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二季草老いて軒端の苔の青 芥川龍之介の俳句をどう読むか48

藤の花軒ばの苔の老いにけり

 「の」の字多き句である。この句はそう多くない芥川の句のいくつかと共通する語彙で構成されている。

夕垢離や濡れ石に藤の花垂るる

藤の花雫とめたるたまゆらや

午もはやするめ焼かせよ藤の花

鶯やに干したる蒸がれひ

先に和布干したる春日かな

さきのこるばの花や茶のけむり

来て見ればはふ薔薇に青嵐

雁啼くやに干したる薄荷草

雨に暮るる端の糸瓜ありやなし

木石のばに迫る夜寒かな

時雨るるやに日残る干し大根

小春日を夕鳥なかぬばかな

あけぼのやばの山を初時雨

夏の日や薄つける木木の枝

じめる百日紅や秋どなり

秋さめや水つける木木の枝

庭石に残れるも小春かな

夕波や牡蠣に老いたる船の腹

骨をばさと包むや革羽織

 これを藤の花の句と見るか苔の句と見るのかは難しいところ。藤の花というものは恐ろしくあでやかで雅なものなので、蛇笏は敢えて蜆汁という俗なものと取りあわせてみたりした。


明治俳諧五万句

 芭蕉も、

草臥れて宿借る頃や藤の花

留守に來て棚探しする藤の花

藤の實は俳諧にせん花の後

 と、かなり惚けている。

春早しまだ芽もふかぬ藤の棚

行く春や日記を結ぶ藤の歌

紫の藤の細工や蜆殻

田螺売る野茶屋に藤の花早き

 と、子規はすかすかと思えば、

風にゆられ水にゆられて藤の花
蝶蝶のはいる透なし藤の花
藤の芽は花さきさうになかりけり
まだ風のたけも短し藤の花
水まではとどかぬ風や藤の花
あはれさは牛仰むかす藤の花
風吹て逃るやうなり藤の花
かんざしの蝶ちらつくや藤の花
去年より一尺長し藤の花
束髪の余り背高し藤の花
反橋や藤紫に鯉赤し
誰やらの紋に結ばん藤の花
永き日やそのしだり尾の下り藤
何色に振袖そめん藤の花
行く春や苣に届きし藤の花
我笠に藤振りかゝる山路哉
明寺に藤の花咲く枯木哉
今日はまた西へ吹かれつ藤の花
吹かれてはもつれてとけて藤の花
藤咲きぬ松に一夜を寝て見やう
古寺に藤の花さく枯木哉
まつの藤しきりに露をこほしけり
深山路や松の闇より藤の花
落ちかゝる石を抱えて藤の花
落ちかゝる岩を抱えて藤の花
掛茶屋や頭にさはる藤の花
木の末をたわめて藤の下りけり
刺繍に倦んで女あくびす藤の花
藤咲いて眼やみ籠るや薬師堂
藤さがるあちらこちらの梢かな
松の木に藤さがる画や百人首
持ちそふる狩衣の袖に藤の花
物好に藤咲かせけり庭の松
山藤や短き房の花ざかり
今日も伸び伸びけり藤の花
藤棚や池をめぐりて屈曲す
大津画に似た塗笠や藤の花
手に提げし藤土につくうれしさよ
橋際に藤棚のある茶店哉
藤棚のある料理屋や町はづれ
絵を習ふ絵師か娘や藤の花
御慶事を祝ふや藤の造り花
御婚儀を祝ふや藤の作り花
反橋や池を巡りて藤の棚
藤棚に赤提灯をつるしけり
藤棚に提灯つりし茶店哉
藤の花長うして雨ふらんとす
藤を見に行きしきのふの疲れ哉
藤活けて酒をさしたるきほひかな
念仏に季はなけれとも藤の花

 親の仇のように藤の花の句を詠んでいる。蕪村は、

蕪村名句集 谷口蕪村 [著]||俳句研究会 編精文館書店 1922年

藤の花あやしき夫婦休みけり

 これは惚けている。

山もとに米ふむ音や藤の花

うつむけに春うちあけて藤の花

月に遠くおぼゆる藤の色香哉

人なき日藤に培ふ法師哉

法然の珠数もかゝるや松の藤

 やはり惚けているか。

 芥川の、

午もはやするめ焼かせよ藤の花

 は、やはり雅と俗の取り合わせであろう。

 明治句の多くは藤の花を季題に詠めば多くは藤の花が主役である。

下駄でする大原越や藤の花     虚子

 これなどもフォーカスは道行に合わされていながら手前の藤の花がさえる絵ではなかろうか。あるいは逆に道行の奥に藤の花があってもいい。いかにも雅で藤の花が離れていない。

明治俳諧五万句

長くなりて女寐にけり藤の花   青々

 この句も寝そべる女と関係なさそうな藤の花が自然に絵の中に入ってきてなんということはなしに雅である。

藤咲て夕に白き豆腐かな

 これも関係なさそうで白と藤色で何とか絵になっている。俳号は潰れて詠めない。

 ところで芥川の句は

藤の花軒ばの苔の老いにけり

 まず「苔の老い」というのがよく分からず、モスグリーンが白茶けたのかと思えど、藤の花との色の取り合わせは優れない。

 しかもこれは例の季語殺しの理論で読むことはできないのだ。

 つまりこの句は「苔の季節は過ぎてしまった。もう藤の花が咲き誇る時期だなあ」という句かと思えばそんなわけはなくて、藤の花の盛りは四月から五月で晩秋、苔の盛りは梅雨時で夏の季語、「苔の老い」の季節にはもう藤の花はないのだ。藤の花が老いて苔が盛りになるべきところを、我鬼は逆に詠んで時空を歪めているのだ。

 この句を読んで「ふーん」でもなく、「いい句だ」と感心している人がいたら、一体どんな理屈で感心出来るのか教えて欲しい。

 もう少し具体的に示すと

初夏過ぎて春来にけらし藤の花

 ということなのだ。

 近所で蝶がたくさん飛んでいた。春と勘違いしたのか、なんなのか……。そういうことはある。しかし、

藤の花軒ばの苔の老いにけり

 これはないやろ、と言いいたくなる。

 しかしこの句には仕掛けがあり、

再び鎌倉平野屋に宿る

 という言葉が添えられている。つまり芥川が詠んだのは、

 大正十二年八月、僕は一游亭と鎌倉へ行き、平野屋別荘の客となつた。僕等の座敷の軒先はずつと藤棚になつてゐる。その又藤棚の葉の間にはちらほら紫の花が見えた。八月の藤の花は年代記ものである。そればかりではない。後架の窓から裏庭を見ると、八重の山吹も花をつけてゐる。

  山吹を指さすや日向の撞木杖    一游亭

   (註に曰く、一游亭は撞木杖をついてゐる。)

 その上又珍らしいことは小町園の庭の池に菖蒲も蓮と咲き競つてゐる。
  葉を枯れて蓮と咲ける花あやめ  一游亭

 藤、山吹、菖蒲と数へてくると、どうもこれは唯事ではない。「自然」に発狂の気味のあるのは疑ひ難い事実である。僕は爾来人の顔さへ見れば、「天変地異が起りさうだ」と云つた。しかし誰も真に受けない。久米正雄の如きはにやにやしながら、「菊池寛が弱気になつてね」などと大いに僕を嘲弄したものである。

(芥川龍之介『大正十二年九月一日の大震に際して』)

 この季節外れの藤の花、八月も後半の藤の花なのである。

藤の花散って軒端に苔むすや

藤枯れて軒端の苔の青々と

松菜草枯るるを見てか軒の苔

松見草乾べば軒の苔の青

 であるべきところ、あくまでも奇観として藤の花はある。

 つまり

藤の花軒ばの苔の老いにけり

 この句の季語は「苔の老い」であり季節は晩夏。

 藤の花はあくまでオドカシである。初夏の次に春は来ない。

 いずれにせよ藤の花が詠まれた句のなかでこれほど惚けて賺した写実の句は他に類を見ない。

 このお惚けをスルーした人に芥川を読んだと言う資格はない。


苔老いて藤が咲くかや大地震

来年の分を咲いたか藤の花


ちなみにこれは今日見たアジサイ

 アジサイは春にも秋にも咲く。こっちが二季草のような気もする。

【付記】

 それにしてもだよ、こんなことも解っているからこそ句碑が建っているのかな?

 句碑の紹介には大震災のことは一言も触れられていない。

 大丈夫なのか、ニッポン。


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