳥山桑摘めば朝焼くる

赤百合の蕊黒む暑さ極まりぬ

秋風や水干し足らぬ木綿糸

夏山や空はむら立つ嵐雲

山の月冴えて落葉の匀かな

黄昏るゝ榾に木の葉や榾焚けば

凩にひろげて白し小風呂敷

秋風や黒子に生えし毛一根(コン)

秋風にゆらぐや蓮の花一つ

天心のうす雲菊の気や凝りし

埋火の仄かに赤しわが心

紅ふくや乱れゆゝしき川の蘆

夕焼や霧這ひわたる藺田(ゐた)の水

べたべたと牡丹散り居り土の艶

何の肉赤き廚ぞ軒の雪

時雨るゝや軒に日残る干し大根

白菊は暮秋の雨に腐りけり

     恋
埋火の仄かに赤しわが心

紅ふくや江の蘆五尺乱れたる

凩や目ざしに残る海の色

祝砲やお降りあればどろどろと

時雨るゝや屢〃暗き十二階

山の月冴えて落葉の匀かな

竹林や夜寒の路の右左

天暗し一本杉や凍てゝ鳴る

門内の敷石長き寒さかな

松風や人は月下に松露を掘る

江の空や拳程なる夏の山

夏山や幾重かさなる夕明り

稲むらの上や夜寒の星垂るる

竹河岸の竹ひゞらぐや夕凍てて

枯藪に風あり炭火起す家

曇天や蝮生きゐる壜の中

風落ちて枯藪高し冬日影

人絶えし昼や土橋の草枯るゝ

雲遅し枯木の宿の照り曇り

龍胆や風落ち来る空深し

冬空や高きに払(ハタ)きかくる音

夏山や峯も空なる夕明り

惣嫁指の白きも葱に似たりけり

人絶えし昼や土橋の草枯るゝ

水蘆や虹打ち透かす五六尺

牛込に春陽堂や暑き冬

藤咲くやもううらうらと奈良の町

鯨裂く包丁の光寒き見よ

抜き残す赤蕪いくつ夜寒哉

石渡る鶴危さや春の水

恐るべき屁か独り行く春夜這ひ

速達の恋一蘇活春風裡

三月や大竹原の風曇り

川上や桃煙り居る草の村

曇天の水動かずよ芹の中

古草にうす日たゆたふ土筆かな

吹かるゝや塚の上なるつぼ菫

星赤し人無き路の麻の丈ケ

星赤し人無き路の麻の丈



※出来としてはさほどではないがやはり恋の句が興味深い。この中で一番の秀句は

笹鳴くや雪駄は小島政二郎

 であろう。

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